見出し画像

gooブログのテーマ探し!

31. 中国・韓国と日本の違いの原点 「 3タ 封印された天安門事件」

31. 中国・韓国と日本の違いの原点 「 3タ 封印された天安門事件」

 中韓の反日感情はなぜ生まれたのか 一部引用編集簡略版
本章は以下の内容を投稿予定です。
3イ 日本を憎む中国・韓国
3ロ 自然を拝む日本人への蔑み
3ハ 「人民」は日本語から借りてきた言葉
3ニ 龍の爪の数が序列
3ホ 「ミラー・イメージ」の罠
3ヘ 天災の国と人災の国
3 ト 日中関係は国内問題
3チ 日台関係の欺瞞
3リ 韓国人の愛国心はまやかし
3ヌ 韓国と台湾の日本統治
3ル 日本統治に感謝していた韓国人
3ヲ 「東亜日報」の慰安婦募集
3ワ 韓国の反日は幼児の甘え
3カ 汚い空気と賄賂と愛人
3ヨ 琉球共和国設立委員会
3タ 封印された天安門事件
************************

3タ 封印された天安門事件

  いま、中国共産党は1989(平成元)年の天安門事件以来の大きな危機に、直面している。

  あの時、中国は革命の崖っ縁まで、追いつめられた。
  鄧小平が北京の中心において、大虐殺を行う非情な決断をしたことによって、独裁体制をかろうじて、守ることができた。

  著者は、その直後に、解放軍の将校によって、案内されて、天安門広場と、裏通りを視察した。裏通りに、焼き爛れた装甲車があって、「ここで、解放軍の兵士が、暴徒に襲われて、英雄的な死を遂げました」と、説明を受けた。

  中国政府の発表では、天安門事件で、三百人ほどの死者がでたということだったが、事実は、その十倍以上だったろう。
  政権はその後も、天安門事件の過ちを、少しも認めようとしていない。

  鄧小平が、最高権力を握ってから、大躍進運動と、人民文化大革命の過ちは、認めたものの、天安門事件については、完全に封印してきた。

  毛沢東が主導した、大躍進運動の失敗による飢饉と、人民文化大革命で全国にわたって行われた殺戮によって、三千万人以上が死んだから、過ちを認めなかったとすれば、鄧小平の改革政策が、人民の支持をえることが、とうていできなかった。

  *(投稿者補足:この部分は誤植があるようで、著者の文意が捉えられないので、下記に鄧小平の行政方針と行動概要を添えて、置き換えます)

************************
  鄧小平路線の特徴は、
(1)経済優先主義、
(2)比較優位主義(先富論にみられる不均等発展の容認)、
(3)社会主義体制外改革先行方式(もっとも「社会主義的」な国有企業の改革などを後回しにして農業改革、外資系企業の導入などを先行)、
(4)市場経済の積極的導入、
(5)漸進主義、
(6)政治的安定の重視、
(7)近代化建設のための国際平和・国際協調路線、「韜光養晦(とうこうようかい)」(光に当たらぬようにして力を醸成する)とよばれる対決回避・経済優先外交、などに集約される。

1980年代には政治体制改革の必要性も説いていたが、1989年の天安門事件(六・四事件)後は、政治体制改革を放棄した。
  国際的に孤立し、経済停滞が続いた1992年、最後の檄(げき)ともいえる南巡講話を行い、改革開放の加速、市場経済の推進を訴えた。これが功を奏し、鄧の死後も「鄧小平路線」は支持され「富強中国」への道を着々と邁進(まいしん)した。
[天児 慧 2018年4月18日]
*************************

参考:加瀬英明著「中国人韓国人にはなぜ「心」がないのか」
 加藤英明氏は「ブリタニカ国際大百科事典」初代編集長
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「中国人韓国人にはなぜ「心」がないのか」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事