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37. 中国・韓国と日本の違いの原点 「 4ヘ 女性に自由がない中韓 」

2021-10-01 09:32:10 | 中国人韓国人にはなぜ「心」がないのか
37. 中国・韓国と日本の違いの原点 「 4ヘ 女性に自由がない中韓 」

 儒教の国と神道の国 一部引用編集簡略版
本章は以下の内容を投稿予定です。
4イ 儒教の矛盾
4ロ 支配階級のための儒教
4ハ 道徳哲学に儒教を変えた日本人
4ニ 公の概念が欠落した儒教
4ホ 中国には西洋美術館がない
4ヘ 女性に自由がない中韓
4 ト 易姓革命が諸悪の根源
4チ 自分の不徳を責める天皇
4リ 美意識に価値を置く日本人
4ヌ 中国は世界で唯一の神話がない国
4ル 日本は女性が最高神
4ヲ 和の文化と神道
************************

4ヘ 女性に自由がない中韓

  世界のなかで、見た目が美しく、手のこんだ精緻な菓子がある文化といえば、日本と、ヨーロッパしかない。

  中華料理は中国人が世界一の食文化であると、誇っているが、なぜなのか。菓子となると、せいぜい月餅ぐらいなもので、ロクなものがない。
  韓国にも、見るべき菓子が一つもない。中国や、韓国に、観光旅行にでかけて、土産に菓子を買って、親戚や、友人に贈ったとしても、韓国文化が貧しいものだという教材になるものの、喜ばれることがない。

  もっとも、菓子についていえば、東南アジアから、インドを中心とする南アジア、中東、中央アジア、アフリカと巡っても、それぞれ民族料理に特徴があるものの、菓子となると、和菓子、洋菓子に大きく見劣りする。

  いったい、どうしてなのだろうか?

  中国と、韓国では、男たちによって、女性が自由を、奪われていたためである。
  中国では、女性に纏足(てんそく:女性に幼児期より足に布を巻き、足の成長を阻害する中国の風習)が強いられた。だから、外を出歩くことができなかった。
  韓国でも、男性天国の国であったから、支配階級である両班(やんばん:支配階級の身分のこと)の家庭では、妻や、娘たちは墓参りに外に出る以外は、家の塀の外にでることが、禁じられていた。

  中国も、韓国も、女性たちにとって、牢獄のような社会だった。

  韓国では、両班が常民(サンノム)と呼ばれた下層民を酷使して、徹底的に搾取した。
  そのために、常民の人口が次第に減ってゆき、日韓併合が行われた時には、両班が全人口の五十%まで達していた。李氏朝鮮は、惨めな国だった。日本統治が、活力をもたらした。

  菓子文化は女たちが互いにたずねあって、交流しなければ、発達することがなかった。

  中国でも、韓国でも、女が自由に出歩くことができなかったので、女性のあいだの社交が、存在しなかった。

  李朝時代、既婚で、子を産んだ妻たちは、外出する時には、誇らしげに、チマチョゴリの胸を、大きくはだけて、両方の乳房を露出させていた。李朝末期に、漢城(現在のソウル)を訪れた西洋人たちが、多くの写真をとっている。

  日本統治時代に入ってから、女性が乳房を、公衆の前で露出するのは、野蛮な慣習だとして、禁じてしまった。それでも、日本で四十年ほど前までは、若い母親が人前で乳房を見せて、赤児に授乳していることが、珍しくなかった。恥ずかしいことでは、あるまい。

参考:加瀬英明著「中国人韓国人にはなぜ「心」がないのか」
 加藤英明氏は「ブリタニカ国際大百科事典」初代編集長

36. 中国・韓国と日本の違いの原点 「 4ホ 中国には西洋美術館がない 」

2021-09-30 09:10:03 | 中国人韓国人にはなぜ「心」がないのか
36. 中国・韓国と日本の違いの原点 「 4ホ 中国には西洋美術館がない 」

 儒教の国と神道の国 一部引用編集簡略版
本章は以下の内容を投稿予定です。
4イ 儒教の矛盾
4ロ 支配階級のための儒教
4ハ 道徳哲学に儒教を変えた日本人
4ニ 公の概念が欠落した儒教
4ホ 中国には西洋美術館がない
4ヘ 女性に自由がない中韓
4 ト 易姓革命が諸悪の根源
4チ 自分の不徳を責める天皇
4リ 美意識に価値を置く日本人
4ヌ 中国は世界で唯一の神話がない国
4ル 日本は女性が最高神
4ヲ 和の文化と神道
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4ホ 中国には西洋美術館がない

  著者は北京の故宮に陳列されている、中国美術品や、台北にある故宮博物院を、何回も見学したが、数万点もある美術品のなかで、心を動かされるような作品が、ほとんどなかった。いや、まったくないと感じた。

  台北の故宮博物館は、蒋介石が大陸から台湾に命からがら、慌てて逃げ込んだ時に、故宮から大量の宝物を奪って、丁寧に梱包したうえで、輸送船に乗せて、持参したものである。そのために、蒋介石のために働いた、多くの末端の将兵や、下級役人たちが、大陸に置き去りにされた。

  故宮に展示されている芸術作品のなかには、翡翠を彫ってつくった、小さな虫があって、何とも滑稽なことに、その前に、拡大レンズ(むしめがね)が置かれている。著者はまるで北京雑技団(サーカス)の曲芸のようなもので、バカバカしいと思った。
  展示されている作品は、すべてといってよいが、皇帝に捧げられたものである。すべてが、作者のものではなく、皇帝のものなのだ。

  日本の茶器や、絵画のように、作者の精神世界を表現したものが、どこにもないのだ。
  芸術は自由な魂によって、創造されるべきものである。ところが、中国には一人ひとりの人間を尊ぶ、土壌がないのだ。

  中国ではあらゆるものが、政治に帰納する。
  今日の中華人民共和国も、中国の三千年にわたる、政治文化がつくったものだ。

  中国について、もう一つ、驚くことがある。
  第二次大戦前にも、中国には上海を中心として、貿易を通じて巨富を手にした、富裕なファミリーがいくつも存在した。
  ところが、今日でも、広い中国大陸に泰西名画(泰西《西の果ての意》西洋。⇔泰東)をはじめとして、西洋美術館が一つも存在していない。

  日本であれば、上野公園の国立西洋美術館や、東京駅八重洲口にあるブリジストン美術館をはじめとして、全国に西洋美術を蒐集した、美術館がある。

  日本は世界的にも、高い評価を受けた洋画家を、数えきれないくほど生んできた。
  日本における洋画の歴史は、遠く室町時代(1392~1573年)まで遡る。

  キリシタンの宣教師が持ち込んだ宗教画を、絵師が模倣して、南蛮絵と呼ばれた。徳川時代に入ると、多くの優れた画家が、西洋画科の手法と、油絵、岩絵具を用いて、絵筆を競った。これらの絵は蘭画とか、紅毛画と呼ばれている。

  ところが、中国ではそのようなことがなかった。
  中華文明だけが、世界で唯一つの真っ当で、偉大な文明であると、思いあがってきたから、西洋美術は夷狄のものとして、見なした。そこで、今日にいたるまで、西洋美術館が一つもないし、日本のように優れた洋画家をうむことがなかった。

  中国文明は、政治、政治、政治ばかりで、息が詰まる。今日にいたるまで、すべて、あらゆるものが、政治に取り込まれる、異常な社会であってきた。

参考:加瀬英明著「中国人韓国人にはなぜ「心」がないのか」
 加藤英明氏は「ブリタニカ国際大百科事典」初代編集長

35. 中国・韓国と日本の違いの原点 「 4ニ 公の概念が欠落した儒教 」

2021-09-29 09:19:49 | 中国人韓国人にはなぜ「心」がないのか
35. 中国・韓国と日本の違いの原点 「 4ニ 公の概念が欠落した儒教 」

 儒教の国と神道の国 一部引用編集簡略版
本章は以下の内容を投稿予定です。
4イ 儒教の矛盾
4ロ 支配階級のための儒教
4ハ 道徳哲学に儒教を変えた日本人
4ニ 公の概念が欠落した儒教
4ホ 中国には西洋美術館がない
4ヘ 女性に自由がない中韓
4 ト 易姓革命が諸悪の根源
4チ 自分の不徳を責める天皇
4リ 美意識に価値を置く日本人
4ヌ 中国は世界で唯一の神話がない国
4ル 日本は女性が最高神
4ヲ 和の文化と神道
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4ニ 公の概念が欠落した儒教

  本場の中国の儒教に戻ると、孝が何よりも、もっとも大切にするべき徳目となっている。

  孔子の「公羊伝(くようでん)」によれば、父親や、身内が悪事を行った場合には、外に対して、口にしてはならず、隠蔽しなくてはならないと、教えている。
  ある村に、息子がいた。「父が、羊を盗んだ」といって、告発した。
  すると、孔子がこの息子を、「ばか者!」と一喝して、「身内の不祥事を、外に絶対に漏らしてはならない。隠すのが、人の道だ」と、叱った。

  儒教は、孝をもっとも重要な徳目としてきたから、公の概念がすっぽりと欠落している。中国では、公というと、皇帝と朝廷のことであって、日本のように国全体を指しているわけではない。

  中国では、血がつながっている家族と一族共同体か、あるいは仲間集団である、疑似家族共同体が、社会の基本となっている。
  今日の中国では、国慶節や、節目の祝日に当たって、天安門の楼上に並ぶ、習近平国家主席以下の一千万人をこえる中国共産党員が、疑似家族共同体を形成している、排他的な利益集団だ。

  だから、毛沢東から習近平国家主席までが、政権にとって不都合なことを、ひた隠しにしてきたのは、徳に適うことなのだ。

  中国の新幹線が重大な事故を起こした時に、大きな穴を掘って、埋めたのも、儒教の教えに従ったものだった。

  日本では、中国から孝がやってくると、忠がその上にぴょんと乗って、「忠孝」となった。儒教を改良したのだった。
  著者は海外で、日本文化について講演する時に、忠を「パブリック」(公:おおやけ)と訳することにしている。日本では、一族よりも、民族共同体である国を大切にするのだ。

参考:加瀬英明著「中国人韓国人にはなぜ「心」がないのか」
 加藤英明氏は「ブリタニカ国際大百科事典」初代編集長

34. 中国・韓国と日本の違いの原点 「 4ハ 道徳哲学に儒教を変えた日本人 」

2021-09-28 09:43:20 | 中国人韓国人にはなぜ「心」がないのか
34. 中国・韓国と日本の違いの原点 「 4ハ 道徳哲学に儒教を変えた日本人 」

 儒教の国と神道の国 一部引用編集簡略版
本章は以下の内容を投稿予定です。
4イ 儒教の矛盾
4ロ 支配階級のための儒教
4ハ 道徳哲学に儒教を変えた日本人
4ニ 公の概念が欠落した儒教
4ホ 中国には西洋美術館がない
4ヘ 女性に自由がない中韓
4 ト 易姓革命が諸悪の根源
4チ 自分の不徳を責める天皇
4リ 美意識に価値を置く日本人
4ヌ 中国は世界で唯一の神話がない国
4ル 日本は女性が最高神
4ヲ 和の文化と神道
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4ハ 道徳哲学に儒教を変えた日本人

  本場の中国では、儒教は専制を維持するための、統治イデオロギーだったが、日本に入ってくると、優れた修身道徳哲学となった。

  仏教でも、自動車でも、林檎でも、フランスパンでも、日本に取り入れられると、もとのインド、中国、デトロイト、アメリカ、フランスよりも、はるかに優れたものとなる。

  苺も、よい例だ。苺は幕末にオランダからもたらされたが、今日では、日本の苺が、大きさでも、味わいでも、世界一という、高い評価を受けている。

  儒教は、日本に入ってから、新しい生命を与えられて、素晴らしい人生の指針となり、人間学となっている。

(投稿者補足)以下は、日本での「論語」の解釈、その日本国民全体への教育による理想の人間像育成の流れです。
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  徳川家康は、自ら論語を学ぶだけでなく、武士に論語を学ばせました。江戸時代は、士農工商という身分制度がありましたが、藩校や寺子屋で武士から商人にいたるまで、論語を学んでいたのです。こうして、江戸時代の日本人は、世界で一番識字率が高いと言われているのです。

  その逸話として、1854年に日本と和親条約を結んだペリー提督は、自伝の中で「私は世界をいろいろ航海してきたが、日本人のように落ち着いた華麗さと、威厳を持った国民に出会ったことがない」と記しています。当時の日本人は「論語」に描かれる理想の人間像を求めて、論語を学んでいたのです。

  この日本人の精神を世界に発信したのが、新渡戸稲造です。新渡戸稲造は、1900年に「武士道」という本をアメリカで出版します。原文は、英語で書かれており、世界でベストセラーになりました。当時のアメリカ大統領セオドア・ルーズベルトも「武士道」を絶賛し、家族、友人、知人に配ったという逸話が残されています。

  そして、日本の経済界をリードした渋沢栄一は、商業道徳を指導する際の拠り所として論語を活用しました。世界の中で日本の商慣行が優れていたのも、渋沢栄一の実践哲学としての「論語と算盤」があったからにほかなりません。
(出所)
かながわ 福祉居住推進機構のHP 理事長談話の抜粋
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参考:加瀬英明著「中国人韓国人にはなぜ「心」がないのか」
 加藤英明氏は「ブリタニカ国際大百科事典」初代編集長

33. 中国・韓国と日本の違いの原点 「 4ロ 支配階級のための儒教 」

2021-09-27 09:20:19 | 中国人韓国人にはなぜ「心」がないのか
33. 中国・韓国と日本の違いの原点 「 4ロ 支配階級のための儒教 」

 儒教の国と神道の国 一部引用編集簡略版
本章は以下の内容を投稿予定です。
4イ 儒教の矛盾
4ロ 支配階級のための儒教
4ハ 道徳哲学に儒教を変えた日本人
4ニ 公の概念が欠落した儒教
4ホ 中国には西洋美術館がない
4ヘ 女性に自由がない中韓
4 ト 易姓革命が諸悪の根源
4チ 自分の不徳を責める天皇
4リ 美意識に価値を置く日本人
4ヌ 中国は世界で唯一の神話がない国
4ル 日本は女性が最高神
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4ロ 支配階級のための儒教

  孔子が、仁や、義や、恕(じょ:人を許すこと)や、徳などを、もっともらしく説いたが、支配階級の人々とのあいだだけに、適用されるものだった
  儒教の高邁(こうまい:衆にぬきんでてすぐれていること)な徳目は、支配階級の仲間うちだけのものだった。とくに、仁は慈しみ、他者への思いやりを意味している。

  だから、人民であれば、男のもっとも大切なところを、いくら切り取ってもよかったし、空腹をみたすために、いくらでも殺して、食べてしまってもよかった。

  中国では、清朝が崩壊するまで、人民は長いあいだ、「民草」と呼ばれてきた。この言葉は、日本にも輸入されて、使われてきた。
  中国では、民草はいくら刈っても、また、生えてくるものだから、殺しても、煮ても、焼いて、食べてもよい、存在であってきた。

  ところが、日本では、民草は慈しみ、守るべき、対象であってきた。
  中国は、日本のように、万民が人として、それぞれの人生を生きた、文化ではないのだ。

  著者は、孔子が仁を説いているのにかかわらず、宦官制度や、食人習慣を、一度たりとも批判しなかったことに、中国社会のおぞましさを、垣間見た思いがした。

  儒教は、道徳哲学ではない。統治哲学である。
  本場の中国における儒教は、為政者が天下を私有する専制制度のもとで、人々の行いを制禦することによって、いかに権力に奉仕させて、社会を治めるべきか、体系だてた政治イデオロギー(思想傾向)なのだ。著者は、そのように覚った時に、戦慄した。それ以来、著者の中国観が変わることが、なかった。

  そして、古書によれば、孔子は好物として、人肉を発酵調味料に漬けた醤(ひしお)を、毎日、食べていた。孔子がもっとも愛していた弟子だった子路(しろ)は、内乱にあって、敵に食べられてしまっている。
  子路は、孔子の十人の直弟子(じきでし)である。十哲の一人として、有名である。

参考:加瀬英明著「中国人韓国人にはなぜ「心」がないのか」
 加藤英明氏は「ブリタニカ国際大百科事典」初代編集長