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7. 中国・韓国と日本の違いの原点 「 ○し合い食べ合う中国人 項目ヘ」

2021-09-02 09:06:17 | 中国人韓国人にはなぜ「心」がないのか
7. 中国・韓国と日本の違いの原点 「 殺し合い食べ合う中国人 項目ヘ」

 「公徳心のない中国人」 一部引用編集簡略版
本章は以下の内容を適当に選別・分割して投稿予定です。
イ 分かり合えない日本と中国
ロ おぞましき専制政治
ハ あさましき食への執着心
ニ 宰相とは料理人のこと
ホ タブーなき食文化
ヘ 殺し合い食べ合う中国人
ト 日本では上に立つほど粗食
チ 素材の味を重んじる日本料理
リ 食こそが現世料理
ヌ 堕落する中国の権力者
ル 餓死する人民と豪華三昧の指導者
ヲ 「食指」の語源
ヨ 「ほう屎撒あ(ほうしさんあ:漢字出ず:ところかまわず、糞尿をまき散らす)」と「あ屎送尿(したいときに、大小便をするべきだ)」
タ 清潔な日本統治下の台湾
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ヘ 殺し合い食べ合う中国人

  魯迅が若い頃に書いたものを読むと、「我は我が血を軒轅(けんえん:皇帝名)に薦めん」という言葉が出てくる。軒轅は、漢民族(投稿者注:本来は漢字を使う集団:漢族と呼ぶべきと言われる。ご存知の通り漢字を使う支配民族は複数存在します)の始祖といわれている。黄帝の姓が公孫で、軒轅が名だ。
  中国の伝説によると、中国古代の王朝や、諸侯はすべて黄帝から出たとされている。さらに伝説によると、黄帝は紀元前4207年に生まれている。

  黄帝は「炎帝」とも呼ばれる。中国人は全員が、自分が黄帝の子孫である「炎黄子弟」だと、信じている。
  中国人は、黄色人種が世界のなかで、誰よりも偉くて、白人よりも優れていると、思っている。

  鄧小平時代になってから、中国で一時、出版の自由がかなり緩められるようになって、光文社のカッパブックスから、紅衛兵が文化大革命の時に、いくつもの派に分かれて、全国にわたって殺し合って、食べあったという本が出版された。「食人宴席」(1993年刊)という題で、中国人の鄭義(チェン・イー)が著者で、黄文雄が訳者だった。
  ところが、あまりにも惨たらしいはなしだったので、日本では売れなかった。

  もう、四十年ほど前になるが、著者は赤坂の中華料理店の中後貴人経営者と親しくしてもらっていた。
  汪兆銘の南京政権に協力して、逃げてきた人物だったが、中国にまつわるいろいろな話を聞かしてくれた。

  ある時、話を聞いた中国人経営者が礼状をくれた。達筆だった。
  日本だったら、最後に「敬具」とか、「早々」とか書くが、「尚餐(しょうさん)」と結ばれていた。どうぞ、私を召し上がって下さいという意味である。昔の中国人はそういう言い方をしたものだった。

参考:加瀬英明著「中国人韓国人にはなぜ「心」がないのか」
 加藤英明氏は「ブリタニカ国際大百科事典」初代編集長

6. 中国・韓国と日本の違いの原点 「タブーなき食文化 項目ホ」

2021-09-01 09:14:49 | 中国人韓国人にはなぜ「心」がないのか
6. 中国・韓国と日本の違いの原点 「タブーなき食文化 項目ホ」

 「公徳心のない中国人」 一部引用編集簡略版
本章は以下の内容を適当に選別・分割して投稿予定です。
イ 分かり合えない日本と中国
ロ おぞましき専制政治
ハ あさましき食への執着心
ニ 宰相とは料理人のこと
ホ タブーなき食文化
ヘ 殺し合い食べ合う中国人
ト 日本では上に立つほど粗食
チ 素材の味を重んじる日本料理
リ 食こそが現世料理
ヌ 堕落する中国の権力者
ル 餓死する人民と豪華三昧の指導者
ヲ 「食指」の語源
ヨ 「ほう屎撒あ(ほうしさんあ:漢字出ず:ところかまわず、糞尿をまき散らす)」と「あ屎送尿(したいときに、大小便をするべきだ)」
タ 清潔な日本統治下の台湾
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ホ タブーなき食文化

  中国料理は、忌避するものがない。中国には「不問鳥獣虫蛇、無不食之」(鳥、獣、虫、蛇を問わず、食さないものはない)という、古い諺がある。
  豚は全体のなかで、食べない部位がない。頭から耳も、舌も、尻尾まで、すべて料理になる。豚は中華料理で、基本となっている肉だ。メニューに、牛、鶏、羊、鴨などがあるが、ただ「肉」とあったら、豚のことだ。

  高級料理のなかで、熊の手のひらも、有名だ。ネコも、食べる。これほどまで、食に執着している文明は、他にない。

  楚という国があった。前漢の司馬遷が編集した、中国最初の正史の「史記」に書かれている有名な話だが、紀元前七世紀後半に、成王がいて、皇太子を廃嫡(はいちゃく)しようとした。
  ところが、皇太子が事前に察して、兵を率いて宮殿を囲み、父を捕えて、処刑しようとした。すると、成王が「最後に食べたい料理がある。熊の手のひらだ」と、嘆願した。息子はそれを断って、父親を殺してしまった。

  著者は熊の手のひらを食べたことがないが、熊が右手でハチミツをすくうので、たいへんに美味しくなるといわれる。
  そこで、有名な中華料理店の料理長に、「熊の手のひらの料理には、いったい、どれくらい時間がかかるんですか?」と質問したら、「三日かかる」と、教えられた。思った通りだった。
  おそらく、成王は三日もあれば、そのあいだに、誰かが助けてくれる。隙があったら、逃げ出そうと考えたのだろう。

  時間稼ぎに、熊の手のひらの料理を食べたいと、望んだ。しかし、殺される前に、どうしても、この料理が食べたいという話は、日本では考えられないだろう。

参考:加瀬英明著「中国人韓国人にはなぜ「心」がないのか」
 加藤英明氏は「ブリタニカ国際大百科事典」初代編集長

5. 中国・韓国と日本の違いの原点 「宰相とは料理人のこと 項目ニ」

2021-08-31 09:12:30 | 中国人韓国人にはなぜ「心」がないのか
5. 中国・韓国と日本の違いの原点 「宰相とは料理人のこと 項目ニ」

 「公徳心のない中国人」 一部引用編集簡略版
本章は以下の内容を適当に選別・分割して投稿予定です。
イ 分かり合えない日本と中国
ロ おぞましき専制政治
ハ あさましき食への執着心
ニ 宰相とは料理人のこと
ホ タブーなき食文化
ヘ 殺し合い食べ合う中国人
ト 日本では上に立つほど粗食
チ 素材の味を重んじる日本料理
リ 食こそが現世料理
ヌ 堕落する中国の権力者
ル 餓死する人民と豪華三昧の指導者
ヲ 「食指」の語源
ヨ 「ほう屎撒あ(ほうしさんあ:漢字出ず:ところかまわず、糞尿をまき散らす)」と「あ屎送尿(したいときに、大小便をするべきだ)」
タ 清潔な日本統治下の台湾
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ニ 宰相とは料理人のこと

  宰相という言葉がある。日本でも、首相がしばしば、宰相と呼ばれている。初代の伊藤博文首相から、戦後なら、吉田茂首相から、安倍晋三首相まで歴代の首相が、宰相である。
  しかし、日本ではまさか、「宰相」という言葉から、料理人を連想して、料理と結びつける者はいまい。

  ところが、もとの中国では、「宰相」は腕が立つ料理人のことであり、厨房における優れた才能を評価されて、皇帝に仕える官吏全員の長となった。
  漢和辞典(角川漢和中辞典)で、「宰」という字を、ひいてみると、解字として、「君主の側近くに仕えて、ことに料理をつかさどる者をいい、転じて官吏の長となった」と、解説されている。
  さらに、字義として、「つかさどる。料理する」とでてくる。そして、「宰相」は「料理大臣」であると、せつめいされている。

  日本では、古代の大和朝廷から、江戸時代が終わるまで、行政を束ねる最高官の条件として、料理の才能が問われたことはない。

  殷(いん)は紀元前十世紀に滅亡した。中国最古の王朝である。殷の伊尹(いいん:人名)は、三代の皇帝に宰相というと、首相として仕えたが、料理の傑出した腕が認められて、抜擢された。
  伊尹は、今日でも中国人によって、中華料理の宗家というと、仰ぎ見るべき本家として、崇められている。「割烹の聖人」とも、呼ばれる。
  伊尹は「酒池肉林」の発明者としても、知られている。

  清朝の最盛期を築いた乾隆帝のもとでは、故宮をはじめとして、離宮も含めて、宮殿の厨房である膳房(ぜんぼう)に、じつに一万人以上の料理人と、料理人を助ける使用人が働いていたと、記録されている。

  中国の古典は、(軍師を召し抱えようとする時さえ)食に言及していることが、多い。食い意地が、張っているのだ。日本と、なんと違うことか。

参考:加瀬英明著「中国人韓国人にはなぜ「心」がないのか」
 加藤英明氏は「ブリタニカ国際大百科事典」初代編集長

4. 中国・韓国と日本の違いの原点 「あさましき食への執着心 項目ハ」

2021-08-30 09:01:07 | 中国人韓国人にはなぜ「心」がないのか
4. 中国・韓国と日本の違いの原点 「あさましき食への執着心 項目ハ」

 「公徳心のない中国人」 一部引用編集簡略版
本章は以下の内容を適当に選別・分割して投稿予定です。
イ 分かり合えない日本と中国
ロ おぞましき専制政治
ハ あさましき食への執着心
ニ 宰相とは料理人のこと
ホ タブーなき食文化
ヘ 殺し合い食べ合う中国人
ト 日本では上に立つほど粗食
チ 素材の味を重んじる日本料理
リ 食こそが現世料理
ヌ 堕落する中国の権力者
ル 餓死する人民と豪華三昧の指導者
ヲ 「食指」の語源
ヨ 「ほう屎撒あ(ほうしさんあ:漢字出ず:ところかまわず、糞尿をまき散らす)」と「あ屎送尿(したいときに、大小便をするべきだ)」
タ 清潔な日本統治下の台湾
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ハ あさましき食への執着心

  著者が中国に招かれて、はじめて北京を訪れたのは、1979(昭和54)年だった。華国鋒時代(1976~1981年)だった。
  北京空港で、人民解放軍の出迎えを受けて、宿舎へ向かう途中、窓の外に目を凝らした。民衆は男女ともに、全員が粗末な青い人民服を着て、痩せていた。みな、顔色が悪く、精気ががなかった。(42年前です)

  人民解放軍の李達(り・たつ)副参謀総長が、著者のために天安門広場に面する人民大会堂で、歓迎晩餐会をを催してくれた。
  李達副参謀総長は、日米安保条約を高く評価した。そのうえで、「中日両国が力を合わせて、アジアの平和と安定を守らなければならない。日本は三木内閣以来、防衛費をGNPの一%以下に抑えてきたが、現実にそぐわない。二%まで増すべきだ」と、熱心に説いた。
  当時、中国は何よりも中ソ戦争を恐れていた。解放軍の部隊に案内されて、射撃の実技などを視察したが、部隊総出の熱烈歓迎を受けた。
  日本の防衛費は、安倍政権のもとでも、GNPの一%以内に、収められていた。
  それにもかかわらず、習近平国家主席は「軍国主義者安倍首相が、日本を軍国主義にしようとしている」とか、「第二次世界大戦の勝利の成果と、戦後秩序を守り抜き、歴史の流れを逆行させることは、けっして許さない」と、繰り返し、述べている。中国には、原理、原則などまったくなく、御都合主義なのだ。

  歓迎宴が終わると、大会堂の玄関まで見送ってくれた。李達老人が乗ってきた、最高幹部の象徴である、最高級車の紅旗が外に待っていた。
  中国人にとっては、日本と違って、食が人生の最大の重大事である。これほどまで、食に執着している人々はいない。食が中国人を、中国人たらしめている。

  中国料理では、食が何よりも重大事であるから、主人はまるでオーケストラの指揮者のように、全体を見回せるところに、座る。中国人から見れば、日本の接待主は食事だけでなく、客を軽く見ているようで、無責任だ。
  中国では、食が何よりも大事であるから、人間関係、経済活動から、対外政策まで、あらゆるものが、中華料理の油っこい臭いを、発している。食は胃の問題だから、心よりも、胃が上のほうに、置かれている。

参考:加瀬英明著「中国人韓国人にはなぜ「心」がないのか」
 加藤英明氏は「ブリタニカ国際大百科事典」初代編集長

3. 中国・韓国と日本の違いの原点 「おぞましき専制政治 項目ロ」

2021-08-29 09:02:53 | 中国人韓国人にはなぜ「心」がないのか
3. 中国・韓国と日本の違いの原点 「おぞましき専制政治 項目ロ」

 「公徳心のない中国人」 一部引用編集簡略版
本章は以下の内容を適当に選別・分割して投稿予定です。
イ 分かり合えない日本と中国
ロ おぞましき専制政治
ハ あさましき食への執着心
ニ 宰相とは料理人のこと
ホ タブーなき食文化
ヘ 殺し合い食べ合う中国人
ト 日本では上に立つほど粗食
チ 素材の味を重んじる日本料理
リ 食こそが現世料理
ヌ 堕落する中国の権力者
ル 餓死する人民と豪華三昧の指導者
ヲ 「食指」の語源
ヨ 「ほう屎撒あ(ほうしさんあ:漢字出ず:ところかまわず、糞尿をまき散らす)」と「あ屎送尿(したいときに、大小便をするべきだ)」
タ 清潔な日本統治下の台湾
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ロ おぞましき専制政治

  アメリカは先の大戦前(投稿者注:まだ日本が真珠湾攻撃する前)から、中国大陸において日本を相手に戦っていた、蒋介石政権に巨額の援助を、注ぎ込んでいた。
  ルーズベルト政権は日米開戦前から、日本を憎んで、叩き潰そうとしていたが、日本はルーズベルト政権の真意を見抜くことができなかったので、日米関係を修復しようと努力して、最後まで誠心誠意、日米交渉に取り組んだ。

  ところが、蒋介石政権は底知れぬまで、腐敗しきっていた。蒋介石政権は日本が敗れた後に、毛沢東の共産党軍によって、大陸から追い落とされて、台湾に逃げ込んだ。
  アメリカには、蒋介石政権が骨の髄まで腐敗していたことについて、本が何冊か出版されている。

  著者は1960年代から、台湾を取材のためや、国際会議に招かれるなどして、頻繁に訪れた。台湾は、大陸から脱出してきた、蔣介石政権の外省人による、恐怖政治のもとにあった。蔣介石政権は台湾に、”ミニ専制国家”をつくっていた。
  台湾では蒋介石とともに逃げてきた、中国人を外省人、台湾人を内省人と呼んでいる。
  蔣介石政権は大陸から台湾に逃げ込む時に、北京の故宮(紫宸殿、紫禁城)の宝物などの大量の財宝を運び込み、大勢の中華料理のトップのコックを、連れてきた。そのおかげで、著者は高官の接待をしばしば受けたが、まさに華味三昧(かみざんまい)だった。
  故宮では、いまでも天子として中国共産党総書記(国家主席を兼ねる)が、最高幹部たちを引率して、国慶節や、メーデーに当たって、天安門の楼上から、パレードを観閲する。

  著者は多くの台湾人の友人をつくったが、大陸からやってきた中国人による専制政治のおぞましさについて、肌で学んだ。
  このころ、日本の大新聞は共産中国を手離しで、誉めそやしていた。歯が浮くような、読むに耐えない、記事ばかりだった。新聞は北朝鮮についても、金日成主席を礼賛して、あたかも、北朝鮮が人民の天国であるように、書き立てていた。
  ところが、このあいだ、アメリカや、イギリス、フランス、ドイツなどのヨーロッパの新聞は、中国の実情を記者の目で、しっかりと見て、耳で聞いた、そのままを報じていた。北朝鮮は小さな、奇怪な個人崇拝の国だった。

  日本の新聞は、明治初年に発祥したときから、エリートが民を指導して、啓蒙する使命を担っていると、気負ってきた。それに対して、欧米のジャーナリズムは、民衆のあいだから興ったから、そのような大衆を見下した気負いが、なかった。

  中国は為政者が、日本と違って、民衆が苦しむのをよそに、つねに贅をきわめて、専制を行ってきた。
  筆者は韓国も、親しく知るようになった。1965(昭和40)年に日韓基本条約によって、両国の間に国交が樹立された前年に、韓国をはじめて訪れてから、足繫く通った。
  日本と、中国、韓国とでは、歴史も、社会の成り立ちも、人々の思考方式、価値観、行動様式も、まったく違っている。

  中国の本質を知ることなく、巨大化した中国を語ることはできない。
  そのために、中国の独特な文化と、行動様式が、いったい、どのようにして形成されたか、中国三千年の歴史に分け入って、検証しなければならない。

参考:加瀬英明著「中国人韓国人にはなぜ「心」がないのか」
 加藤英明氏は「ブリタニカ国際大百科事典」初代編集長