白い花の唄

笛吹カトリ(karicobo)の日記、一次創作SF小説『神隠しの惑星』と『星の杜観察日記』のブログです。

カエルの姫君(その2)

2019年09月27日 18時59分32秒 | 星の杜観察日記

 巫女姿の桐ちゃんは、春に池で初めて会った時のようにずっと大人の女の人に見えた。白い胴着に赤い袴。透けた薄い着物を重ねていて、天女みたいだ。まっすぐに延びた黒い髪を白い布で結んで背中に垂らしている。額にシャラシャラ音がする薄い金属の簪飾りをつけている。
 桐ちゃんと向かい合って踊る女の人も、桐ちゃんと同じ衣装で同じぐらいの長さの黒髪で、すごく良く似ていた。この人が桐ちゃんのお母さんだろうか。それにしてはすごく若い。桐ちゃんともうひとりの女の人は双子のようにそっくりで、鏡で合わせたようにぴったりと揃って踊っていた。


 僕が拝殿に飛び込んだ瞬間、2人の巫女と銀ちゃんと、神主姿の男の人が僕の方を振り向いた。銀ちゃんは、笛から口を離してちょっと目を見開いた。桐ちゃんは、あの春の夜のように僕の方を見ていても僕を見ていない。緑に輝く大きな瞳を僕に向けながら、少しも姿勢を崩さず踊り続けた。銀ちゃんもまた笛を吹き始めた。神主姿の男の人がドドン、と太鼓を叩く。
 2人の巫女が金の鈴を掲げてシャラランと鳴らした瞬間、床に横たわっていた豊くんを包む光が一層強くなった。眩い光の中、豊くんはすうっと身体を起こして目を開いた。色の薄い髪と目。豊くんが光の中に溶け込むようだ。膝を起こして跪坐(きざ)の姿勢を取ったと思うと、持っていた剣を鞘からすうっと抜いた。
 目が痛いほどの光が剣から降りそそぐ。ビリビリと拝殿が揺れた。身体が動かない。僕は床にへたり込んで、ただその空間に圧倒されていた。

 剣を完全に抜いて鞘を腰に、刀身を前に構えた瞬間、豊くんの姿が変わった。

 黒い切れ長の目。黒い髪を埴輪の人みたいな形に結っている。白い衣装に石のネックレスを何重にもかけて、古代の神話に出て来る神様みたいな格好をしている。それとも、本当に神様なのかもしれない。こんな光り輝く人が、普通の人のはずがない。

 神様は剣を構えて辺りをなぎ払うようにひと振りした。風が起こって、拝殿の天井から下げた布や鈴がバタバタちりちりと揺れた。僕はふっ飛ばされて床で一回後転してしまった。一回りして床で四つん這いになっている僕を、神様はふ、と笑った気がした。そうして剣を鞘に戻して神様がすっと立つと、光が幾分薄れて拝殿が拝殿に戻った。僕はようやく周囲の様子に焦点が合うようになった。

 銀ちゃんと神主姿の男の人、巫女姿の桐ちゃんともうひとりの女の人は床に膝まづいて、神様に深々とお辞儀をした。神様がまた、ふ、と笑った。
 そうして拝殿の裾の暗がりの方を振り向くと、大きな声で呼ばわった。

「真朱(まそお)、おるのだろう。隠れておらんで出て参れ」

 ビリビリと壁が震えるような声だった。それほどの大音声じゃないはずだが、鼓膜に直接響くようだ。

「隠れてなぞおらん。ただ、俺がおってはバツが悪くて出て来れんのだろうと気を遣ったのだ。お前、”竜胆殿の守りは俺に任せろ”などとえらそうに言った直後に刃を折られて散ったのだからな」
 そう言いながら暗がりから出て来た女性は、まるで神話の女神のようだった。奈良時代のお姫様ってこういう衣装じゃなかったっけ。床まで届く裾の長いスカートと長い袖のドレス。薄い布を何枚も重ねて金襴模様の帯をかけ、肩からは天女みたいな透き通った長いリボンをふんわり垂らしている。胸に丸い鏡を下げ、首から何重も色石の首飾り。額飾りに髪飾り。そして眩い装飾品が霞むほど光り輝く長い金の髪が腰まで届いている。金褐色の長いまつ毛に縁どられた瞳は金色を帯びたオレンジ色。化学図説で見た金コロイドイオンの色だ。

「ついでに言っておいてやるが、俺もその後すぐに散り散りにふっ飛ばされた。宝珠を盗られて手も足も出せず、鏡に逃げ帰った。お前の言う竜胆殿は、孤立無援になってしまった」
 剣の神様は、金色の女神様を暗い目で見返した。
「散り散りながら、様子は感じておった。竜胆殿は、今、ここにおられんのだな」
「そうだ。竜胆は……黒曜は……連れ去られた。ずっと探しているが、行方はまだわからん」
 神様と女神様は2人してうなだれてしまった。住吉神社の面々もみな沈痛な雰囲気だ。黒曜って誰だろう。神様の知り合いだからやっぱり女神様なんだろうか。

「武御雷様」
 神主姿の男の人が深々と頭を下げた。
「住吉の当代の宮司でございます。この度、再び顕現いただきありがとうございます。山陰の刀鍛冶に依頼して折れた刀身を治させていただきました。具合はいかがでしょうか」
「うむ。いい具合じゃ。苦しゅうないぞ」
 神様はニカッと豪放な笑顔を見せた。
「何が苦しゅうないだ。修理に出す度にゴネおって。鍛冶を脅すものだからどこも断って来て、結局、シズク殿の養い子にお守りしてもらってようやくじゃ」
「言葉も通じぬ卑しい鍛冶に神剣が治せるものか。そんな奴に力任せに鍛えられても、我は顕現せんぞ」
 金色の女神様にくどくど言われても、剣の神様はちっとも応えていないらしい。
「して、宮司。あれから何年経った。桜殿はお元気か。天狗の子はどうしてる」

 住吉のメンバーはまたみんなうつむいてしまった。
「武御雷様が眠られて、今で25年でございます。桜は7年前に亡くなりました。天狗の子も、鷹史もおりません。私は鷹史の弟で当時4歳でした。ここにいますは、鷹史の息子でございます」
 宮司さんは銀ちゃんを指さした。すると天狗の子というのは、銀ちゃんのお父さんなのか。
「なんと。天狗の子はどうなった」
「わかりません。消えました。おそらく今頃は竜宮におるかと」
「ううむ。そうであったか。桜殿も天狗の子もおらぬ。竜胆殿もおらぬ。真朱は宝珠を奪われ片身しかない。これではここを守るものが無いではないか」
「だからお前を治したのだ。それを面倒かけるものだから、とうとうシズク殿まで」
「シズク殿まで?」
 金色の女神の言葉に神様が問い返したところで、空間がぐにゃりと歪むような違和感が走った。神様の光が薄れて、太い声が可愛らしい高い声になった。
「ミカちゃん、重いよ。キジさんに代わってもらってもいい?」
「ミカちゃん、とな」
「武御雷(たけみかづち)だからミカちゃん」
 神様の口から太い声と高い声が交互に出て来る。
「ふむ。まあよいか。宮司、代わってやれ。シズク殿の養い子には迷惑かけた。休ませてやらねば」
「かしこまりました。では失礼して」
 
 宮司さんが両手に剣を受け取ってお辞儀し、頭の上におし戴くと、宮司さんの身体が光って姿が変わった。同時に今まで神様の言葉で話していた豊くんが、元の姿にしゅるるると戻ったと思うと、そのまま床に丸くなって猫のようにすうすう寝始めた。
 宮司さんの身体に入ったらしい神様は、さっきほどギラギラ光っていない。さっきのがシリウスとすると今度はリゲルぐらいの光り方だし、姿もだいぶんカジュアルだった。肩につくぐらいの黒髪はボサボサ伸ばしっぱなし。チェックのネルシャツにジーンズにジージャン。開いた胸元に青い石のオガタマをひとつ下げている。

「なんじゃ、そのむさくるしいナリは」
 金色の女神さまに指摘されても、神様はニヤニヤしている。
「何の。今風じゃ。省エネとか言うのじゃろ。お前もその嵩高い格好を解いたらどうじゃ」
「ふん。俺だけ正装しとるのもバカらしいな。お前に礼を尽くしてやる謂れもなし」
 金色の女神様は、胸にかけた鏡を木の台に納めた。そうして腰に届く金の髪を結わえていた赤い飾り紐をほどいて首をひと振りしたと思うと、あっという間にカーキ色のカーゴパンツとオレンジ色のタンクトップ、という姿に変わった。僕や銀ちゃんより2、3個年上のお姉さんという感じだ。
 そのお姉さんは僕に向かってにこっと笑った。
「この少年は初めて会うな。トンスケと豊のクラスメイトだって? よろしくな。俺はトンスケの曾祖母だ。当年とって81歳」
 いろいろいっぺんにあり過ぎて、もうどこから聞けばいいのかわからない。とりあえず、剣の神様がジージャンなんだから、81歳のギャルがいてもしょうがないよな、と納得することにした。

 女神さまがギャルになった途端、桐ちゃんともうひとりの巫女さんの姿も変わった。双子のように似ていたはずなのに、ひとりの方は栗色の短い髪にふっくらした身体のおばさんになった。そして、桐ちゃんは小学生に戻った。髪はまっすぐなままだ。
 桐ちゃんは、今初めて僕に気がついたらしい。鈴を取り落として声を上げた。
「克昭さん! どうしてここに!」
 明らかに非難されている。僕はまた場違いなところに来てしまったらしい。
「ご、ごめん。銀ちゃんにプリントを」
 言いかけたところで桐ちゃんに突き飛ばされて、僕はまた拝殿の床を後転してしまった。
「ダメなのに! 来ちゃダメなのに! どうして! 帰って! 帰ってください!」
 両こぶしを握り締めて身体を震わせている。
「ごめん。桐ちゃん、ごめん。泣かないで」
「ダメなのに! 克昭さんまで、シズクちゃんみたいに」
 そこまで言って、言葉が途切れてしまった。桐ちゃんは激しく泣きじゃくって、巫女姿のおばさんに優しく抱きしめられていた。
「どうしよう。咲さん、どうしよう。克昭さんまで消えちゃったらどうしよう。父上も、トンちゃんも、鏡ちゃんも、みんなみんな、消えちゃったらどうしよう。私、誰も守れない。みんなみんな、私のせいで消えちゃうかもしれない。どうしよう。咲さん、怖い。どうしよう」

 うわああああん、と本格的に泣き始めてしまった桐ちゃんを、ジーンズ姿の神様はむしろ面白そうに眺めていた。
「この娘が当代の柱の姫か?」
「当代の娘です」
 神様の問いに銀ちゃんが答える。
「ふむ。なるほど、幼いのに力の強い娘じゃ。頼もしい。それに、主、お前、そんなものをどこで拾って来た」
 神様に指を突きつけられて、僕はびっくりしてしまった。
「え? 拾って? 僕が何か?」
「それよそれ。お前の左肩に乗っておるそれじゃ。そのガマじゃ」
 僕は慌てて自分の左肩を見た。確かにそこにはでっかいガマガエルが載っていて、しごくイノセントな眼差しで僕を見つめ返していた。


  ◇◇◇  ◇◇◇  ◇◇◇  ◇◇◇  


 僕の左肩に座っているガマくんは、普通のヒキガエルとちょっと違っていた。
 両目のまぶたの上が角のようにとがっている。普通、目の後ろから脇腹に黒い帯模様が走っていて、それが枝分かれして肩まで黒いベルトが走っている個体もある。でも胸側はほとんど白いのが普通だ。僕のガマくんは顔を囲むように目の後ろから肩、胸までぐるりとひと続きの帯がついていた。しかもモルフォ蝶のような鮮やかな金属光沢の青の帯なのだ。


「あ、お前もしかして伊吹山で壺に入ってたヤツか。でも何でこんなとこいるの」
 思い出した。2年前の春に、伊吹山の自然観察クラブで冬眠中のヒキガエルを掘る活動があったのだ。冬眠から覚めて車に轢かれないように、自動車道脇の落ち葉に埋もれて眠っているカエルをバケツに入れて、道路から遠い安全なところで埋めなおす作業を20人ぐらいの小中学生とレンジャーの人でやってた。あの時のカエルだ。

「壺の中? カエルが?」
 銀ちゃんが怪訝な顔をするので、自然観察クラブのことを説明した。
「僕、ちょっと道路から離れたところまで入ってしまって、そしたら変な声が聞こえて」
 ヒキガエルの鳴き声というより、コントラバスのような長く響く低い音だった。でもその時僕の頭はすっかりカエルモードになっていたので、山の中で変な音楽が聞こえることを不思議に思うより、珍しいカエルでも見つかるかも、と地崩れで出来たらしいちょっとフカフカした斜面をスコップで掘り返した。改めて考えると不思議だ。古びた壺を手に取った時、中からカエルが出て来ることを何も疑わなかった。果たして、この綺麗なガマくんが真面目な顔で底に座っていたわけだ。

「壺の口に何か封がしてあっただろう」
 ジージャン姿の神様が言う。
「ボロボロの紙で覆ってあって、紙の帯みたいなのが貼ってありました」
「ふうむ」
 女神さまが言う。
「ふうむ」
 神様が言う。

「克昭、お前、帯剥がす時、ヤバイかもとか思わんかったん?」
 銀ちゃんが呆れた顔で聞く。
「でも、息苦しいだろうし、早く出してあげようと思って」
 僕がそう言うと、ますます呆れた顔をされた。そうだ。あの時、僕は開ける前から中にこいつがいるのを知っていた。

「そのガマは2、300年は生きておるぞ」
 女神様に言われて驚いた。もちろん只のヒキガエルとは思ってなかった。それに、このカエルが300歳なのと、剣から神様が出て来るのと、81歳の金髪ギャル、どれが一番不思議なのか検討つかない。
「おそらく蠱毒の術に使われたものであろうの」
 神様に言われても、僕には何のことかわからない。孤独? 300年もあんな壺に閉じ込められてどんなに寂しかっただろう。
「まあ、そのガマの事情はおいおい聞き出せば良い。シズク殿の養い子が通訳してくれるだろう。主、ガマより娘を気にかけろ。よくよく話を聞いてやるのだぞ」

 振り向くと、桐ちゃんはおばさんの膝に抱かれたまま泣き疲れたように眠っていた。
「風邪なぞ引かせぬようにの。我はしばらく休む。何かあればまた呼べ」
 そう言うと、唐突に神様の姿が変わって無精ひげを生やした神主さんに戻った。神主さんは剣を両手に掲げて深々とお辞儀すると、ふう、とため息をついた。
「祖母さま、剣はまたこの社に安置していいですか?」
「祖母さまって呼ぶんじゃないよ。年取った気がするだろ」
 神主さんに聞かれた金髪ギャルは、ビシリと言い返した。81歳って紛れもなく後期高齢者だと思うんだけど。
「サクヤが白木の台を拭いておいてくれた。榊を持っといで」
 
 白木の台に白い布をかけて、白木を組んだイーゼルのようなものに神剣を立てかけた。白い花瓶に緑の枝。白木の三方にお酒と塩。
「お供え、酒でいいですかね。何がお好きでしたっけ。俺、ガキだったからよく覚えてないんですよ」
 神主さんが首をひねる。
「大丈夫、ちゃんと頼んでおいたから」
 巫女姿のおばさんが言った途端に、コンコン、と軽い音で拝殿の戸がノックされた。
「もう、ええですか?」
「さっちゃん。ちょうど良かった。買って来てくれた?」
「はい。ここに」

 入って来たのは、艶やかな黒髪を腰まで垂らしたスラリとした女の人だった。さっき踊っていた時の桐ちゃんと巫女さんの姿によく似ている。この人が桐ちゃんと銀ちゃんのお母さん、サクヤさんに違いない。なるほど、麗人だ。
「あら、桐、寝ちゃったん」
 桐ちゃんの傍にひざまずいて、優しく髪を撫で始めた。そしてふい、と僕の方を見上げてにっこり笑った。
「克昭さん? 桐とトンちゃんがお世話になっております」
「あ、いえ。こちらこそ」
 僕が恐縮していると、神主さんとおばさんも順番に挨拶してくれた。桐ちゃんのお父さんの麒治郎さんとお祖母さんの咲(えみ)さん。みんな優しそうだ。
「それで、これ」
 サクヤさんが神主さんに手渡したのは、瓶に入った牛乳と小さな袋に入った駄菓子。赤ちゃんがよく食べる卵ボーロだった。
「ミカちゃん、これが好きなんよ」
 受け取った神主さんは、さらに首をひねった。
「ほんまか? サクヤの好きなもんとちゃうんか?」
「ほやけど、よう一緒に食べたもん」
「まあええわ。お供えしとこう」
 丹精な白木の三方の横に牛乳瓶と卵ボーロ。何ともシュールな光景だが、アットホームなこの神社らしいという気もする。

 床で寝ていた豊くんを起こして、眠ってしまった桐ちゃんは神主さんが抱き上げて、一同で母屋に移動した。途中で社務所をのぞくと、山本さんと先輩がお茶を飲みながらおかきを食べていた。
「豊と一緒に宝物殿の片付けしとるて、サクヤさんが言うてたから、俺はどうせ役に立たんけな、思うてここで待っとった。何ぞお宝あったか?」
「んーとね。ミカちゃんとケロちゃん」
 寝ぼけ眼の豊くんが説明する。
「何やそれ」
 先輩は豊くんが頓珍漢なことを言ってもあまり頓着しないらしい。社務所から出て来て、銀ちゃんや豊くんにじゃれながら一緒に母屋にやって来た。

 泣きべそかいて眠ってしまった桐ちゃんを気遣ったり、小さな頃のサクヤさんと一緒にお菓子食べたり。剣の神様は女の子に優しいらしい。でも桐ちゃんをまた困らせてしまった。とうとう泣かせてしまった。言われたように帰った方がいいんだろうか。

 逡巡していると、サクヤさんがふんわり笑いかけてくれた。
「弘平くんが試験勉強するて言うてたわ。克昭さんも、一緒にご飯食べてくやろ?」
「え、いいんですか?」
「コロッケたくさんあるし。おでん、いっぱい作ったから食べていってください」
 先輩は当たり前の顔で食堂に入って行くし、豊くんは早速和室でころんと丸くなって5匹の猫に囲まれている。ちらっと銀ちゃんの方を見ると、”いいんじゃね?”という風に肩をすくめた。

「ガマさんは、みんながご飯の間、こちらへどうぞ」
 サクヤさんが縁側に面した池に案内してくれた。ギボウシとミヤマキリシマとドウダンツツジに囲まれた小さな池だ。
「裏にもうちょっと大きいんもあるけど、こっちの方がみんなのおしゃべり聞こえて寂しくないやろ、思て」
 ケロちゃんを地面に下ろすと、話がわかっていたようにまっすぐに池に向かって歩いて行った。そして300年前からここの主だったみたいに、縁石に陣取った。

 ま、いっか。このまま帰ったら気になるし。桐ちゃんが起きたら、神様に言われたようにじっくり話してみよう。何となくサクヤさんや麒治郎さんが味方になってくれそうな気もするし。
 急にたくさん、桐ちゃんのご家族に紹介されてしまった。今ここにいない、シズクさんと黒曜さんってどんな人だろう。何だかもう後戻りできないところまで深入りしてしまった。でもま、いっか。牛若丸の住んでいる変な森のコミュニティを、僕はすっかり気に入ってしまった。飛鳥高校に来て良かったな。当分退屈しそうにないや。


 ◇◇◇  ◇◇◇  ◇◇◇  ◇◇◇  


 僕の目の前にはそれこそズラリと不思議なものが並んでいた。
 和洋東西玉石混交。硯の横に真珠のタイピンが置いてあったりする。極彩色の大きな壺や、何が書いてあるのかわからない掛け軸。お城にありそうな立派な振り子時計や武者人形。
 値札が付いてないものがほとんどだけど、高いんだろうなとは想像できる。高価過ぎるものはまず買えないし、買ったとしても持ち歩くのが不安だ。大きかったり重かったりするのも不便だろうし、手頃な値段で手頃な大きさのものが有難い。


「依り代ってどんなもの?」という僕の質問に、豊くんの「ポータブル水たまり」という答えにますます混乱し、そこに銀ちゃんや弘平さんがいろいろ解釈を付け加えて、今みんなで豊くんの店に来ているわけだ。目的はガマくんの依り代だ。
 
 僕は結局、試験休み期間、毎日弘平さんに拉致されて、強制的に銀ちゃんの家に連れて行かれた。豊くんも一緒だ。銀ちゃんの部屋は土蔵を改築した離れで、母屋と渡り廊下で繋がっている。離れには二階に六畳ほどの部屋が4つあって、子ども部屋の他は下宿や客間に使っているらしい。一階は物置きで、さらに地下室があってなんとグランドピアノとドラムセットがあってびっくりした。ピアノはサクヤさん、ドラムは麒治郎さんが演奏するらしい。禰宜の山本さんがベースで、ジャズトリオを作っていると聞いてさらにびっくりした。神社でジャズ。クールだ。
 試験勉強と言っても、豊くんも銀ちゃんも大して勉強が必要ないらしい。豊くんはたいてい寝ているし、銀ちゃんはしょっちゅう呼ばれて拝殿や母屋に走って行って用事を片付けている。弘平さんは試験休みに家にいて勉強しろとガミガミお母さんに言われるのがイヤで、ここに逃げて来ているのだ。それでも一応演習問題を広げて、銀ちゃんに宿題を出されて勉強らしいことをしている。ゲーム機やグラビア雑誌を持ち込んで、銀ちゃんにお説教をくらったりしながら楽しそうだ。どうせ部活もないし、僕も仕方なく銀ちゃんの部屋で勉強した。わからないところはすぐ聞けるし、適度に気が散ってかえってはかどった気がする。
 グラビアと言えば、銀ちゃんはアイドルグループやアニメみたいなサブカルにはほとんど興味が無いらしい。メジャーなグループの名前ぐらいは知っているけど、メンバーの名前はひとつもわからない。僕も特に好きな方ではないけど、中心的なメンバーの顔と名前ぐらいは個体識別できる。織居家の面々はあまりTVを見ないらしい。TVは鏡の女神様が入っている81歳のきささんの和室にしかなくて、見たい人はそこで見る。でも毎朝4時とか5時に起きて境内の掃除をしたり、弓を引いたり、お祓いしたりと忙しいので、和室は夜9時に消灯なのだ。桐ちゃんが動物番組なんかを予約録画して見せてもらったりしていても、だいたい半分も見ないうちに寝てしまうそうだ。そういえば、銀ちゃんも学校の5分休みなんかに時々寝ている。神社の生活って大変だ。
 そのせいか、毎日神社に通っていても、桐ちゃんとはほとんど顔を合わせなかった。桐ちゃんは小学校から帰って来ても、神社の仕事や咲さんのお教室の手伝いで忙しい。6時過ぎにはご飯を食べて8時には寝てしまう。試験勉強が一段落して僕らが帰る頃には、いつも桐ちゃんは寝ているのだ。
 ガマくんは消えたり現れたりした。いつの間にか僕の左肩にいたり、神社の池にいたり、学校の裏の池に出て来たり神出鬼没。ガマくんの事情について、豊くんに聞いてみたかったが、なかなか聞けなかった。
 神様は”シズク殿の養い子に通訳してもらえ”と言った。前後の文脈で、それが豊くんのことだとわかったけれど、そうしたら今いない”シズク殿”のことを聞かないといけない。桐ちゃんは”克昭さんがシズクちゃんみたいに消えちゃったらどうしよう”と怯えていた。銀ちゃんもシズクさんのことを口にしない。もちろん豊くんも。
 試験休みの3日めに離れで勉強していると、鏡の女神様入りのきささんが揚げ立てのドーナッツとコーヒーを持って現れた。今日は長い金髪を結い上げて着物を着ている。
「あれ。キョウちゃん、今日お休み?」
 豊くんがコーヒーを受け取りながら聞く。キョウちゃんというのは鏡の女神様のことらしい。
「そうなんよ。ミカちゃん呼び出すの手伝って、ちょっと疲れたみたいやね。昨日から鏡に戻って寝てはるんよ」
 女神さまが抜けていても、81歳の桐ちゃんの曾お祖母さんは女子大生ぐらいにしか見えない。どうなっているのか聞いてみたい気もするけど、切りがないので気にしないことにする。
「ほんで。克昭くん、ケロちゃんは?」
「学校の池が気に入ったみたいで、さっきは池のギボウシの影にいました」
「そうなん。あのコ、名前つけたった?」
「名前?」
「名前つけて縛ったらんと、あのコ、消えてまうよ」
 きささんが言うには、ガマくんを蠱毒の術に使った術者も、呪われた対象も、この2、300年の間に消えてしまったと思われる。おそらく契約か術者の念が残っていてガマくんを縛っていたが、この前、剣の神様がなぎ払った時にけし飛んで、ガマくんは自由になった。
「克昭くんが新しい主になって契約結んで縛ってやらんと、あのコ、もう寿命残っとらんし、早晩消えてしまうで」
 女神さまが寝ていても、きささんにはいろんなことがわかるらしい。咲(えみ)さんもすごい霊能者らしいし、この神社に出入りして三日で、僕はここの人達についてあまり疑問を持たなくなってしまった。
「でも、せっかくやっと自由になったのに、また縛られたら可哀想じゃないですか」
「ようやっと自由になったのに、さっさと消えてしまうのも可哀想かもしらんよ。本人に聞いてみたらどないやろ」
「契約結ぶとして、僕にそんなことできるんでしょうか?」
 というわけで、試験が終わった金曜日、ガマくんはなかなか捕まらないから、まず名前と依り代を準備することにした。ジージャンの神様が入っていた剣とか、女神さまの鏡とかがいいんだろうけど、そんなもの一介の高校生には手に入らない。”ポータブル水たまり”というのは、近くに綺麗で居心地のいい水辺が無い時にそこでガマくんが休憩できるような場所、という意味らしい。
 ガマくん、どんなところが好きだろう。湿ってて薄暗くて静かな場所。ガマくんの首飾りの色と合うような、青いものがいいな。そう考えながら豊くんの店をうろうろした。金属の卵型の小物入れを見つけて手に取ってみた。七宝で青地に睡蓮の花や葉が描いてある。卵を囲むように銀色のカエルやガマの穂にとまったトンボなんかが作ってあって、すごく緻密で綺麗だった。
「あ、それ、ファベルジュのアンティーク。一応ザザビーのカタログにも載ったことある本物だよ。うちに来る途中でトンボがひとつ逃げちゃったから安くするよ」
「いくら?」
「300万」
 僕は絶句してしまった。カエルの目や水滴なんかが全部ルビーやダイアモンドで、純金製。確かに重いはずだ。3万円ならお年玉貯金で買えるのに。
 弘平さんは僕にじゃれついて”これどないや”と変なものばかり勧めていたが、銀ちゃんは少し離れたところで和箪笥の上に並べられた小物を見ていた。と思ったら、急に不自然な姿勢でバランスを崩したと思うと、銀ちゃんが背中から倒れそうになった。慌てて銀ちゃんの腕を掴んで引っ張り起こそうとしたけど、急に何かに頭を押さえつけられて僕の方がバランスを崩した。何とかふんばろうとしているところに、何かが足元をすり抜けた。
 結局僕は土間に尻餅を衝き、その上に銀ちゃんが倒れこむ、という始末になった。弘平さんがとっさに腕を支えてくれたので、お尻打って目に火花が散るだけで済んだけど、まともに倒れたら危なかったかも。
「おまえらー。何やっとおん」
 弘平さんはケタケタ笑っていたが、急にふっと優しい顔になって銀ちゃんの頭をガシガシなでた。
「トンスケ、おまえ、あれ以来やろ。この店来たの」
 銀ちゃんはちょっとぼんやりした顔をしていたが、くしゃっと笑ったような泣いたような表情を浮かべた。
「そうやな。あれ以来や」
 あれ以来、というのは何のことか聞きたかったが、足元にさっき僕と銀ちゃんを転ばそうとしたフカフカの毛の猫みたいな生き物がいたので機会を失った。スコティッシュフォールドみたいに耳が垂れてて、目が大きくて、とにかく可愛い。
 尻餅から体勢を立て直してその動物をなでようと思ったら、さっき僕の頭を押さえつけた何かが今度は頬をすりすりして来た。とにかく大きい。そして半透明でプニプニしていて可愛い。ホタルをでかくしたような質感だ。これもホタルの親戚だろうか。
 そうして我に返ると、店内は生き物だらけだった。大小のケモノや小さなお爺さんや、蝶のような羽のついた妖精や、着物を着た女の人や、何でもござれでとにかくやかましかった。300万円の金の卵にのっかったカエルがくしゃみしている。掛け軸に描かれた白鷺が飛び立って、硯の池に足を下ろした。
「で? 克昭、おまえどれにするか決めたんか?」
 弘平さんに聞かれた僕はため息をついた。
「無理です。どれも手が出ません」
 この店の品物は、どれも先約がある。先住者がガマくんとケンカせずに付き合ってくれるか甚だ不安だ。
「ほやな、ここの、どれもごっつい値段やもんな」
「そしたら、これ使う?」
 銀ちゃんがカバンから出して来たのは、石のストラップだった。紫の細い紐を編んだものに鮮やかな青い石がついている。
「咲さんがこういう紐飾り、作るの好きなんだ。これ、お前にあげたいって言って預ってた」
「トンちゃーん。営業妨害ー」
 豊くんが口を尖らせてからかうように言う。
「どうせ、ここの、空家なんか無いくせに」
「だったらどうして来たの?」
 豊くんに問われて、銀ちゃんは何とも言えない寂しそうな顔で見つめ返していた。この2人の間にはどうやら長い物語があるらしい。
「ありがとう。ガマくんが気に入るか、聞いてみるよ」
 僕は受け取ってストラップをバッグにぶら下げた。
「聞いてみるって、克昭、お前、300万円はともかくここのン万円するものを依り代に用意して、もしあいつが契約なんかイヤやて言うたらどうするつもりやったん?」
 銀ちゃんに聞かれて僕はあまり考えずに答えを出した。
「別に契約とかじゃなくていいんだ。依り代が緊急避難場所になって、ガマくんの寿命が延びて時々遊びに来てくれれば」
「物好きな」
 くしゃっとゆがんだ顔で銀ちゃんが笑った。この独特な歪んだ笑顔も銀ちゃんらしいけど、天真爛漫な笑顔も見てみたいな。銀ちゃんと桐ちゃんが大きく口を開けて笑い合ってるところを、いつか見てみたい。
「この店、桐ちゃんもよく来るの?」
 僕が聞くと、豊くんが広げた骨董品をしまいながらポツンと答えた。
「最近、来ないよ。去年から」
 そうなのか。桐ちゃんはここのへんてこな生き物と仲良くしそうなのに。本当は来たいんじゃないのかな。いつか一緒に来てみたいな。その前におこずかい貯めないと。
 豊くんはいつも居眠りしているかへらへら笑っているかだけど、何というか、心から笑っていない気がする。この年にもなるとみんな何かしら屈託や紆余曲あるものだけど、銀ちゃんや豊くんや桐ちゃんの抱えているものは、何だかややこしそうだ。弘平さんはケタケタ笑いながら2人にじゃれついているけれど、時々すごく寂しそうだし。
 うん。慌てないことにした。生態学者の第一歩はまず観察すること。介入しないで、生き物がそのままの気持ちでのびのびと行動して、何がしたいと思っているのか見極めることだ。できるだけ主観や偏見を交えずに。ガマくんのことも、せっついて見つけ出すのはやめよう。もし寿命があって、消えてしまうとしたらきっとその前に会いに来てくれると思う。その時、ガマくんが何をしたいのか、聞いてみよう。
 桐ちゃんは僕に帰って、と言った。僕に消えて欲しくないと言った。桐ちゃんは本当は何を望んでいるんだろう。ホタルを従えた水脈を守るお姫様。彼女を、彼女が守りたいと思っている水辺ごと守ってあげたい。そして屈託なく笑って欲しい。絡んでこんがらがった糸を、慌てて切ってしまわないで、丁寧に結び目を見極めて解いてあげたい。
 その水辺でガマくんものんびり余生を送れたらいいよな。そして僕は観察日記をつける。
 ダメかな、こんなバカみたいな夢、現実感ないかな。でももう、ホタルや神様や女神様と知り合いになってしまったし、この店も愉快な生き物でいっぱいだし。現実感なんかどっか行ってしまった。うん。だから慌てないことだ。とりあえず口笛の練習を続けよう。


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