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白い花の唄

笛吹カトリ(karicobo)の日記、一次創作SF小説『神隠しの惑星』と『星の杜観察日記』のブログです。

GO! GO! 桜さん!   (語り手: 麒次郎)

2024年09月05日 23時12分46秒 | 星の杜観察日記
 それは本当に突然だった。もっとも、桜さんの言い出すことはいつも唐突で、そして桜さんは言い出したら聞かない。
 そしてそれは、まるっきりの唐突というわけでも無かった。少なくとも俺にとっては。俺は多分、9歳ぐらいの時には俺とサクヤが結婚する可能性はあるだろうか、と思案していた。

 でもサクヤは、生まれた時から鷹史……俺の兄のものだった。比喩ではなく、文字通りの意味で。
 兄の鷹史は宇宙人だ。これも比喩ではなく、文字通りの意味で。長兄の仁史が5歳の時、ひとりで裏山に迷い込んでしまい、探し回っていた母のところに、狐にでもつままれたような顔でひょっこり現れて、言ったそうだ。
「あのね。僕、弟を見つけたよ。だって僕とそっくりの男の子だもん」
 母が駆けつけてみると、2歳くらいに見える鷹史が、これまたキョトンとした顔で座っていたそうだ。着ている衣類が変わっていた。見たことのない繊維で、デザインも変わっていた。敢えて言うと、中東の少数民族が着ていそうな服だったらしい。どうみてもその子には大き過ぎる服を、ぶかぶかに纏って寒さに震えていたそうだ。確かに顔は、仁史とそっくりだった。だが銀色の髪に金色の瞳。一目で日本人とは思えない外見だった。変わっているのは外見だけではなかった。鷹史は飛べる。物を浮かせる。人の考えが読める。他にもいろいろ息をするように簡単に魔法のようなことをする。そしていつも、キョトンとした顔で、泣きも笑いもしない。一言も言葉を発しない。親戚があれこれ煩いので、母は鷹史を連れて住吉神社に避難した。翌年、住吉の葵さんのところにサクヤが生まれた。サクヤは生まれた直後こそ産声を上げて泣いたものの、見舞いに来た母が連れていた鷹史の顔を見た途端、鷹史そっくりのキョトンとした表情になり、そして泣かない子供になってしまった。それから3年間、2人は片時も離れず、無表情にふわふわ浮いている不気味な子供だった。母が音を上げて、妹の希(のぞみ)さんに相談したところ、息子の望(のぞみ)を連れて来た。ちなみにこの母子は血が繋がっていない。望の父は再婚で希さんと一緒になったので、2人の名前が同じなのはまったくの偶然だ。それはともかく、2人の宇宙人はなぜかあっという間に望に懐き、笑い、話し、地面を走り回るようになった。つまり俺が生まれた時には、2人とも地球人仕様になっていた。とはいえ、2人の間にはとても割って入れない絆があって、俺は2人が一緒にいるのを見ると不機嫌になってしまうようになった。とてもお似合いの、仲睦まじい従兄妹同士。言葉も要らないほど以心伝心の幼馴染み。そんなの不自然だ。サクヤは生まれた時から鷹史に支配されている。サクヤは独立した自我を確立すべきだ。
 周囲の人間は、2人を当たり前のように許婚同士として扱う。そんなの不自然過ぎる。サクヤが5歳の時に桜さんが大きな発作を起こした。桜さんは“柱”と呼ばれる、ほぼ日本全体を覆う結界の要だったが、もうその役割を果たせず、サクヤが次の柱になった。見えない巨大な網に捕まってる感じ。住吉神社を中心に、ほぼ半径5キロ範囲しか動けない。臓器への負担がひどくて、消化の良いものしか食べられない。サクヤは5歳から、チョコレートも唐揚げも食べられない人生を送ることになったのだ。サクヤが12歳の頃だったか。俺はそれがどんな残酷な質問か気付かずに、聞いてみたことがある。『自由になったら、何がやりたい?』するとにっこり笑って言った。『海が見たい。そしてね、これ内緒やよ。私、ロケット作る人になりたいの』なんとも素っ頓狂な答えに思えて、6歳の俺は笑ったと思う。でもサクヤは本気だった。光さんに頼んでロケット工学の専門書など取り寄せてもらって、英語の辞書引きながら読むようになった。ロケットで遠くの惑星に行って街を作るには、どんなことも役に立つからと言って、外国語、政治経済から物理、数学、学校に行けなくても、鷹兄ィやのん太に教えてもらって一人で勉強していた。こんな理不尽なことがあるだろうか。俺はサクヤや住吉の抱える運命に腹が立つようになった。そんなサクヤの傍にいながら、何の問題もないような気楽な顔してヘラヘラ笑っている鷹兄ィの顔を見ると、ムカムカして殴りたくなってくる。

 サクヤが10歳の時、天変地異が起こった。住吉神社の大祭の日。白い装束を付けて神楽を奉納した後、サクヤの父……新さんが消えた。青天の霹靂。快晴の秋空にいきなり雷鳴が轟き、地面が鳴動した。雷が桂清水の桂の木に落ちたのだ。もともと1000年前に落雷して黒焦げになり、どういうわけか真っ黒いガラスになっていた木だった。その時点で梢の枝部分はすべて焼失していたのだが、残っていた幹にまた落雷して真っ二つに裂けた。続けざまに今度は摂社の拝殿に雷が落ちて燃え始めた。雲ひとつない晴天だったのが、一転真っ暗になった。大祭に集まっていた人々は、突然のことにその場を動くことも出来ず、呆然としていたらしい。俺は当時4歳だった。母を手伝って御札か何かを運んでいたと思う。とっさに母は身を低くして、俺をかばった。『動いたらダメ』『やけど』俺は母の手を振りほどこうと、藻掻いた記憶がある。サクヤは無事か? 鷹兄ィは? 桜さんや葵さんは? 一瞬のことのようにも、随分長い時間だった気もする。何度か地面が揺れた。ふっと身体が軽くなって、空が明るくなった。何事もなかったかのような青い空。遠くから誰が呼んだのか消防車のサイレンが近づいて来る。
 事態が落ち着いてみると、新さんがどこにもいなかった。まだ2歳の都が昏睡状態に陥っていた。桂清水の桂は、幹がほとんど半分以下の高さに割れてしまって根本部分だけになってしまった。ボヤが出た丹生神社は、消火が早かったので被害は少なかった。表面上は。この時、御神宝の鏡から8つの宝珠が奪われた。そして住吉が住吉になる前からこの山を守っていた、真の御祭神。桂清水の桂の木に宿っていた綺麗な黒い神様が、攫われてしまったのだ。
 この時、住吉は実質、2人の守り神を2人とも失った形になった。そのためバランスが狂って、竜宮へ下りる扉が開き、新さんと都が落ちたのだと解釈した。都は幸い、希さんと鷹兄ィが呼び戻すことが出来た。でも新さんは帰って来なかった。神隠しに遭った人が、何年も経って、遠く離れた場所でひょっこり見つかった言い伝えもある。葵さんは、それこそ世界中、新さんを探した。普段ぽおっとしているが、母は葵さんには千里眼があると言っていた。その葵さんにも見つからない。
 この頃から、サクヤはよく考え込むようになった。家族や禰宜さん達の前では、気丈に朗らかに振る舞っているが、父親が目の前で消えたのだ。ショックを受けて当たり前だ。
「ねえ、きーちゃん。きーちゃんは仁史さんと一緒に、関東におった方がええんとちゃうやろか」
 そんなことを言い出した。
「なんで俺だけ? 鷹兄ィは?」
「だって、きーちゃんまで消えちゃったら? 私、怖い」
 顔が真っ青だった。手が震えている。
「サクヤ、また具合悪いんとちゃうか? 誰か呼んで来るか?」
「ううん。ええの、ここにいて。きーちゃん、手をつないで」
 石段に腰掛けて、サクヤは俺の手をぎゅううっと握った。
「だってもう、鏡ちゃんの石もないし、黒曜もいないし、私、どうしよう。みんなを守れない。きーちゃんまで消えちゃったら、私」
「大丈夫」
 俺は勢い込んで言った。サクヤの手を握り返した。手が冷たい。
「大丈夫。俺、強くなる。サクヤを守ってやる」
 サクヤはびっくりした顔で、俺をみつめ返していた。鹿が2頭に、猫が5匹集まって来て、俺達を囲んだ。
「な? みんな、サクヤの味方だ。ひとりじゃない」
「……うん。ありがとう」
 サクヤがポロポロ涙をこぼして泣き始めたので、俺はびっくり仰天してしまった。サクヤが泣いているところなんか、見たことない。
「大丈夫。守ってやる」
「うん……うん。ありがと、きーちゃん」
 これが、最初の約束だった。この頃から、俺の気持ちは変わっていない。

 その後、サクヤは最初から決まっていたかのように鷹兄ィと結婚し、トンスケが生まれた。そしてトンスケが2歳の時、鷹兄ィは消えた。俺やサクヤや望の目の前で。この時も、サクヤは泣かなかった。
 ところが今、またサクヤは俺の手を握って泣いている。
「だってもし、きーちゃんまで、鷹ちゃんみたいに消えてしまったら」
 この朝、俺とサクヤはいきなり桜さんに呼ばれたのだ。
「これから、あなた達の婚礼をします」
 有無を言わせない圧力だった。目が座っている。
「桜さん、急にそんなこと言っても、さっちゃんもきーちゃんにも、心の準備が要るよ」
 さすがの光さんが反対した。その日の早朝、いきなり桜さんから電話をもらって新幹線で飛んで来た親父も混乱していた。
「確かにさっちゃんときーちゃんは仲良しだけど、だからってすぐ結婚だなんて」
 おふくろも意見した。しかし桜さんは後に引かない。
「桜さん、サクヤが可哀想です」
 瑠那もサクヤをかばった。
「心なんて、夫婦になってからついて来るもんです」
 緊急家族会議が開かれた。桜さんは先週、大きな発作を起こして昨日退院して来たばかりだった。桜さんが安心するなら、婚姻届なんかは後回しにして形だけでも結婚式挙げたら、という意見が出た。これに反対したのが、サクヤである。
「私、イヤです!」
 あまりにきっぱりした拒絶だったので、俺は少なからずショックを受けた。
「きーちゃんまで消えてしまったら、私、きーちゃんまで……」
 サクヤはそれ以上、言葉が続けられず、部屋から走り出て行った。おふくろに肩をどやされて、慌てて後を追った。
 母屋と蔵をつなぐ廊下に、サクヤが立っていた。ここは中庭を望むサンルームのようになっていた。シクラメンやクンシラン、ハナキリン、ゼラニウムの鉢が並んでいて、冬なのに花畑みたいだった。サクヤのお気に入りの場所なのだ。サクヤがまた震えているので、俺はそっと手を握った。
「座り。貧血起こすぞ。今、ヒーター入れてやるから」
 籐椅子にサクヤを座らせて、籐細工のテーブルにいつも置いてあるティーポットから、ぽこぽこほうじ茶を入れて湯呑みを渡した。ついでに、ここに来る途中調達して来たタオルも渡した。
「ほれ。お茶。そんなに泣いたら脱水症状起こすぞ」
「……」
 サクヤはまだ言葉が出て来ないようだった。
「サクヤが泣いてるとこ見たの、2度めだな。なんかうれしいよ。2度とも、俺を心配して泣いてくれたんだな」
「だって」
「だって?」
「だって、きーちゃんのこと、大事だもの。生まれた時、こんなにちーちゃくて。私、きーちゃんが消えちゃったら……」
「わかったわかった。でも、俺は消えないよ」
「どうして? どうしてわかる?」
「おふくろも鷹兄ィもそう言ってたから」
「え?」
「俺は“音痴”だから、竜宮には行けないんだってさ。鷹兄ィが“悔しいから教えたくなかったけど”って、教えてくれたのが、消える前の日だった」
 サクヤは、ぽかんと口を開けた。そしてまたポロポロ涙をこぼし始めた。くそ。だから言いたくなかったのに。鷹兄ィは続けてこう言った。
“だから、俺が竜宮に落ちてしまったら、サクヤと鳶之助を頼む”
 俺は“冗談言うな”と殴ろうとしたが、鷹兄ィはひょいと避けて、いつもの気楽そうな笑顔を見せて、行ってしまった。そのことは、サクヤには内緒だ。

「俺は大丈夫だ。だからずっとサクヤといる。約束する。前に言ったろ? 守ってやるって。だからサクヤも俺のこと、守ってくれ」
 涙でぐしゃぐしゃのサクヤの頬にキスをした。サクヤがぽけっと俺を見ているので、籐椅子の横に跪いて、サクヤの手を取った。
「結婚しよう。2人でトンスケを守ろう。あいつ、可愛くないだろ。ずっと鷹兄ィの代わりをしようと頑張ってる。そんなの良くない。子供は子供らしくないと。それが子供の仕事や。大人が子供を守らんと。な。あいつが子供らしく、伸び伸び笑えるように」
 サクヤはまだポカンとしている。何だかこんな顔、初めて見る。そもそも泣いてるところからして、珍しい。いつもと全然違う人間に見える。可愛い。
「織居咲也さん、結婚してください」
 そう言ってキスをした。
「返事は?」
 サクヤはタオルで顔を隠してしまった。
「だって。顔がぐしゃぐしゃで。こんなじゃ、結婚式なんて」
「花嫁抜きじゃ、何にも出来ないんだから、待たせときゃいい」
 俺はもうひとつ籐椅子を引きずって来て、サクヤの傍に座った。
「目の赤いのが治るまで、ここでのんびりしてようぜ」
 そこへホタルがうじゃうじゃ集まって来た。こいつらは塩を舐めるのが好きなのだ。
「泣き止まないといくらでもホタルにたかられるぞ」
 るーるー鳴いてるホタルに舐められるのがくすぐったくて、サクヤはとうとう笑い出してしまった。そうして、しばらく中庭を2人で眺めて、家族が集まっていた広間に戻った。
 結婚式はあっさり簡単に終わった。俺は一応紋付袴を着せられた。サクヤは薄桃色の草木染の着物を着た。三々九度の酒を飲んでおしまい。突然の話だったので、宴席も無し。昼食はいつも通りのおふくろの手料理だった。食後、桜さんが橘さんに頼んであったお菓子があるから、2人でお使いして来て、と言い出した。サクヤが車を出す、と言い張ったが、雪が降り出したので、徒歩で行くことにした。免許取り立てなのに、濡れ雪でグズグズの道など運転させられない。大きな傘に2人で入って、ぼたん雪を見ながらゆっくり歩く。午前中の狂騒がウソのようだ。頼んでいたのは、桃色と白の半球型の干菓子をひとつに合わせて和紙で包んだものだった。これを小さな箱に詰めたものを、なんと200個も。結婚祝いのお菓子のつもりらしい。披露宴の予定などないのに、どうするのか聞いたら、桜さんはこともなげに、『集まった人に配ればいい』と言った。一同不思議に思ったが、桜さんのことだから何かまた考えがあるのだろう、と納得した。
 橘さんからの帰り道、参道を足元を気をつけながら、ゆっくり歩く。
「あのさ。布団のことだけどさ」
「布団?」
「俺たち、部屋、別々だろ?」
 俺は離れの二階、サクヤは母屋の和室だ。
「まだ当分、そのままでいいよ。サクヤも急に、困るだろ?」
「……ごめんなさい」
「俺もまだ学生だしさ。慌てること、ないだろ? それこそこういうことって、心の準備というか」
「ありがとう」
 そういうことにした。男心はフクザツだ。でもサクヤがほっとしたように微笑んだので、良かった、とこっちも安心した。

 母屋に帰ってみると、騒然としていた。桜さんがまた何か言い出したかな?と思いながら、荷物を抱えて桜さんの部屋に向かうと、みなが集まっていた。桜さんが布団に寝ていて、枕元に丸山先生。桜さんの顔には白い布がかけられていた。瑠那が火の付いたように泣いていた。
「今。たった今まで、一緒に話してたのに。どうして? 昨日、退院したばっかりなのに。さっき、美味しそうにニシン蕎麦、食べてたのに」
 
 結局、紅白のお菓子は弔問客に配ることになった。桜さんがどこまで計算していたか、わからない。でも客はみな、さすが桜さん、と妙に納得して、首をふりふりして帰って行った。

 鏡の宝珠が消え、黒曜が攫われ、桜さんまで失った。新さんは相変わらず見つからないし、鷹兄ィも帰って来ない。サクヤもトンスケも相変わらず朗らかに過ごしているが、住吉の空気は暗かった。そうこうしているうちに、瑠那がイタリアで行方不明になった。光さんがすぐあっちに飛んで、事情を知ってる人に会って来た。信頼出来る人々といるから、信じて待とう、と光さんは言った。待つしかないが、不安も募る。そうして2年が経った。

 そんなある日、おふくろが俺にリストを渡した。蔵の茶器を探して欲しいと言う。
「この界隈ではちょっと有名な数奇者の方でね、古文書によると住吉にあるはずだから、ぜひ見たいって群馬からわざわざいらっしゃるとおっしゃるのよ」
「箱書き、ちゃんとあるんだろうな。中味だけ見ても、俺はわからないぞ」
「さっちゃんならわかるから、2人で探してくれる? 私、そろそろ午後のお教室の時間だから」
 思ったより大変な作業だった。蔵に積んである箱の大半は、ろくに箱書きなんかない。真田紐も切れてるような、古ぼけたものばかり。ひとつひとつ、紐を解いて中味を見て、これだろうか違うかな、と2人で顔を突き合わせていると、あっという間に3時間経っていた。
「とても一日では終わらんなあ」
「休憩しようぜ。その物好きな客が来るのは来週やろう。先生に付喪神動員してもらって、総員態勢でやらんと2人じゃどうしようもない」
「ほうやね、そうしよか」

 どこまで確認したかわかるように、箱の列を変えている時だった。突然、ひどい縦揺れが蔵を襲った。屋根裏から箱が次々落ちて来て、俺たちの頭上に降って来た。咄嗟にサクヤをかばって、2人で床に伏せた。
 また襲撃だろうか。新さんや鷹兄ィが消えた時のような? 雷は? 耳鳴りは? これ以上、揺れは来ないようだ。明かり取りの窓から見える空も正常だ。雷鳴や雷もない。ただの地震だろうか。
「サクヤ。大丈夫か。どこもうってないか?」
「大丈夫。きーちゃんがかばってくれたし。きーちゃんこそ、大丈夫? 頭、打ってない? 背中、見せて」
 俺の下で、サクヤが身じろぎした。両手で俺の顔を包んで、気遣わしげに俺を見つめている。2人の身体がぴったり重なっている。お互いの顔は10センチも離れていない。
 もうサクヤから目を離せなかった。サクヤも俺を見つめている。重なった身体が熱い。サクヤの手が足が、胸が、腰が、柔らかくて熱い。何だか甘い匂いがする。胸いっぱい吸い込みたい。
 キスをしたら、後はもう止まらなかった。俺は夢中でサクヤを貪った。唇を、首筋を、うなじを、腰を、細い足を、柔らかい手首を。
 甘い香りがどんどん強くなる。もう止められない。ずっと欲しかった。ずっと我慢してた。ずっとこの瞬間を、俺は待ってた。ああ。ああ。ああ。
「きーちゃん!」
 サクヤの声で、はっと我に返った。俺はなんてことを。サクヤの着物は胸元がはだけて、足も膝まで裾が広がっていた。
「きーちゃん! 血が出てるわ! 見せて!」
 サクヤはさっと胸元と裾を整えると、袂に入れてあった手ぬぐいを割いて、俺の頭に巻き始めた。やたらに手際がいい。
「頭部は血管が集中してるから、血がたくさん出やすいの。傷はそんなに深くないけど、でも打撲が心配やわ。コブとかない? 背中も見せて」
 有無を言わさぬ勢いで、俺の作務衣を剥いで、俺の身体を診始めた。
「良かった。赤くなってるけど、そんな大きな傷やない。でも青あざになるかも。頭は髪があるから、傷が見えんわ。やっぱり脳波調べた方が」
「おまえ、医学の勉強もしとんのか?」
 サクヤがやたらに何でも勉強してるのは知ってた。
「だって、ロケットで行った先が未開の惑星かも知れないでしょ。そしたら自分で医者もやれないと。異星人が長い耳とかしっぽとかある人たちかも知れないから、獣医学も勉強しとんのよ?」
 俺は笑い出してしまった。何て逞しい。俺の嫁さんは、強い。俺が守る必要なんかないんじゃないか?
「ごめん……」
「謝らないで。なんで謝るの?」
「俺、サクヤの気持ちの整理がつくまで、いつまでも待つつもりやった。待てなかった」
「ううん。ううん。あの、私……うれしかった。この頃……きーちゃんが何だか遠くて……だから、もう私のこと嫌いなったのかと思って……寂しかったの」
「え」
「だから、うれしかったの。私……きっと、待ってたんだわ。こうしたかったの、きーちゃんと」
 そう言うと、サクヤがふわっと俺に抱きついた。夢じゃなかろうか。きっと夢だ。俺は気を失った。

 気がつくと救急車の中で、おふくろとサクヤが付き添っていた。病院に運び込まれて、脳波を検査してもらい、異常はない、とすぐ帰された。家族そろって夕食を食べている時、サクヤが突然、
「私、今日からきーちゃんと一緒に寝ます」
と宣言したので、俺はお茶を噴き出して、ひどくむせる羽目になった。
「頭を強く打ったから、この後24時間、目を離さないようにってお医者様、言ってたわ。なんかあった時、離れの2階じゃ運び出すのも大変やもの。きーちゃんに私の部屋で寝てもらって、私が診ます」

 その時だ。食堂で鶴の一声が響いた。
「何言ってるの。私の部屋を使いなさい。さっちゃんの部屋じゃ、狭くてお布団2枚敷けないでしょ」
 全員が口をあんぐり開けて、声の主を見た。オオミズアオのような柔らかな薄緑のキャミソールドレスを着た、栗色の波打つ長い髪の美女。どう見ても20歳前後にしか見えない。だがどこをどう見ても、桜さんでしかない。
「そうそう。せっかく俺が茶釜をぶつけて、ボウズに痛い目見せてしまったんだから、多少の余録はないとな。ぶつかり損だよなあ。な?」
 もうひとつの声の主は、長いストレートの金髪を腰まで垂らした、朱い目の美女。住吉の守り神の一人。ずっと行方不明だったのに、白いTシャツにジーンズ、というラフな姿で、両手を頭の後ろに組んで、ふやふやみんなの頭上に浮かんでいる。
「メノウ?」
「真朱様!?」
「どうしてここに? 宝珠がないのに!」
 みんな口々に質問をぶつける。
「まあまあ。みんな落ち着け。俺もどういうことかわからん。でも宝珠は無いが空っぽの鏡はあるから、この程度の軽い映像なら投影出来る。桜が中継してくれるからな」
「そうだ。桜さん! その姿は!」
「お母さん。ホントにお母さん? 幽霊なの? それともホタルになっちゃったの?」
「もしかしてバンパイアとか。それかゾンビ?」
 またみんな口々に質問をぶつける。
「誰だい、失礼なこと言ったの。でもまあ、私もどうしてこうなったかわからない。とにかく身体が楽だし、鏡ちゃんとも会えるし、いいこと尽くめじゃないか。とりあえずこの身体は、布団はいらないからね。さっきはヒメシャラの木の枝で昼寝した。だから私の部屋はさっちゃんが使えばいいよ。南向きだし、新婚夫婦にちょうどいい」
 盆と正月がいっぺんに来たような、とはこのことだ。メノウと桜さんが帰って来た。
「イタリアで瑠那の様子を見て来たよ。愉快な仲間たちに囲まれて楽しそうにしている。危険はあるかもしれないが、大丈夫だよ。頼もしい連中だから」
 メノウが朗報をもたらした。
「ホント? どんなヤツ? ギャングなの?」
 トンスケが聞いた。
「3人の兄弟だ。兄2人、妹が料理が上手くて、瑠那とも仲いいみたいだ」
「イタリアのどの辺? ご飯美味しいとこ?」
 トンスケの興味は尽きない。
「その妹のスープを味見したが、美味かったぞ。緑の多いところだ。瑠那も居心地良さそうにしてる」
「そっかあ。良かったあ。友達出来たんだあ。いいなあ。俺もイタリア行きたい」

 みんなの関心が瑠那に移ったので、俺とサクヤはそっと食堂を抜け出して、桜さんの部屋に移動した。何だかまだ目が回っているので、布団を敷いて横になった。サクヤは枕元に座布団敷いて、本を3冊積んで寝ずの看病をするつもりらしい。
「別に付きっきりじゃなくていいぞ。サクヤもちゃんと寝ないと。今度はサクヤが倒れるぞ」
「大丈夫。一晩や二晩。この本、読んでしまいたいし」
「今度は何だ? 大気のスペクトル解析? ホントに熱心だな」
「そりゃそうや。だって明日にも結界が無くなって自由になっちゃうかもしれないやろ? そしたらまず種子島行って、ロケットの発射見て、それから筑波行ってJAXA見学して……」
 ホントに逞しい。俺の嫁さんはサイコーだ。俺は布団から身体を起こすと、サクヤを捕まえてキスをした。
「24時間は我慢する。24時間過ぎて異常が無かったら、覚悟しろ。蔵の続きをするからな」
「蔵の続きって……」
 ちょっと考えてから、何のことかわかったらしく、サクヤは真っ赤になった。
「ああっ、クソ。こうなると24時間拷問だな。同じ部屋なのがかえって辛いぜ。それに何か口惜しくないか?」
「口惜しい?」
「メノウと桜さんに、まんまと乗せられてる気がしないか? 負けたーって感じだぜ」
「そんなこと」
 サクヤがふわっと笑った。
「幸せになった方が勝ちじゃない」
 そうしてサクヤが俺にキスをした。ああ、24時間待てない。絶対、幸せになってみせる。桜さん、メノウ、ありがとよ。ついでに鷹兄ィも、ありがとう。俺達は幸せになる。サクヤは俺がもらうからな。ついでにトンスケも。  



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