財政再建の柱:倹約令の施行
蜂須賀重喜は藩の財政が逼迫する中、まず倹約令を発布し無駄な出費を徹底的に削減しました。公的儀礼や参勤交代にかかる経費を抑え、領内の生産活動への投資を優先させることで、財政再建の基盤を築きました。
藩体制の変革:役席役高の制と若年寄の創設
- 役席役高の制
徳川吉宗の享保改革で導入された「足高の制」をモデルに、家中の役職に応じた俸禄を定める制度を導入しました。身分ごとの定額給与化で職務への責任を明確化しようとしたものの、旧来の家格序列との乖離を生み、結果として序列意識が崩れる要因ともなりました。 - 若年寄の設置
藩政の意思決定機関に若年寄を新設し、従来の老中格中心から若手有能者にも参政の機会を与えました。これにより藩内の活性化と俊英登用が図られましたが、一方で伝統派との対立も深まりました。
隠居命令の背景と家督譲渡
明和6年(1769年)10月晦日、幕府は「藩政宜しからず」と判断し、重喜に隠居を命じました。その理由には、急進的改革が家中の反発を招いたことや、幕府との折衝での失態が挙げられます。隠居後は長男・喜昭(のち治昭)に家督を譲り、徳島藩の政務は次代に託されました。