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☆Voli alla gloria☆

路が見えぬなら飛んでしまえ。日々の思考と感覚の記録を綴ってゆきたい、とあるバンカーのブログ。

恋愛論。

2005年05月08日 | 日々是…
よく考えるのは、恋愛のゴールって存在するのだろうかってこと。
一般に想像されるあの二文字は、恋愛のゴールとは言えないのではないか。いや、多分言えない。でもそれは思っていても、恋人に対しては言えない。でも、どうすればいいんだろうか。僕は、恋愛は先見性を持ってはイケナイんだと思うし、先の事を憂うなんて、そんなの杞憂だ。恋愛は、今が良ければそれでいいと思う。でも、恋人は納得しない。自分も、そう言っておきながら、恋人がそれに納得してしまったら、なんか、空しい。じゃあ、どうすればいいのだろう。
恋愛は、流れるプールじゃないとしたら、何メートルのプールなんだろう?無限?そんなのあり得ない。始まりがあれば終わりがある。でも、先見性を持っちゃいけないとするならば、終わりを考えては、いけないんだろうか。でも、何メートルのプールを僕たちは泳いでいるのだろうか考えずにはいられない。ただ、ひたすら泳ぎ続ければ、それでいいのだろうか。多分、泳ぎ続けるしかないのだろう。疲れたら、立ち泳ぎすればいい。クロールで泳いでもいいだろうし、平泳ぎでもいいと思う。バタフライは疲れるかな。背泳ぎしたら、綺麗な青空が、見えるかも。夜の星空も。
僕は、君と、いつまでも、果てしないプールを、泳いでいたい。時には競走しよう、時にはお互いの肩を、抱え合って。泳いてゆこう。
あえて、ゴールというモノを、探すならば、僕らの目指すゴールは、あの、とても大きな、「海」なのかもしれない。プールを上がって、大きな海を泳ぎ始める事が、僕らにとっての「ゴール」なのだ。僕は、あの大きな海を、君と一緒に泳ぐことが出来るのだろうか。きっと、出来るといいな。そして、皆一緒に、泳いでいたい。
そして、何年先かは解らないけれど、皆で、海を泳いでいるときも、いつまでも、競走したい。僕たちは、あの海で、競走する。そして、それぞれのパートナーと、いつまでも、泳いでいこう。
僕らは明日も、泳ぎ続ける。

Splash!!!!!!!!!

進路~栄光の架け橋へ~

2005年05月05日 | 日々是…
僕達はどうやって、今の進路を志すようになったのだろうか。
僕がバイトで個別指導をしていて、以前受け持っていた生徒に、「高校?行けたら行きたいって感じですかね。」なんてコメントを発する生徒が居た。
「だって、…君、高校行かなくちゃどうしようもないだろう!!就職なんか出来ないんだよ?新聞配達やるのか?バイトして生きていくのかよ!?」「うーん…何とかして~…生きる…」「いやいやいやいやいやいやいやいやいやいいや…!!!!!」
なんでこんなにも、こんなにも、どうでもいい感じなんだろうか?人生を甘く見ているのだろうか?いや、彼だって最終学歴が中卒で人生を歩むことがどうゆうことかは分かっているはずだ。なんで?!
で、僕らって、なんでこう、大学進学をしたんだろうか?僕は、それが普通だと思っていたから?そう、僕の家庭ではそれが「普通」になっていたかもしれない。何故?両親の学歴がそうさせたのだろうか?いや、そんな単純なものでもないだろう。では、親の教育方針に導かれた結果なのだろうか?一理ありそう。家庭環境、いや、家庭だけではなく、交友、人間関係、出会い、色んな要因が重なって、今、こうして僕はここに立っているんだろう。
さて、でも先の生徒にとっての「普通」って、なんなんだろう?彼をあんな風に考えせしめたるものは何?どんな環境?もう、僕らのような志を持たせることはできないのだろうか?あんな気持ちでは、実際、高校に行ったところで、つまらないだろうし。いや、むしろ高校に行ったら何か見つかるかもしれないって気持ちを、持たないだろうか?
「高校行きたいとは思わないの?高校行って、何かやりたいとか、友だち作りたいとか?ん?」「いや…別に何も…」「いやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいや…」(20分おきくらいに、こんなやりとりをくり返していた)
将来の夢、こんなことがしたい、ああなりたい。こんな気持ちも彼にはなかったような気がする。気がするだけで、実際には何か考えを持っていたかもしれないけれど。だけど、これだけは言える、彼は、余りにも環境に恵まれていない、見えていないものが多すぎる。まだ、窓もない、暗い部屋の中で、「人生」というものを知らずに生きているのではないだろうか。僕は、彼をその部屋の中に、少しでも、ほんの少しでも光りを差し入れてあげるべく、色んな話をしてあげたのだ。毎回毎回。それはその生徒に限ったことではない。皆に、もっと色んな体験をしてほしいと、言う。そんなこと言える立場では、ないかもしれないけれど。偉そうなこと言うなよって、時々耳もとで誰かが囁く。僕だけど。
そして、彼らが、「In to the light」、光の射す方へ、歩んでくれたら、僕も嬉しいと思う。そんな気持ちで僕は明日も、熱弁を奮って、雑談と名付けられた「Light」を彼等にあててあげるのだ。
Flash!!!

そしてこの生徒は、無事今年公立高校に入学することが出来た。彼に、少なからず僕は「Light」をあて、導いてあげることが出来たと、今は確信している。これからも、頑張って生きていってほしい。何かしらの「Light」を、自分の人生に求めて。

自分の存在。

2005年05月02日 | 日々是…
その存在を確認するのって、結構難しい。自分はどんな存在であるのか?どうやって証明する?
でも、それは答えがなさそうな気がするし、悩んで、怖くなってくる。
ではどうするか。考えよう、何で自分の存在を疑問に思ったのか。何で、自分の存在を証明したいと思ったのか。それを追求すればいいんじゃないのかな。

幸せ。

2005年05月01日 | 日々是…
幸せだなぁって思うとき

幸せ。最近の幸せはなんだろうか。一人でいる時間が増えたこと、静かに過ごせることだろうか。やっと一人部屋を獲得し、ある程度今までよりも自由に音楽をならしたり、ギター弾いたり、こうしてブログを更新したりすることが出来て、幸せだ。
ほかには、友達がいることが幸せ。友達の幸せが自分の幸せとなることだってある。愛する人と一緒に居るとき。家族であったり、恋人であったり、そんな安らぎが幸せ。学習、探求できることの幸せ。大学生である今、なんだって調べることができるし、何だって学ぼうとすれば学べる、与えられたその機会の享受を喜ぶ幸せ。
これからも、多くの幸せに、出会って生きてゆきたい。

何が違う?~喪失~再考~結実から萌芽へ~勇気と自信~

2005年04月29日 | 日々是…
彼らと彼らを別々たらしめているものは何なのか。どこがどうちがうのか。この四年間、三年間、それほど別々のことをしてきたのだろうか。僕にはわからない。でも現実がそこにはある。「文」「理」に分かたれることを強要され、つまらない画一的な教育課程を経て、みなまた一様に、勉強し、仲間と語り合い、旅行し、バイトし、ここまできたんじゃないのか。それがここにきて、どこに差が出るというのか。わからない。差が生まれぬように教育されてきたんじゃないのか。しかし、最終的には比べられ、差が生まれる。いや、人為的にそれは「創出」される。なんなのか、この矛盾。はじめから差があることを自覚させればいいじゃないか。スピリットの変革を求めていかなくてはならない。

ここにきて、僕は路を失ったのか?何を失ったんだ。探信音波をでたらめに放ち、ソナーをそこらじゅうに、発し続ける。なおも僕は探し続けなくてはならない。何を迷っている。僕にはそこに路があったはずだ。どこにいった我が路よ。栄光への路、どこへいった。僕は何を求めているのか。今までの僕のビジョンは、結局は何の実態もない虚構に過ぎなかった、なんて、今更言うのか。冗談はやめてもらいたいものだ。進むべき路を進むだけなんだ。それでいいじゃないか。何を、何をためらうのか。恐怖か。不安定な路。確かにもう不安定な路を歩くのは苦痛だ。数年前に味わったあの感覚。だが、あんなのはまだ不安定に入らないだろう。今度の衝撃は、想像を絶する。故に、尚更恐怖。恐怖に打ち勝つには、まず自分が恐怖になればいい。でもそれは、ごまかしじゃないのか?

何がしたいのか。ビジョンを、再構築する必要がある。目標は、ゴールは常にスタートとなる。僕らが生きている限り。それはいつでも、どこでも、そうだ。今日が昨日のゴールとなるなら、明日へのスタートを切るのは今日のはずだ。「今」が「先刻」のゴールならば、「今後」は、「今」がスタートして、目指すべきゴールとなる。永遠に続く。流転。その、始まりと終わりの収束が僕らという、時を生きる存在となるのだ。その収束過程はつまり「思考」だ。それを、割合、ほんの少しだけマクロスコピックに捉え、「思考」することがやがて人生設計となる。そんなに難しいことじゃないはずだ。ゆっくり考えるべきだろう。

今一度、僕に。

僕と勇気と自信と、そして、少しの自尊心を。

「Theme」

2005年04月22日 | 日々是…
最近考えることと言えば、来年のことや、卒業後のこと。僕の大学では三年になると必ず演習、つまり少人数制の「ゼミ」に入らなくてはならない。こないだゼミの先輩との飲み会に参加した。先輩の話はと言えば、そりゃもう当然、「就職活動」の話。各企業略称の連発。「トウミツ」、「トウデン」、「ニッセイ」、などなど?カタカナだと尚更わかりにくいかもwどうなるのだろうか、僕の「進路」。
就職なのか資格なのか。まぁこれはほんとに当人の問題だし、人から何を言われようとわが道を進むだけだ。後悔のないように。ただそれだけではないか。人がどんな路を歩もうと、その人が本当に満足して、幸せに生きていれば、それでいい。いや、むしろ「それがいい」。世の中のどれくらいの人が、そんな風に生きているのだろうか。そうありたいと願うから、資格を目指している人だっているわけだし、僕もその一人だと思う。今年、僕は自分の能力の限界を知るんだろうか。もしくは、限界突破。限界の域を広げる?なんだかまた意味不明なことを書き連ね始めたが。解ってくれる人は解ってくれると思う。限界を知る。限界を知れば、確かに色々な分析が可能だし、それはそれで有益だ。でも、限界って知りたくないときもあるじゃないか。それは世の科学者だって、そうだろう。科学の限界ってのは、多分知りたくないでしょう。
自分の限界。限界の域ってのがもし、それが測量可能な範囲で存在するのなら、それを「広げる」ってことは本当に可能なのかどうか。それを確かめることを、今年の、今年度の僕の「Theme」にしよう。


現役で進学した皆さんは、もう就職、決まりました?

恋の綱渡り。

2005年04月17日 | 日々是…
カップルって、どちらか一方の方が、必ず、相手を想う気持ちの度合いを比べたならば、勝ってしまう。自分が相手を想う気持ちが、相手が自分を想う気持ちよりも、勝ってしまうと、すなわち、自分が「恋愛弱者」となる。それは、恋人に振り回されるということだ。相手の言いなりにならざるをえないということ。だって、振られてしまうかもしれないから。こうゆう状態がずっと続くようならば、そのカップルはうまくいかない。では自分が恋愛的弱者になってしまったなら、どうすればいいのだろう。言いなりになってしまうのは仕方がないけれど、少しずつ、変わる必要がある。自分も、相手も。相手にとって、自分はどうゆう存在なのか、どうゆう役割を果たしているのか、考える必要が、まずある。そうしたうえで、少しずつでいいから、相手が自分を必要とする、自分が必要とされるように、「変わろう」と、意識することだ。意識するだけでもいい。無理に自分をアピールするとか、そういうことじゃなく。自分に自信をもって、相手に接することが大事。互いに自信を持ち合って接すれば、あらゆるベクトルが上を向き始める。
どんな恋愛であれ、終わりは必ずくるのだろう。それは、破局という結末かもしれないし、「結婚」という新たな「始まり」によって「終焉」を迎えるかもしれない。パラドックスかな?
果たして「結婚」は「恋」の延長線上にあるものなのだろうか。今の僕にはわからない。みんなは、どう考えているのだろうか。これは誰にも答えなんて出せない。考えることは出来る。
考えることが大切なんだなぁ。人間だもの(笑)

勝ち組、負け組。

2005年04月15日 | 日々是…
ふと思う。僕がもし戦時中に生きていたら、どの軍に配属されていたのだろうか。「勝ち組」として帝国海軍にでも配属されていただろうか。「勝ち組」?当時、何が「勝つ」ということだったのだろう。戦地に赴いて立派に戦死することか。なんだかよくわからない。けれど、なんとなく陸軍よりは海軍の方が、ただ、単純にかっこいいと思う。何の考えもなしに。
それはそうと、我が人生において、「勝ち」か「負け」かを判断する時は、くるのだろうか。そして、今現在は、果たして「勝って」いるのか?つまりそれは、なんのことはない、自分に自信を持って生きているかどうか、ということ。誇りをもって。「俺は勝った」って、言えるのは、やっぱり死に際なのか?人間、生きていれば「そこで終わりだ」ってことはないから。どこまでも上ろうとするのだろう。いや、それは「今はまだ僕らには残された時間があるから」じゃないのか。いつまでも上る?もう上れないよ…なんて、未来の僕は呟く。嫌だと思ったって、時間は過ぎるし、僕らは老いる。そして、流行り、廃れる。盛者必衰。
僕は何事も、見ていて、ピークの終わりが好きだ。引き際、そのタイミング。精彩を欠き始める時。寂しいなかにも、そこには何かしらの「達成感」があるはず。そんな瞬間、「勝ち」「負け」を判断する一つの節目になったりもするんじゃないのか。「勝った」なら、自らを誇ればいい。「負けた」なら、精一杯自己へ思考のベクトルを。次につなげよう。どんな節目にも「残された時間」はあるはずなんだ。人間だもの。そうやって、多分僕らは、最後の死に際になっても、次につなげようと思いながら死んでゆくような気がする。「節目」だと思って。でもこれ、強ち外れてもいないんじゃないか?ピークの終わり、そこにはある意味では「あの頃は良かった…」等々の懐古の情があって、その感覚が僕の感情をくすぐっているのかもしれない。涙がでるくらい、「懐かしい!!」って思う感覚。好きなんだな。
なんか話がずれたけど、自分に自信を持って進みたいってことだよね、結局これ。なんだよって感じだけど。でもそうなんだから仕方ない。仕方ないけど、悩むのだ。人間だもの。足元がおぼつかなくっても、いいじゃない。人間だもの。「勝とう」なんて、思わなくってもいいかもしれない。問題は、なんで「勝ち」とか「負け」とかこだわるんだろうってこと。そこを考えてみると、少しは気が楽になるような気がするのは僕だけだろうか。

心臓、エンジン、路。

2005年04月11日 | 日々是…
今は、僕は何をするのが先決なのだろうか。ある人は自分の夢に向かって歩いている。またある人はもう小走りかもしれない。いや、競歩か?走っている人だって大勢いるなかで、僕は彼らをまだ傍観し続けるのだろうか。歩道で旗を振って応援している、自分。いや、ただ立ち止まって旗を振っているつもりではなかった。走り去っていったランナーたちを見送りつつも、僕は少しずつ歩いてみたはずだ。「一歩、踏み出す勇気。」
僕には浪人の時以来、燃料ぎれなのか?最近のガソリンの値上げに苦しんでガス欠なわけでは勿論ないし、僕の燃料はなんなんだろう。友達か。恩師か。今の自分そのものか。いずれにせよ、燃料が空なはずはない。少しずつ、いわば断続クラッチで、クランクだって通りぬけてきたはずだ。
これから歩む路は、「クランク」ではすまないかもしれない。大体、「クランク」なんて、路上に出て、実際にあるのだろうか。でも、「クランク」は基本の運転技術に過ぎないの。この先が大切なんだ。これから、僕が走っていこうとする路は、もっと道悪で、見たことのない、険しい「路」なのかもしれない。そんな路に出くわしたときは、ギアを落とし、徐行してゆっくり進むはずだ。そう、時には断続クラッチで。そうやってゆっくり走ればいい。でも、いつまでも悠長なことは言ってられない。もっと、すばやく、慎重に、正確に進むことを求められる日がくる。僕にそんな日がやってくるのもそう遠くはないだろう。僕は「マニュアルトランスミッション」で、進む。エンジンの回転数は、ゆっくりと、着実に上がっているはず。あとはクラッチを繋ぐだけ。この左脚を、一気に上げる日、クラッチは凄まじい勢いで繋がり、僕はアクセル全開で走り出す。先に走り去ったみんなの影に、追いつくために。さぁ、「On your mark...!!」。

今日は…

2005年04月07日 | 日々是…
何をしようか?ってもう昼過ぎだけど。とりあえず通学定期を買ってこないとね。明日三年次ガイダンスがありますね。どうなんだろうな~大学三年って。学部掲示板には進級できた人の学籍番号が張り出されてたな…結構留年しちゃう人も居るみたいで。仮進級も20人弱、これからも計画的な単位取得を心がけようw
そういや引越し以来クローゼットに相棒のアコギが眠ったままだということに気づく。なかなか上手くならないんすよこれが。バレーコードが思うようにでませぇん!(ヒロシ調)がんばろうっと。
九州旅行記も少しずつアップしていきますよん♪

春到来!!!!!

2005年04月07日 | 日々是…
花粉症がやばいっす!!鼻づまりが…どうしようもないっすよね。沖縄や北海道は花粉が少ないらしく、花粉避難ツアーみたいのがはやってるらしいですが…
今日も頑張っていきましょう~
というわけで、寝ますwおやすみなさい!

今日は天気がいいですね♪

2005年04月06日 | 日々是…
さて、新年度です。国民年金の学生特例の申請に行かなきゃなりません。めんどいっすよね、毎年申請しなきゃならないって。
新年度です。今日は入学式を迎えるって人も結構いますよね。うちの弟もそうです。僕らの大学入学式からはもうはや二年…恐ろしくtime fries。重ね重ねいわれてますがw残りの学生生活、大切にしていきまっしょい!!
それから千香、今日からフランスだってね!くれぐれも気をつけて!って、自分が気をつけていてもどうしようもないことは、やっぱりあるんだよね。車を運転していると、よくそんなことを思って不安にかられたりもします…でも、注意しましょう!!!