真珠

深海の真珠は輝かず。

食卓の音楽

2005年08月13日 | 日記

 

月日の経つのは早いものです。もう今年も三月になりました。今日は久しぶりにゲオルグ・フィリップ・テレマンの音楽を聴きました。勘違いしていて、この作曲家はバッハの後の作曲家とばかり思っていたのですが、そうではありませんでした。テレマンがライプチッヒのトーマス教会の合唱指揮者の職を断ったために、その後任としてバッハがオルガン奏者として穴埋めにその地位に就いたのだそうです。ですから、テレマンはバッハとは同時代人か、多少先輩にあたると言うことになります。


今日は、彼の「ターフェルムジーク(食卓の音楽)」を聴いたのですが、とても自然で、技巧を感じさせず、モーツァルトの音楽を聴いたときと同じような快い感覚をもたらす音楽です。「食卓の音楽」とありますが、当時の人は、このような音楽を聴きながら食事をしたのでしょうか。難しいことを考えずに、純粋に音の世界を楽しむ、しかも、おいしい料理といっしょに味わうことは、きっとこの世にありながら、生きながらにして至福のひととき経験することになるのかも知れません。


今日は机の上でワープロを打ちながら聴いたのですが、次回は、この音楽の題名の「食卓の音楽」にふさわしく、食事をとりながら聴いてみようかなと思っています。所々、バッハの音楽を思わせるような個所もあります。やはり同時代人なのでしょう。クラシック音楽を聴いたのは久しぶりです。最近は、ポップスが中心でした。私の好きな歌手は、ダイアナ・ロス、クリス・レアなど。宮崎アニメソングも聴いていて楽しいです。最近では「冬のソナタ」のテーマソングなども聴いています。とても美しいと思います。残念なのは、最近の日本には本当に良い曲だなと感じる作品が少なくなったと思うことです。それとも、私の耳が時代遅れになっただけでしょうか。最近聴いていないビバルディやモーツァルト、やはり繰り返し聴く音楽は限られるようです。


昔書いた書評を少しずつ、ワープロに打って、ホームページに載せて行こうかなと思っています。今日は、栄光学園の校長先生だったグスタフ・フォス神父の『日本の父へ』という本の書評をワープロで打ち、ネットに載せました。1988年5月9日に書いたことになっていますから、17年前に書いたことになります。こうした本やテーマを取り上げたところに昔の私の興味や関心、問題意識がどんなところにあったかが分かります。今そうした書評を読み直しても、きわめてお粗末な書評だと思います。物足りないところがありますが、当時の文章をそのまま載せるようにつとめました。また折りがあれば、書きなおすか、追加したいと考えています。


幸いにしてと言うべきか、私はこうして地震にも津波にも襲われずに、命長らえて生きています。しかし、一歩一歩死に向かって行進している事実には変わりありません。昨年末のインド洋大津波で亡くなった10万人以上の人々との違いはただ時間の問題だけだと思います。死なない人間はいないのですから。


それにしても、亡くなった方々にも、きっと遣り残したことが多くあって、とても心残りだっただろうと思います。生き残っている私も限られた貴重な時間を本当に有意義なことだけに使いたいと思っているのに、なかなか、そうは行かないのは、私の愚かさ弱さゆえです。心は熱していても、肉体は弱いのです(マタイ書26:41)。どうか肉の弱さに打ち勝つことができますように。


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