2016/09/11(日)
「心の底からエール 復興目指す背中を押す」
***
時代遅れと笑うなかれ。
長い学ラン、素足に下駄のオヤジたち。太鼓を鳴らし旗を振り、体をそらしてつぶれた声を絞り出す。
サン、サン、ナナビョオーーシッ!
仮設住宅のお祭りで、住民たちと熊本の被災者に向け、エールを送った。
小学校に呼ばれて演舞を見せ、児童の夢を尋ね、一人一人応援する。
見に来ていた親がざわつくと「どういうことだ!」と一喝した。
平了(たいらりょう)さん(38)が率いる「青空応援団」は、仙台を拠点に団員約60人。全員が男の社会人だ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/b0/3449437a1b4b46ab5a994e5874b56e3a.png)
□ □
震災後の1年は、被災者を支援する「スコップ団」で活動した。
平さんの本業は工務店。店の内装を請け負った友人の美容師の女性が、津波にさらわれた。
その実家の泥かきをかって出たのが最初だ。
頼られるまま、スコップを手に汗を流す。田んぼまで流されたイルカを助け、遺体安置所にドライアイスを運んだ。
泥まみれの部屋で幼子(おさなご)の形見のへその緒を、懸命に捜した。
困っているやつを助けるのが友達だから、「ボランティア」は名乗らない。
その心意気。全国から若者たちがはせ参じ、メディアでもとりあげられた。
石礫(つぶて)も飛んでくる。「カッコつけんじゃねえ」「そんなことして何になる」とネットに書き込みがあふれた。
がんばっている者に冷や水を浴びせる社会。いいさ、言わせておけばいい。
数え切れない人の死を見聞きし、たくさんの人助けをした。
2012年3月10日、泉ケ岳で震災犠牲者の数と同じ2万発の花火を上げ、活動を休止した。
もともと「支援」は長く続けるべきではない、と思ってきた。
これからは俺たちじゃない、復興をめざすなら、被災した本人ががんばるんだ――。
じゃあ、俺たちが次にできることは?
翌年6月、昔の仲間に声をかけた。「また応援団やろうぜ」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/12/622ac77f12f0bdc2f193d6dffebec0cb.png)
□ □
バンカラで知られる仙台一高の応援団長だった。
当時の先輩後輩、定期戦で競った仙台二高の団幹部らが集まった。
スコップ団から合流した者もいる。
果たして応援の依頼なんてあるのか。
だが、背中を押してほしいと思う人は、予想以上に多かった。
病院に呼ばれて、女性患者を前にエールを送った。
車いす生活の長い彼女が、自分の足で立ち上がって涙した。
見ていた看護師が驚いた。
娘のためにと、こっそり応援の練習に通った父親がいた。
結婚式の日、サプライズで団員と学ラン姿で登場し、門出を祝った。
人生に立ちはだかる壁、いくつもの曲がり角。
「俺たちも年齢を重ねてきたからわかる。安っぽいエールなんてしてられないと思った」
と、一高の先輩でもある阿部哲哉さん(39)。
団員はみな手弁当だ。
仕事をやりくりし、来られる者が駆けつける。
平さんは言う。
「あの日やりたいこともできないまま、死んでいった大勢の人がいた。
だったら、いつ終わってもいい人生を送りたい。子どもらが夢を追いかけ、がんばれる未来をのこしたい」
闘う君のうたを、闘わないやつらが笑うだろう。
そんな世にまっすぐの矢を放ち、誰かを応援し続ける。
心の奥底から、フレーーッ!(石橋英昭)
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デジタル版
「心の底からエール 復興目指す背中を押す」
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時代遅れと笑うなかれ。
長い学ラン、素足に下駄のオヤジたち。太鼓を鳴らし旗を振り、体をそらしてつぶれた声を絞り出す。
サン、サン、ナナビョオーーシッ!
仮設住宅のお祭りで、住民たちと熊本の被災者に向け、エールを送った。
小学校に呼ばれて演舞を見せ、児童の夢を尋ね、一人一人応援する。
見に来ていた親がざわつくと「どういうことだ!」と一喝した。
平了(たいらりょう)さん(38)が率いる「青空応援団」は、仙台を拠点に団員約60人。全員が男の社会人だ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/b0/3449437a1b4b46ab5a994e5874b56e3a.png)
□ □
震災後の1年は、被災者を支援する「スコップ団」で活動した。
平さんの本業は工務店。店の内装を請け負った友人の美容師の女性が、津波にさらわれた。
その実家の泥かきをかって出たのが最初だ。
頼られるまま、スコップを手に汗を流す。田んぼまで流されたイルカを助け、遺体安置所にドライアイスを運んだ。
泥まみれの部屋で幼子(おさなご)の形見のへその緒を、懸命に捜した。
困っているやつを助けるのが友達だから、「ボランティア」は名乗らない。
その心意気。全国から若者たちがはせ参じ、メディアでもとりあげられた。
石礫(つぶて)も飛んでくる。「カッコつけんじゃねえ」「そんなことして何になる」とネットに書き込みがあふれた。
がんばっている者に冷や水を浴びせる社会。いいさ、言わせておけばいい。
数え切れない人の死を見聞きし、たくさんの人助けをした。
2012年3月10日、泉ケ岳で震災犠牲者の数と同じ2万発の花火を上げ、活動を休止した。
もともと「支援」は長く続けるべきではない、と思ってきた。
これからは俺たちじゃない、復興をめざすなら、被災した本人ががんばるんだ――。
じゃあ、俺たちが次にできることは?
翌年6月、昔の仲間に声をかけた。「また応援団やろうぜ」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/12/622ac77f12f0bdc2f193d6dffebec0cb.png)
□ □
バンカラで知られる仙台一高の応援団長だった。
当時の先輩後輩、定期戦で競った仙台二高の団幹部らが集まった。
スコップ団から合流した者もいる。
果たして応援の依頼なんてあるのか。
だが、背中を押してほしいと思う人は、予想以上に多かった。
病院に呼ばれて、女性患者を前にエールを送った。
車いす生活の長い彼女が、自分の足で立ち上がって涙した。
見ていた看護師が驚いた。
娘のためにと、こっそり応援の練習に通った父親がいた。
結婚式の日、サプライズで団員と学ラン姿で登場し、門出を祝った。
人生に立ちはだかる壁、いくつもの曲がり角。
「俺たちも年齢を重ねてきたからわかる。安っぽいエールなんてしてられないと思った」
と、一高の先輩でもある阿部哲哉さん(39)。
団員はみな手弁当だ。
仕事をやりくりし、来られる者が駆けつける。
平さんは言う。
「あの日やりたいこともできないまま、死んでいった大勢の人がいた。
だったら、いつ終わってもいい人生を送りたい。子どもらが夢を追いかけ、がんばれる未来をのこしたい」
闘う君のうたを、闘わないやつらが笑うだろう。
そんな世にまっすぐの矢を放ち、誰かを応援し続ける。
心の奥底から、フレーーッ!(石橋英昭)
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デジタル版