時には目食耳視も悪くない。

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2023年の総括①家庭の事情

2023年12月03日 | ひとりごと
 年越しまで一カ月をきり、今年も恒例の一年間の総括という名の愚痴吐き放題の季節がやってまいりました。
 (注:本当にくだらない内容です)

 正直、いつなくなるか分からない将来性もない極細の自営業にしがみつき、バツイチアラフォー実家住まいという、社会的には同情されてしまうような毎日を送る身としては、日常的に「コンチクショー」と思わされる不愉快な出来事が多々あり、「心底、我慢ならん!」とあわや我を忘れそうになる時もあるのですが、このブログに書き残してストレスを発散するという選択肢があると思えば、かえって年末のために良いネタを提供してくれたと感謝の気持ちさえ生まれ、どうにかやり過ごしています。

 目下、私にとっての一番の問題はお金です。
 週5日、音楽教室でレッスンをし、30名弱の生徒さんを受け持っているのですが、それでも一人暮らしができるだけの報酬はいただけません。
 さらに、今年の10月からインボイス制度が導入されたことで、もらえる額が減りました。
 生徒さんが増えれば収入も増えますが、減った場合、もらえる額も減ります。雇用契約ではないので、職歴にもなりません。
 一般の仕事に転職しようにも、経歴としては無職からのスタートになります。

 そもそも、こんな不安定な収入しかない私が賃貸物件を契約してもらえるでしょうか?
 仮に部屋を契約できたとしても、三年前のように感染症などの影響で音楽教室が閉鎖されたりすれば、私は無収入になってしまい、そのことに関して契約先の会社からも社会制度的にも何も保障されることはないのです。
 現実は厳しいです。

 たまに、音楽教室に、子供を音楽大学に行かせたいという親御さんが来ますが、子供の将来を考えるのならば絶対にお勧めしたくない人生です。
 音楽を仕事にすることの現実を知らない人は、私の父を「子供を音楽家にした偉大な父親だ」と称賛します。
 そして、そう言ってくる人に微妙な反応しかできない私に「あなたには親の偉大さが分からない」と非難じみた説教をしてくるのです。
 私には、子供を社会不適合者同然にしておいて、平気でいられる親の神経が理解できませんし、信じられませんが。


 今年、父は80歳になりました。
 以前から、私の入浴中に父が脱衣所や浴室の周りをウロウロすることが常態化していました。
 洗面所と脱衣所がカーテン1枚で隔てられていること、脱衣所を通らないと父の寝室に入れないという家の構造上、父の生活導線とお風呂場エリアが近くにあり、父がウロウロするのは仕方のないことだと、私は我慢しつつ最低限、自分のプライバシーを守りながら入浴していました。

 ところが、今年の5月、私がまだ脱衣所で服を着ていない状態の時に、突然、父がカーテンを開けて入って来たのです。
 半分笑いながら「すまん」と言って、脱衣所を通って自分の寝室に入って行きました。
 その日から、私は家で入浴することをやめ、町の入浴施設を利用することにしました。

 実は何年も前に、家のお風呂の蛇口が故障したようで、水圧や温度調節がうまくいかなくなっていました。
 父はそれについても、お金がかかるという理由で業者に修理を依頼することなく、父が考える変なやり方でお風呂を使うように家族に言っていました。
 また、給湯器をつけるタイミングにまでいちいち、ああしろこうしろと言ってくるので正直煩わしくて仕方ありませんでした。
 父親がいつまた入って来るかとビクビクしながら、使いづらい面倒なお風呂に入るよりも、多少お金はかかっても快適な入浴施設を利用する方が、私の精神状態は安定します。

 これを読んで下さる人がいるのならば、中には、40も過ぎたオバサンが実の父親に裸を見られるぐらい何ということはないだろうと考える人もいると思います。
 それでも、私は家族に対して思いやりのない父親を人として異常だと思いますし、生理的に嫌悪を感じます。
 今年、大きな問題となったジャニーズ事務所における性加害についての報道を目にする度に、自分以外の人間の心など何とも思っていないであろう自分の父親の姿と重なり、なんとも不愉快な気持ちになります。

 そして、当事者以外から見れば、それらのことはちょっと目を引くセンセーショナルな出来事に過ぎないので、実質的に問題が解決してもされなくてもどうでもいいことなのです。
 12月現在、ジャニーズ事務所に関するニュースは一時期よりも大きく扱われなくなっています。このようにして、本当に重大だと思われる問題が解決されることなく放置され続け、被害者たちに救われる日が訪れることは未来永劫ないのです。


 父には、周囲の人間に対する感謝の気持ちと自らへの反省が欠如しています。
 自分の言動のせいで家族を傷つけたり、困らせても、時間がたてば父の中でそれは「済んだこと」と認識されるのです。
 父の口癖は「終わったことをいつまでも言うな」です。

 父とは話し合いができません。ただ、一方的に父の言葉を押し付けられるだけです。
 こちらの言葉を理解しようとせず、ひたすら自己弁護の言い逃れと言い訳を聞かされます。
 たとえ、言葉だけ謝っても、また同じことを繰り返すのだから、父について信用できるところは何一つないです。
 父は自分は論破されないという絶大な自信を持っています。それは、相手の話を一切聞かないという戦略を採用しているからです。
 それは、話し合いとは言いません。ただの言葉の暴力です。一方的に相手の国を武力でもって攻撃する独裁者と変わりません。

 私は暴力を受けたくないので、父とは極力話さないようにしますし、できるだけ顔も合わせないように気をつけ、家の風呂には入らないという自衛策を採るのです。
 一つだけ、父に感謝できることがあるとすれば、世の中にはそういう人間がいるということを教えてくれたことです。
 社会には、父と同じような人が一定数いるようなのです。もし、そういう人と出会ってしまった時、私はひそかに避難する準備ができます。

 他人であれば、距離をとることが容易にできます。
 しかし、同じ家に暮らす家族ともなればそれもままならない場合もありますし、まして、そんな人間の血が自分にも流れているのだと思うと、憂うつにもなり、時には絶望します。

 他人からよく思われたい父は、家族以外の人には全く違う態度をとります。
 それは、もう本能的に。計算しているのではなく、まるで息をするように、態度がコロッと豹変するのです。
 そのため、父のことを悪く言う人はいませんし、それどころか「偉大な父」だと勝手に思い込んで、父を称えるのです。
 そして、私は心の中で、どこか冷めた気持ちになりながら、曖昧に相槌をうってやり過ごします。
 今までがそうだったので、おそらくこれから先もそれが繰り返されるのだと思います。

 完璧な人間はいませんし、時には間違うことも失敗することもあるでしょう。
 私自身、そんなに能力の高い人間ではないので、できないことが沢山ありますし、失敗も沢山します。
 過ちを犯すことが罪なのではなく、自分が犯した過ちと向き合い、自分自身を見つめ直し、それから先の生き方を考え実践していけるかどうかが重要なのではないかと思います。
 他の誰かがどうであれ、私はそんなふうに生きていきたいという気持ちが強くなった一年でした。


(2023年の総括②へつづく)

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