言葉は人間関係における意思疎通をスムーズにすると同時に時には妨げにもなってしまう厄介なツールです。
意志の伝え方、受け取り方によっては当事者たちが意図したものとは違う結果を招いてしまいます。
より分かりやすく伝えようと説明を丁寧にすると、かえって回りくどくなって何を言いたいのかが分からなくなってしまいますし、端的に済ませると言葉が足らなくなって正確な内容が伝わらなかったりします。
文明や科学技術が発達し、昔にくらべ進歩的な世の中になったと言われる現在でも、言葉に代わるようなツールを人類は発見できずにいます。
人間が言葉を使わずに生活することは、今の時点では不可能に近いことです。
同時にその言葉の扱い方には注意が必要なのではないかと思わされることがあります。
というのも、(日本語ではよく指摘されることですが、)同じ読みの漢字でもそれぞれ元の意味があって、場合によって使い分けるにも関わらず、昨今のSNSやインターネット上の投稿における誤字、脱字の多さを目にすると、将来の日本語への影響を感じずにはいられません。
私はゆとり教育の前の世代なので、漢字の読み書きはしっかり学校で教わりましたし、漢字検定を受けたり本を読んだりすることで、様々な言葉の使い方を学んできました。
そのため、言葉の誤用に気がつくことができますが、今の10代の若い人の中には、あまり熱心に学校の勉強をせずに、ネット上の言葉ばかり見てしまう人がいるかもしれません。
何が言いたいかというと、例えば、人気ユーチューバーが投稿した動画の中でそうした言葉の誤用があった場合、それが間違いだと分かる人と、そのまま正しいものとして記憶してしまう人がいるということなのです。
そして、不思議なことに間違いでも、そんな使い方をする人が増えれば、その言葉はいつの間にか人々の間に定着し、正しいものとして認識されていくのです。
それは、今まで日本語が辿ってきた歴史の中でも既に見ることができる現象です。
言葉は使われていく中で、どんどん姿を変え、意味すら変わっていくのです。
ある意味、私は今、言葉が姿を変えていく瞬間に立ち会っているのかもしれません。
もちろん、言葉のこれまでの伝統を守ろうとするのか、あるいは、あれよあれよという間に言葉が姿を変えていってしまうのを、成す術もなく傍観するのか、どちらもその瞬間に存在している人間たち次第だと思うのです。
私個人としては、自分自身が身につけた言葉、子供の頃から付き合いのある慣れ親しんだ言葉との関係を変えるつもりはありません。
こんなことを言っている私の言葉にも、もしかしたら間違った使い方があり、私自身それに気が付けていないのかもしれません。
今度の年末年始は久しぶりに漢字検定のテキストを開いて、自分の言葉の洗い直しをしてみようかと思います。
(2022年の総括④に続く)
=====
▼本の林の管理人ハヤシさんがお送りしています。
☆ツイッター https://twitter.com/honnohayashi
意志の伝え方、受け取り方によっては当事者たちが意図したものとは違う結果を招いてしまいます。
より分かりやすく伝えようと説明を丁寧にすると、かえって回りくどくなって何を言いたいのかが分からなくなってしまいますし、端的に済ませると言葉が足らなくなって正確な内容が伝わらなかったりします。
文明や科学技術が発達し、昔にくらべ進歩的な世の中になったと言われる現在でも、言葉に代わるようなツールを人類は発見できずにいます。
人間が言葉を使わずに生活することは、今の時点では不可能に近いことです。
同時にその言葉の扱い方には注意が必要なのではないかと思わされることがあります。
というのも、(日本語ではよく指摘されることですが、)同じ読みの漢字でもそれぞれ元の意味があって、場合によって使い分けるにも関わらず、昨今のSNSやインターネット上の投稿における誤字、脱字の多さを目にすると、将来の日本語への影響を感じずにはいられません。
私はゆとり教育の前の世代なので、漢字の読み書きはしっかり学校で教わりましたし、漢字検定を受けたり本を読んだりすることで、様々な言葉の使い方を学んできました。
そのため、言葉の誤用に気がつくことができますが、今の10代の若い人の中には、あまり熱心に学校の勉強をせずに、ネット上の言葉ばかり見てしまう人がいるかもしれません。
何が言いたいかというと、例えば、人気ユーチューバーが投稿した動画の中でそうした言葉の誤用があった場合、それが間違いだと分かる人と、そのまま正しいものとして記憶してしまう人がいるということなのです。
そして、不思議なことに間違いでも、そんな使い方をする人が増えれば、その言葉はいつの間にか人々の間に定着し、正しいものとして認識されていくのです。
それは、今まで日本語が辿ってきた歴史の中でも既に見ることができる現象です。
言葉は使われていく中で、どんどん姿を変え、意味すら変わっていくのです。
ある意味、私は今、言葉が姿を変えていく瞬間に立ち会っているのかもしれません。
もちろん、言葉のこれまでの伝統を守ろうとするのか、あるいは、あれよあれよという間に言葉が姿を変えていってしまうのを、成す術もなく傍観するのか、どちらもその瞬間に存在している人間たち次第だと思うのです。
私個人としては、自分自身が身につけた言葉、子供の頃から付き合いのある慣れ親しんだ言葉との関係を変えるつもりはありません。
こんなことを言っている私の言葉にも、もしかしたら間違った使い方があり、私自身それに気が付けていないのかもしれません。
今度の年末年始は久しぶりに漢字検定のテキストを開いて、自分の言葉の洗い直しをしてみようかと思います。
(2022年の総括④に続く)
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