「苦あれば楽あり」ではありませんが、人生は公正なものだと人は思いがちです。
けれど、「憎まれっ子世に憚る」という言葉もあるように、人間性と人生の運不運には何の因果関係もありません。
善良な人が幸せで長生きするとは限りませんし、狡賢い嫌われ者が必ず不幸で惨めな末期を迎えるわけでもありません。
人生の道程にも同じことが言えます。
死ぬような苦しみを味わったからといって、その苦しみに負けないくらいの極上の喜びが待っているわけではありませんし、血の滲むような努力をしても報われないことなんていくらでもあります。
「苦あれば楽あり」という言葉は、事実ではなく願望を言っているのでしょう。
まるで、念仏のように、そう心に思い続けていれば、どんなに辛いことでも乗り越えられるだろうと。
同じように、「七転び八起き」も、単純に転んで起きた回数を言っているのではなく、例え七回転び続けたとしても、八回目にまた転ぶことを恐れたり、忌んだりするな、という不撓不屈の精神のことを言っているのです。
こうした格言が残っているということは、昔から人生には少なからず苦しいことがあるのだと人々が感じていたことが分かります。
これらの言葉はいわば、人生を生き抜くための先人たちの知恵とも言えるでしょう。
私が不思議に思うのは、そうした格言はいつの時代に、誰が言い出したのかということです。
そして、何故、現代ではそうした格言が生まれないのかということです。
時がたてば忘れられてしまうような、その年限りの流行語大賞を決めるようなことではなく、変わり続ける現代社会と、これから変わってゆくだろう未来の世代の人たちが自分たちの意識の中に、人生の教訓として記憶するような言葉が、今の時代には生まれていないような気がしますし、ともすると、そうした昔から言われてきた言葉たちは、人々の口の端から消えて行っているように思えます。
今の時代を生きる人々の言葉と科学技術の発達とには、何らかの関係があるように思えます。
大昔は、今のようなインターネット技術どころか、紙自体が貴重品で、余程のことでないと、言葉を紙に書いたりしなかったようです。
平安貴族たちの歌のやりとりも、手紙以外はその場で即興で作った歌を声に出して詠みあげ、お互いに聞き合って記憶したといいます。
いわゆる、口頭伝承というやつです。
日本最古の口頭伝承者として有名な人が、《古事記》(8世紀初め?)を暗誦したという稗田阿礼(7~8世紀頃)さんです。
この人については、いろいろ研究されていまして、本当に実在した人なのか疑っている研究者の方もいます。
また、13世紀モンゴル帝国のクビライ(1215-1294)に接見したというヴェネツィア出身の商人マルコ・ポーロ(1254-1324)さんは、自分では字を書くことができないので、自分が世界各地で体験した話を、お仕事仲間のルスティケロ・ダ・ピサさんに話して、それをピサさんが勝手に自分の体験も混ぜて《東方見聞録(Il Millione)》を書いたと言われています。
そして、コピー機などがなかった時代なので、手書きで書き写している間に、書き間違いや覚え間違いなどが混ざり、いろいろなバージョンが出来上がったそうです。
「語り継ぐ」と言いますが、私たちが今現在使っている言葉や思想は、大昔の人たちが紙を使わずに自分たちの記憶力を最大限に活用して語り継いできた遺産なのです。
日本国内でも、地方ごとに言い回しが微妙に違うけれど、同じ意味の言葉が存在するのは、その言葉や情報が口頭で伝播する過程で、言い間違いや聞き間違いが混ざったせいだとも考えられます。
しかし、科学技術が発達してくると、紙や録音機が人間の脳の代わりに言葉を記憶してくれるようになり、人間は情報を覚えようとしなくなりました。
人間の脳をメモリーチップに例えた時、昔の人が記憶していた情報量や記憶能力と、現代人のそれらと比べてどちらが優れていると思いますか?
昔と今では情報量が比べようがないと思いますか?
通信技術や国際化が進んで、出回る情報の種類に変化は見られますが、基本的に総人口に対する情報量の割合に大幅な差はないと思います。
人の数だけ情報は存在しますが、人が見出さない情報が入ってくることはありません。
全ての情報は人が発信しています。
ただ、昔はそうした人から発信された一定量の情報の中から人々が記憶できる、あるいは記憶に値する情報のみが「情報」として人々の間で記憶され、口頭伝承によって共有されていました。
しかし近現代では、人間の脳以外の媒体に記録されたあらゆる情報が、口頭伝承を介さずに出回り、「記録」として残っているという状態にすぎないのです。
記録媒体が発達していなかった時代には、記録されなかった情報の方が多かったので、いかにも、現代の情報量が昔より増えていると錯覚するのですが、単に記録された情報の蓄積量が増えているというだけなのです。
昔は人々から無意識に不要だと判断された情報は自然淘汰されました。
「人の噂も75日」という言葉があるのが良い例でしょう。
実際には、75日もかからずに消えて行った情報の方が沢山あったのです。
人間はある時点から、口頭伝承を放棄し、自分自身で情報を記憶することをやめてしまいました。
紙に記録すれば、自分の死後も自分の言葉は残されます。
人々の記憶からは消えてしまっても、紙に書かれた文字を読むことで復活することができるのです。
少なくとも、今より昔の方が「記録すること=言葉にすること」が人間にとって重要な意味を持っていたことは確かです。
記録に残っていないことが、歴史的事実であるとよく勘違いされますが、そうと断定することは危険です。
例えば、ある平安貴族には和歌が一つも残されていないのを根拠に、この人物が和歌が苦手だったか、嫌いだったのだろうとするのは短絡的すぎます。
この人物は紙にこそ書きませんでしたが、もしかしたら優れた和歌を即興で詠んで、何人もの美女を恋に酔わせていたかもしれないのです。
研究者が注目すべきは、この貴族が何故記録を残せなかったのかという点です。
紙という貴重品を、自分の和歌のために入手できなかったのか。または、紙に記録したものの、何らかの事情で保存されずに紛失してしまったのか。
現存する歴史的資料の多くは当時の権力者にまつわる物がほとんどです。
何らかの政治的圧力によって、この人物が残した和歌集(もし作ったのであれば)が、意図的に廃棄された可能性も考えられます。
あるいは、ただ単に記録することに無頓着な人物だったというだけのことかもしれませんが。
いずれにせよ、この人物が和歌が苦手だったかどうかということは、実際の作品が残されていない以上、言及することができません。
時代が進み、私たち現代人はさも進化してきたと思い込んでいますが、その思想は何百年以上も前の人たちが考えた範囲を出てはいません。
現代において、新しい格言が生まれていないという事実が、それを裏付けているのではないかと私は思います。
科学技術は発達しましたが、思考や思想レベルではもう伸び止まっている、もしくは退行しているように思えてなりません。
新たな創造は望めなくても、古くから生き続けている言葉の息の根を止めることだけは避けたいものです。
けれど、「憎まれっ子世に憚る」という言葉もあるように、人間性と人生の運不運には何の因果関係もありません。
善良な人が幸せで長生きするとは限りませんし、狡賢い嫌われ者が必ず不幸で惨めな末期を迎えるわけでもありません。
人生の道程にも同じことが言えます。
死ぬような苦しみを味わったからといって、その苦しみに負けないくらいの極上の喜びが待っているわけではありませんし、血の滲むような努力をしても報われないことなんていくらでもあります。
「苦あれば楽あり」という言葉は、事実ではなく願望を言っているのでしょう。
まるで、念仏のように、そう心に思い続けていれば、どんなに辛いことでも乗り越えられるだろうと。
同じように、「七転び八起き」も、単純に転んで起きた回数を言っているのではなく、例え七回転び続けたとしても、八回目にまた転ぶことを恐れたり、忌んだりするな、という不撓不屈の精神のことを言っているのです。
こうした格言が残っているということは、昔から人生には少なからず苦しいことがあるのだと人々が感じていたことが分かります。
これらの言葉はいわば、人生を生き抜くための先人たちの知恵とも言えるでしょう。
私が不思議に思うのは、そうした格言はいつの時代に、誰が言い出したのかということです。
そして、何故、現代ではそうした格言が生まれないのかということです。
時がたてば忘れられてしまうような、その年限りの流行語大賞を決めるようなことではなく、変わり続ける現代社会と、これから変わってゆくだろう未来の世代の人たちが自分たちの意識の中に、人生の教訓として記憶するような言葉が、今の時代には生まれていないような気がしますし、ともすると、そうした昔から言われてきた言葉たちは、人々の口の端から消えて行っているように思えます。
今の時代を生きる人々の言葉と科学技術の発達とには、何らかの関係があるように思えます。
大昔は、今のようなインターネット技術どころか、紙自体が貴重品で、余程のことでないと、言葉を紙に書いたりしなかったようです。
平安貴族たちの歌のやりとりも、手紙以外はその場で即興で作った歌を声に出して詠みあげ、お互いに聞き合って記憶したといいます。
いわゆる、口頭伝承というやつです。
日本最古の口頭伝承者として有名な人が、《古事記》(8世紀初め?)を暗誦したという稗田阿礼(7~8世紀頃)さんです。
この人については、いろいろ研究されていまして、本当に実在した人なのか疑っている研究者の方もいます。
また、13世紀モンゴル帝国のクビライ(1215-1294)に接見したというヴェネツィア出身の商人マルコ・ポーロ(1254-1324)さんは、自分では字を書くことができないので、自分が世界各地で体験した話を、お仕事仲間のルスティケロ・ダ・ピサさんに話して、それをピサさんが勝手に自分の体験も混ぜて《東方見聞録(Il Millione)》を書いたと言われています。
そして、コピー機などがなかった時代なので、手書きで書き写している間に、書き間違いや覚え間違いなどが混ざり、いろいろなバージョンが出来上がったそうです。
「語り継ぐ」と言いますが、私たちが今現在使っている言葉や思想は、大昔の人たちが紙を使わずに自分たちの記憶力を最大限に活用して語り継いできた遺産なのです。
日本国内でも、地方ごとに言い回しが微妙に違うけれど、同じ意味の言葉が存在するのは、その言葉や情報が口頭で伝播する過程で、言い間違いや聞き間違いが混ざったせいだとも考えられます。
しかし、科学技術が発達してくると、紙や録音機が人間の脳の代わりに言葉を記憶してくれるようになり、人間は情報を覚えようとしなくなりました。
人間の脳をメモリーチップに例えた時、昔の人が記憶していた情報量や記憶能力と、現代人のそれらと比べてどちらが優れていると思いますか?
昔と今では情報量が比べようがないと思いますか?
通信技術や国際化が進んで、出回る情報の種類に変化は見られますが、基本的に総人口に対する情報量の割合に大幅な差はないと思います。
人の数だけ情報は存在しますが、人が見出さない情報が入ってくることはありません。
全ての情報は人が発信しています。
ただ、昔はそうした人から発信された一定量の情報の中から人々が記憶できる、あるいは記憶に値する情報のみが「情報」として人々の間で記憶され、口頭伝承によって共有されていました。
しかし近現代では、人間の脳以外の媒体に記録されたあらゆる情報が、口頭伝承を介さずに出回り、「記録」として残っているという状態にすぎないのです。
記録媒体が発達していなかった時代には、記録されなかった情報の方が多かったので、いかにも、現代の情報量が昔より増えていると錯覚するのですが、単に記録された情報の蓄積量が増えているというだけなのです。
昔は人々から無意識に不要だと判断された情報は自然淘汰されました。
「人の噂も75日」という言葉があるのが良い例でしょう。
実際には、75日もかからずに消えて行った情報の方が沢山あったのです。
人間はある時点から、口頭伝承を放棄し、自分自身で情報を記憶することをやめてしまいました。
紙に記録すれば、自分の死後も自分の言葉は残されます。
人々の記憶からは消えてしまっても、紙に書かれた文字を読むことで復活することができるのです。
少なくとも、今より昔の方が「記録すること=言葉にすること」が人間にとって重要な意味を持っていたことは確かです。
記録に残っていないことが、歴史的事実であるとよく勘違いされますが、そうと断定することは危険です。
例えば、ある平安貴族には和歌が一つも残されていないのを根拠に、この人物が和歌が苦手だったか、嫌いだったのだろうとするのは短絡的すぎます。
この人物は紙にこそ書きませんでしたが、もしかしたら優れた和歌を即興で詠んで、何人もの美女を恋に酔わせていたかもしれないのです。
研究者が注目すべきは、この貴族が何故記録を残せなかったのかという点です。
紙という貴重品を、自分の和歌のために入手できなかったのか。または、紙に記録したものの、何らかの事情で保存されずに紛失してしまったのか。
現存する歴史的資料の多くは当時の権力者にまつわる物がほとんどです。
何らかの政治的圧力によって、この人物が残した和歌集(もし作ったのであれば)が、意図的に廃棄された可能性も考えられます。
あるいは、ただ単に記録することに無頓着な人物だったというだけのことかもしれませんが。
いずれにせよ、この人物が和歌が苦手だったかどうかということは、実際の作品が残されていない以上、言及することができません。
時代が進み、私たち現代人はさも進化してきたと思い込んでいますが、その思想は何百年以上も前の人たちが考えた範囲を出てはいません。
現代において、新しい格言が生まれていないという事実が、それを裏付けているのではないかと私は思います。
科学技術は発達しましたが、思考や思想レベルではもう伸び止まっている、もしくは退行しているように思えてなりません。
新たな創造は望めなくても、古くから生き続けている言葉の息の根を止めることだけは避けたいものです。
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