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スピリチュアル~☆~確実に幸せに成る為の学び・・執着をしない・・その1

2012-09-12 23:54:56 | スピリチュアルな出来事

スピリチュアル~★~確実に幸せに成る為の学び・・執着をしない・・その1・・過去・未来に執着しない。

  朝夕、すっかり秋らしく成って来ました・・。季節の移り変わりを普段、人は、暦で知り得て感じている様に思うかもしれないが、それよりも、五感で感じているらしい。

聴覚・視覚・嗅覚・味覚・触覚の総称によって知る事と成る。

夏場、主役だった賑やかだった蝉時雨の鳴き声も、今は、夜に鈴虫やコオロギの涼やかな音色を聞く事と成り聴覚で感じ、朝夕の温度の低下を肌で感じ(触覚)、日の出や日の入りの光の有り様の時間差を視覚で感じている。

花屋の店先を飾る花の入れ代わり・・ふと目に留まった道端に咲く草花で・・スーパーで並ぶ野菜や果物や魚の変化によって、時には、何処かの夕食の秋刀魚を焼く匂い(臭覚)・・などからも季節の移り変わりを感じる。

忙しく流れ行く社会の時間の中で、私達は、今日、やるべき仕事や計画・・など、追われる様に生きている・・・そして、知らず知らず時間や暦のみに有らず、五感によって季節の移り変わりを知る事を忘れそうに成ってしまう。

そんな移ろい行く・・・流れる時間の中に、今が現在が有り、自分が存在している・・。そして、自分が移ろい行く自然の中の一部に過ぎない事を無意識の内に、何処かで感じるのだろう・・・。

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自分の一生に与えられた時間・・それには限りが有る。今のこの時を現在と言う・・。現在を中心に、過去が有り未来が有る・・。しかし、過去も未来も幻にしか過ぎない・・・。確実に、存在しているのは、今・・・の時・・・瞬間である。

時に、人は過去に思いを巡らせる事が有るが、それは夏場の夜空に見たあの美しい花火の様なもので、その時に幾ら感激をし幸せを感じたとしても今と成っては、薄れてしまう感情で有る。

それは、過去が、幾ら満たされ豊かで幸せだったとしても、今がこの時・・この瞬間が満たされ、幸せだと思う事が出来なければ、何の価値も無い空しい思い出と成ってしまう・・。今が満たされていてこそ、過去の幸せを感じる事が出来るものである。今が、苦悩に満ちたもので有れば、過去は空しいものへと変貌をしてしまう・・。

何ら変わり得ない歩んで来た人生(過去)さえもが、今の状態によって変貌をしてしまう・・。それほどに、今のこの時・・・この瞬間と言うものは、大切なものである。

未来・・・これも、また、幻にしか他ならない・・。将来の夢や目標を思い描き計画を立て、日々の努力を怠らない事は、無論、大切な事では有るが、その計画は、悪までも慎ましく日々(今日)の努力の積み重ねを根源とした確かな階段を一歩づつ歩むもので無ければ意味が無い。

漠然とした空想にも近いものだったり、明るい楽しい幸せな未来ばかりを描いもので有れば有るほどに空しい幻にしか成らず、己を支えるものとは成らない・・。また、それが物やお金(物欲)や権威欲などの欲に塗れたもの成らば、なお更に空しい結果を招く未来と成るだろう。

先に言った、日々の努力の一歩づつの積み重ねは、今日この時の積み重ねが有ってこそ、確実な未来と成り、直ぐ先の瞬間・・へと移行する。

漠然とした或いは、欲の伴う未来を思う時・・・人の心は、不安にしか辿り着けない・・。そう言った未来へ思いを巡らし執着をしては成らない。

今のこの時(瞬間)が充実し満たされたものでなければ、決して良い未来はやって来ない・・。現状が今が苦しく宜しく無い状態ならば、なお更に今を大切にしなければ成らない。

「この世は、無常で有る・・・。常に物事は変化する・・」これは、釈迦の言葉であるが、現在ばかりに有らず、過去も未来も常では無い事を言っている。

確実に歩み終わった変わりの無い過去さえも、今の心持ち(心魂)の状態で変化してしまいまた、未来さえも、変化してしまう事を言っている。

また、幾ら先を未来を思い描き巡らせても自分の思う様には物事は成らない事も言っている。災いや世の中の変化や関わる人との関係によっても変わって行く・・様を釈迦は言っている。

今のこの瞬間・・時間が、過去を未来を変えてしまう・・。それは、今の心魂が満たされているかどうかの事を指す。それは、過去に執着せず、未来にも執着せず、今のこの瞬間・・時間を充実したものへと己の心魂を導き行動をする事に尽きる。

そうすれば、過去も良きものへと変貌し、未来も良きものへと変わって行く。

或る時の事、今の現状を仕事の事を思った時に、「何としんどい事だろうか・・・。こんな事に成ってしまって・・・。本当だったら、今頃は、のんびりと過ごす事も出来ただろうに・・。」と過去を思い・・「この先・・どうなるいのだろうか・・・?明るい未来など私には無い・・・」と、疲れ切った体を横たえ暗いため息を付いていたら、釈迦が、現れ物申した。久方ぶりである・・。

「一個のおにぎりを目の前にし、あ~昔は、もっと旨い物をたらふく食ったのにな~とか、未来永劫・・自分は、こんなものしか食べれないのか・・・と落胆したり、将来は、贅沢三昧に旨い物を食べてやる・・・などと思い、おにぎりを頂くよりも、頑張って働いたから、お腹も空いた・・何と美味しいおにぎりだろうか・・と、満足し感激する事の方が大切である。その安穏とした心の安らぎこそが大切で有り、その心の安らぎこそが、一歩づつ歩み登り行く幸せの未来の階段に繋がって行く・・。未来が開ける・・」

そんな事を言われた・・。

過去に執着せず、遠い漠然とした未来に執着せず、今を現在を今日を、明るく安穏と安らかに過ごす事が何よりも大切で有る・・。

失った過去への執着・・・まだ来ぬ未来への執着・・・これらの執着は、元を手繰り寄せて見れば、大抵は、己の欲にたどり着くものである。

そう・・・釈迦は、お見通し・・である。私は、多くを失った過去に、拘り執着をしていたのだ・・。そして、漠然と将来を思い落胆と不安を感じていた・・。

きっと、今日、精一杯頑張って働き、誰かの役に立ち、誰かが喜んでくれて、それで一日が終わりる・・・。

家に帰り、一杯のビールが旨かったり、他愛も無い話をし家族と一緒に食事をしたり、お風呂に入って「あ~極楽・・極楽」などと、年寄り臭い言葉を発してみたり・・・の、ちょっとした幸せ感・・・そんな事が、安らか・・幸せ時・・と言えるのだろう・・。それが、とても大切だと、釈迦は言っているのだろうと思う・・。

人が思い悩む多くの事柄は、物やお金や人との関わりなど自分の思う様に成らない・・現状が、ほとんどの事で、それは、自分の欲による執着にしか他ならない・・。過去を未来を思った時にも、同様の事が言えるのだろう・・。

次に、釈迦は、「自分の欲するものは、何一つ、あの世には持って行けない・・」とも言われた。そして、「現状を良く見よ・・・」と・・・。

この事に付いては、次回にご紹介をしましょう。

その現状を思い巡らした時に、さらに、「なるほど・・・」欲深い・・執着者の私は、気付く事と成った。

つづく

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