カプアン通信

日野原先生と犬



私は、社会人になり、銀座で働くようになってから
中野の実家を出て、中央区の月島や勝どきで独り暮らしを始めました。
昭和61年(1986年)から平成5年(1993年)までのことです。

近くで一番大きな病院は、
隅田川の川向こうにある聖路加国際病院でした。
現在の近代的な病院ではなく、戦前に作られた
クラシカルで大きな教会のような病院でした。
周辺には、戦前から残る木造の古い商店や学校などがそのまま残っていて
独特な景観でした。

最近知ったことですが、聖路加国際病院の一帯は
明治維新後、外国人居留地となっており、
聖路加国際病院は、もともと明治時代に米国人の宣教医師が設立した病院です。
そういった関係から、東京大空襲の際、
米軍は、聖路加国際病院がある築地・明石町一帯の爆撃をしませんでした。
だから、この地域には戦前の建物が多く残ったままだったのです。

私は何度か、聖路加国際病院で診察を受けましたが、ある日
亡くなる直前の大山倍達さんとすれ違ったことがありました。
極真空手の創始者で「牛殺し」で有名な格闘家です。
伝説のイメージと違い、柔和で背が低く太ったお年寄りでした。
下町の大病院だったせいか、いろんな著名人が受診していたようです。

私がこの街を離れる前年に、現在の新館が完成しましたが
新館には一度も入ったことがありません。
また、先日105歳で亡くなった日野原先生が院長だったことも
当時は知りませんでした。



1933年竣工の旧病院棟の保存部分
Wikipediaより 撮影:江戸村のとくぞう



しかし、平成7年(1995年)に起きた事件で
日野原先生のことを知ることになります。

勝どきから移転した先は、港区の東麻布でしたが
当時、まだ麻布十番駅はできておらず
最寄りの駅は地下鉄日比谷線の神谷町駅でした。
その日比谷線沿線などで地下鉄サリン事件が起きたのです。

その朝は、私は地下鉄に乗っていませんでしたが
事件に巻き込まれていてもおかしくありません。
日比谷線の東武動物公園駅行の列車が恵比寿駅に停車した後
車内でサリンが撒かれました。
乗客は、六本木駅~霞が関駅間の車内で被害に遭い
神谷町駅でも1名亡くなっています。

この事件がテレビで最初にニュースになったのは
「築地駅で爆発事故」という第一報でした。
これは、築地駅で運転を打ち切ったとき、ホームに倒れ込む乗客を目撃した運転士が
指令センターに「3両目から白煙が出て、複数の客が倒れている」と通報したためです。

築地駅は、聖路加国際病院の最寄り駅です。
院長の日野原先生は、事件を知り、ただちに全ての外来診療の中止を命令し
麻酔がかかっている患者以外の全ての手術の中止を指示しました。
日野原先生が被害者たちの搬送を見守っているシーンを
テレビでリアルタイムに見てました。

3年前にできたばかりの新館は、ホールが広く、豪華すぎると批判が相次いだそうです。
しかし東京大空襲の際、日野原先生は同病院で患者の治療にあたってましたが
患者が病院に入れず大勢の命を救えず悔やみました。
その教訓で、病院のどこでも治療が行えるように
廊下、待合室にも酸素吸入器など治療設備を準備しました。

そして、聖路加国際病院には
事件で最も多い2時間で640人の被害者が運び込まれましたが、
廊下やチャペルなどでも応急手当が行われ、多くの患者の命が助かりました。
聖路加病院での死者は1名だけだったそうです。


その後、日野原先生は「成人病」と呼ばれていた病気を「生活習慣病」と改める運動や
「新老人の会」の設立。
100歳を過ぎても多くの執筆や新聞連載、講演をこなしたことなど
いろんな活動が知られてますが、このたびの逝去に際し
マスコミが伝えていない、ひとつの活動があります。

それは、日野原先生は日本の小児病棟に初めてアニマルセラピーを取り入れた
ということです。

なぜ、小児病棟に動物が来ることになったか。
それは、ひとりの少女の願いがきっかけでした。

聖路加国際病院には、小児がんなど、重い病気をかかえた子どもたちが大勢入院しています。
そんな患者のひとりだった少女の、最期の願いが「犬に会いたい」だったのです。
2002年12月にその少女は犬に会うことができず亡くなります。

日野原先生をはじめ病院スタッフは、
どうして犬に会うことくらいの願いをかなえてあげることができなかったんだろう
と悔やみます。

そして、アンジェロ、カプアもお世話になっている
赤坂動物病院の総院長 柴内裕子先生が中心になって活動していた
日本動物病院福祉協会(JAHA)で活動する犬たちが
聖路加国際病院・小児病棟に訪ねるようになります。

このお話は、大塚敦子さんが書いた写真絵本
「わたしの病院、犬がくるの」に詳しく書かれています。





「わたしの病院、犬がくるの」
著者:大塚敦子
出版社: 岩崎書店
発売日: 2009/11/14

日野原先生は、小学生向けの新聞で以下のように語っています。

「子どもたちは、お医者さんから許可が出ないと犬に会えないので、
その日に向けて治療をがんばります。昼寝や食事にも積極的です。
犬と過ごす45分間は、どんな薬もかないません。
動物の力には、私もびっくりしています。」


また、末期の患者さんが最期の時間を過ごす病院内の緩和ケア病棟でも、
こんなことがありました。

「50代のお母さんが、『最後に愛犬に会いたい』と娘さんにたのんだのです。
娘さんは、お母さんの願いをかなえようと、テニスバッグに犬をしのばせて病室へ。
スタッフが病室に来ると犬をベッドの下にかくし、夜中に病院の外を散歩させました。
何人かの看護師は気づいていましたが、気づかないふりをしていました。
お母さんは安心して亡くなりました。
現在、娘さんは獣医師になり、犬のいのちを守っています。

セラピー犬は、子どもたちが病人だということを一瞬で理解します。
子どもが笑えば犬もうれしい。子どもが元気なければ犬も悲しい。
子どもの気持ちをまるごと受け入れ、決して裏切りません。
犬との『いのち』のふれ合いが、子どもたちの『生きる力』になっています。」

青字部分は、いのちの授業「日野原先生からみなさんへ」
(朝日小学生新聞2013.11.6より)


私も子ども時代から現在まで、何度か入院の経験があります。
大好きな犬に会えれば、辛い治療も頑張れる気がします。
日野原先生も認めた活動が、全国の病院に広がることを望みます。


日野原重明先生のご冥福を慎んでお祈りいたします。









■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
ちばわんイベントのお知らせ

夏のちばわんイベントのご案内です。
ぜひちばわんのいぬ親会へお出かけください。



2回目の開催です。参加わんこなど詳しくは↑バナーをクリックしてください。

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
迷子予防サイト開設のお知らせ



夏は迷子が増える時期です。
犬猫の飼い主さんには役立つ情報です。
ぜひ、バナー↑をクリックしてご覧ください

コメント一覧

カプアンパパ
はなこさん
シェアありがとうございます。

もしかしたら、セラピーアニマルを受け入れた病院は他にもあるかもしれませんが、大規模な「小児病棟」での受け入れは、聖路加国際病院が最初だと思います。

はなこさんは聖路加病院とご縁があったのですね。
そして日比谷線も使ってたのですね、事件に遭わなくて本当に良かったです。

先生があの事件の日に、外来を休診にして、大勢の命を救おうとした姿には、心が震えるものがありました。

日野原先生のお父様はキリスト教の牧師さんだったそうですが、人命を救うことに、キリスト教の独特な、「救済」や「恵み」の思想が根付いてるんだろうな、と感じました。
はなこ
http://blog.livedoor.jp/hapnapmm/
感動的な記事でした。

聖路加がセラピードッグを受け入れているということは知っていましたが、日本で初めてだったのですね。
それも日野原先生のご経験からの導入だったんですね。

わが家の子どもたちは2人ともこの病院で生まれました。
地下鉄サリン事件は息子が1歳のときでしたが、
妊娠期間はモチロン、その後も乳児検診でたびたび訪れていたときだったし、電車を使うこともあったので本当に怖かったです。巻き込まれた妊婦さんや乳児がいたのでは?とニュース映像に釘付けでした。

当時の様子を「プロジェクトX」で見たように記憶していますが、日野原先生のご経験に基づく判断が多くの人を救ったのですね。

この記事も、シェアさせてください。
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「カプアンパパの犬話」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事