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16年目突入。ビッグイベントに心躍らせながら、草の根のスポーツの面白さにも目覚めている今日この頃です。

選抜出場校 こんなこと思い出してしまいました 2023  その6【近畿2】

2023年02月06日 | 高校野球

≪選抜出場校の思い出 その6≫

近畿代表  大阪桐蔭(大阪)      14度目(4年連続) 優勝 4回
                    夏12度出場     優勝 5回  甲子園通算71勝15敗 

大阪桐蔭について、もう書くことはほとんどありません。現在の高校野球の最強チームにして、このままあと10年突っ走れば、すべての記録を塗り替えるのではないかと思うほどの充実ぶりです。大阪桐蔭のチームについて驚くのは、ほとんどの年のチームが「3年生中心のチーム」であるという事。これまで高校野球を席巻してきて、長年活躍してきたチームは、ともすれば「次の年度のことも考え、下級生をたくさんベンチ入りさせ、レギュラーとして使っている」ことが多かったという印象があります。全盛期のPLこそ今の大阪桐蔭に近いチーム構成でしたが、智辯和歌山、横浜、帝京、明徳・・・・・どこも下級生を夏のレギュラーなどとして使い、新チームの軸として据えて秋を戦い抜く、といった印象が強いですね。しかし大阪桐蔭は、最強と言われた根尾・藤原時代はもとより、一昨年も昨年も、完全に3年生中心のチーム編成でした。「これは秋は苦労するぞ・・・・」なんて思われがちですが、経験がないはずの新チームでも、戦えば他校より一歩も二歩も上にいる。それが「層が分厚い」大阪桐蔭というチームなんでしょうね。そういうことがあるから、選手たちは「何とか3年間頑張り抜く」とモチベーションも高いのでしょう。理想的なチーム作りですね。さて、今年もドラ1間違いなしの剛腕サウスポー・前田を軸に、優勝候補の大本命。今年もまた「大阪桐蔭の大会」になるのか否か。注目されますね。


昨年の記事 ⇒

昨年は春夏ともに優勝候補に上がりながら、いずれも近畿のチームに屈して早期敗退。初優勝した08年から、甲子園で9割近い勝率を残していた大阪桐蔭にとって、本当に悔しい年となりました。しかし「21世紀の高校野球最強軍団」が、黙って引き下がっているはずはありません。今年のチームは例年にも増して素材の良い選手が集まり、そして特徴としては粘り強いこと。すでに来年のドラ1競合が確定的とも言われるエース左腕前田を、ずらりと並ぶピカピカの3年生たちが援護、スキのない布陣が出来上がりつつあります。大阪桐蔭の試合を見る時の楽しみとしては、「今年のチーム」を過去の大阪桐蔭の超絶なチームと比べたり、80年代の最強PLのチームと比べたりしながら見ること。すでにワタシにとっては、勝つか負けるかという事を超越した存在になりつつあります。いやっ、今年に限っては、サッカーでその超絶ぶりを見せつけた青森山田と比べて見ちゃったりするのも楽しみですね。競技は違いますけど。。。どっちのオーラがすごいかな・・・・・なんてね。まあ、大阪桐蔭を見るというのは、「究極の高校野球のチームを見る」というのと同義語であり、その強い強いチームに対して、思いもよらないチームが牙をむく・・・・・なんてことがあるもんだから、高校野球の観戦はやめられないわけです。


その前の記事 ⇒

まあもう、大阪桐蔭について書くことなんて、まったくありません。今年もドラフト候補がずらっと並ぶ才能の宝庫のようなナインが、名指揮官の下、甲子園をまるでわが庭かのように駆け巡る野球を目にすることができるということです。高校野球ファンとして、いつも思うのは「今の大阪桐蔭と、全盛期のPL,果たしてどっちが強いんだろうか」ということですね。いつでもどこでも、こういう時代をまたいだ「最強はどこだ」という論争は、どの競技でもやむことがありません。まさにこれこそが「ファンのお楽しみ」でもあるわけですからね。『今…』派は、「今の野球のほうが進化しているし、球速やらスイングスピードなどの絶対値においては、比較にならん」と言うでしょうし、『昔…』派は、「昔のほうが野球のレベル自体が高かった。やっている人数自体も段違いだし」と若干美化された記憶を手繰り寄せ、言うことでしょう。。。。しかしこの論争、どこまで行っても決着がつくことなど、あるはずがありません。だって、しょせんは同じ土俵で比較しているわけではないんですから。。。。。一つだけ言えることとしては、「昔のPLも、今の大阪桐蔭も、どっちも他校から恐れられ、リスペクトされ、ほとんど甲子園で負けることのないチームだ」ということですね。さあ、今年も大阪桐蔭が、涼しい顔をして優勝旗をその手中に収めるのでしょうか。はっきり言います。今年の大会も、大阪桐蔭vs他の31校 という図式だけは、変わらないということです。


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2年ぶりの大阪桐蔭の登場です。前回この記事を書いた時から、2度の優勝、11勝を積み重ねて重ねた優勝回数が春夏8度。通算勝利も63勝となって、まさにこの世の春を謳歌する『高校野球の盟主』そのものの学校です。高度情報化社会の今、インサイド情報をも手にした有力な中学生たちは、まさに我も我もと大阪桐蔭にはせ参じ、草木もなびくという状態になっていると聞き及びますので、この流れはしばらく続いていくと思います。萩原を皮切りに、中村剛、西岡、平田、辻内から中田、浅村、藤浪、森、そして根尾に藤原。。。。どれだけのプロ野球に名を残すスーパープレーヤーたちがここから旅立っていったことでしょうか。まさにチーム作り、人づくりに長けた名将・西谷監督はどこまでこのチームを高みにまで引き上げることでしょうか。今年もどんなチームが出来上がってくるのか。高校サッカーに青森山田ありだったら、高校野球には大阪桐蔭あり。そんな存在のチームですね。


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さあ、連覇を狙う大阪桐蔭の登場です。
昨年も一昨年も記事を書きましたので、思い出はそちらをご参照ください。
今年のチームは、昨年全国制覇を成し遂げたチームやこれまでの全国制覇のチーム以上の戦力と言われ、秋のドラフト指名候補が1位候補3,4人を含み5,6人もいて、【高校野球史上最高】とまで言われる陣容を誇ります。さて、どんな戦いぶりを見せるのか。とても楽しみですね。

その前の記事⇒https://blog.goo.ne.jp/angeldad/e/025ae8447f2f17fe17754ff36d2552aa




近畿代表   履正社(大阪)      13度目(4年ぶり) 準優勝2回
                    夏4度出場     優勝 1回  甲子園通算22勝11敗 

昨年は、履正社にとって大変大きな年となりました。何しろ履正社の野球を実質的に作り、1から10まで知り尽くす”チーム中興の祖”岡田監督が退任し、母校の東洋大姫路に移ったからです。チームとしてはこの大きすぎる出来事を乗り越え甲子園を狙いましたが、夢は実現せず。この世の春を謳歌する大阪桐蔭に対し、いつも岡田監督が気迫で迫っていた履正社は、大きな岐路に立たされたといっていいかもしれません。同じ強豪校ながら、そのチーム作りなどは大きく違う大阪桐蔭と履正社。大阪の中でPLを倒し強くなってきたのも90年代後半からと同じ時期です。その岡田監督率いる履正社、「どうしても甲子園で勝てない(優勝できない)」というものを背負った戦いでしたが、2019年に夏の選手権で初優勝。まさに宿願を達成し、その栄光とともに岡田監督から、多田監督に代わり新たな歴史を作るべく歩み出しました。山田(ヤクルト)を筆頭に多数のプロ野球選手を輩出する履正社ですが、どうしても戦いぶりに粗さが抜けず、「負けない戦い」で毎年白星を積み重ねている大阪桐蔭とは、甲子園の実績で大きな差がついてしまっています。大阪桐蔭に全くスキが感じられない現在において、新生・履正社は果たしてどんな戦いを挑んでいくのでしょうか。それともだんだんとフェイドアウトしていってしまうのか?今年の選抜は、一つの試金石の大会だと見ています。

前回の記事 ⇒

大阪桐蔭と長らく「大阪2強」と言われていたものの、甲子園での戦績で大きく水をあけられていた履正社。選抜では17年に決勝で「大阪対決」となったもののライバルに敗れて涙をのみ、夏の大会の大阪府予選では連敗中。しかしそんなすべての『負の記憶』は、昨年の夏の全国制覇でかなり払拭できたのではないかと思っています。打線を中心にしながらポイントでは投手陣が踏ん張りを見せて掴んだ栄冠は、履正社のナイン、そして何より岡田監督に大きな自信を与えたのではないでしょうか。そしてここからが履正社の「新たな第2章」の始まりだと思います。今年も大阪桐蔭と呉越同舟での選抜出場。さて、このあたりでライバルに一つ土をつけるべく、腕を撫しているのではないでしょうか。昨夏の優勝メンバーもかなり残っている今年のチーム、期待値は高いのではないでしょうか。大阪桐蔭も甲子園で勝てない時期は長く、横浜や東海大相模、浦和学院などのチームも長いトンネルから抜けてすっかり戦い方が変わって甲子園でバンバン勝てるようになりました。一皮むけた履正社の戦い、大いに期待しています。


その前の記事 ⇒

前回の選抜出場で見事に二度目の準優勝を飾った履正社。もうすっかり「全国高校野球の顔」として認識されていますが、その前に大きく立ちはだかっているのがご存知の大阪桐蔭。履正社としては、前回の準優勝はうれしかった反面決勝で敗れた相手が大阪桐蔭だったというところに、何か引っかかりもあるのではないでしょうか。大阪桐蔭はそこから昨年は春の選抜を連覇し、そして夏も勝って春夏連覇を達成。「最強伝説」にまた新たな1ページを付け加えました。しかし履正社も、黙ってみていたわけではありません。昨夏の大阪大会準決勝の大阪桐蔭との激闘は、「全国屈指の好カードとは、こんな激闘を生むんだな」という事を改めて認識させられ、この2強のレベルの高さにため息をついたものでした。ほぼ同じ時期に全国の舞台で活躍し始めたこのライバルがすでに甲子園63勝、なんと8回の全国制覇を成し遂げているのに対し、「実力的には決して劣っていない」と言われる履正社がまだ全国制覇を成し遂げておらず甲子園勝利数も16勝にとどまっているのは、関係者としては悔しい思いでしょう。今年はなんとしても初の全国制覇を成し遂げて、大阪桐蔭に肩を並べる第一歩としたいこの履正社の戦いに、注目してみたいと思っています。

その前の記事 ⇒

昨秋の明治神宮大会を制していち早く『全国制覇』を成し遂げた履正社。この選抜では、堂々『西の横綱』として、優勝候補筆頭の評価で大会に臨みます。今や山田哲人(ヤクルト)をはじめとしてプロ野球にもたくさんの人材を送り込む大阪の強豪。ライバルでもある大阪桐蔭が『高校野球の盟主』の座をがっちりとつかんでいるのと比較すると、同等の実力を持つとされるこの履正社の甲子園の実績は、まだまだ比較できるものではありません。しかし振り返ってみると、大阪桐蔭も西谷監督の時代は、実力はありながらなかなか甲子園で実績を積み重ねるところまで行くのには時間がかかりました。中村(西武)・岩田(阪神)のいたチームでは甲子園出場を逃し、西岡(阪神)擁するチームでは甲子園で初戦敗退。辻内(元巨人)平田(中日)中田(日ハム)らを擁した超絶なチームでも、頂点には届きませんでした。しかし浅村(西武)らがいたものの前評判はさほど高くなかった08年のチームで優勝を果たすと、あとは何かつかえていた栓が抜けたかのように、短い間で3度もの全国制覇を飾って、今や押しも押されぬNO1チームとなっています。
これを履正社に当てはめると、履正社はちょうど05年の大阪桐蔭のような段階なのかもしれません。一度全国制覇を経験したら、あとは常勝の名をほしいままにするチームに生まれ変わる可能性は、大きいのではないかと思っています。黙っていても『いつかはそうなる』とは思いますが、今年はその大チャンスの年なのかもしれませんね。ちょうど大阪桐蔭が、スーパースター中田で全国制覇を逃した翌年に、地味と言われたチームで西谷監督初の全国制覇に輝いたように、履正社も昨年のスーパースター、寺島投手で成し得なかった全国制覇に、そのポスト年である今年、挑んでいきます。
さて、履正社の甲子園での歴史は、1997年夏に始まります。その当時、まだ大阪はPL学園の天下。最強と言われた80年代からは力を落としていたとはいえ、まだまだ中村監督も健在で、90年代も大阪の中心はPLで間違いありませんでした。事実95年には福留(阪神)を擁して甲子園の話題を独り占め、翌96年にはエース前川(元近鉄)で甲子園をつかんでいます。98年にはあの松坂擁する横浜と甲子園で激闘を繰り広げたチームです。履正社はそのPLの間隙をぬって、97年に初出場を決めましたが、ワタシも『履正社?どこ、そのチーム』という感じで、全然知らないチームでした。ちなみにこのときの府大会決勝は履正社vs関大一。まったく知らないチーム同士の対戦で、本当に驚いたものでした。その初出場のチームは、今とは全く別の守りを中心としたチームでしたが、甲子園では初戦で岩手の専大北上に惜敗。大阪のチームが岩手のチームに負けるなんてことは想像だに出来なかったので、本当に驚きました。次に甲子園に登場したのは10年後の06年春。そして甲子園初勝利を飾ったのが08年春ですね。10年夏には、あの山田を擁して夏の選手権へ。甲子園に出てくるたび、大阪の代表ということで一定の注目を集めていましたが、甲子園では自分たちの野球ができずに早い段階で敗れるということが続き、甲子園で実績を残し続ける大阪桐蔭と、どうしても比較されて『勝負弱い』と形容されることが多かったように記憶しています。しかし11年の選抜で飯塚投手を擁して4強に進出。このあたりからようやくその存在感を発揮しだして、14年春には見事に準優勝に輝きました。06年の選抜出場から、9年間で6回の出場を果たし、さらに徐々に戦績がアップしてくるにつれて、『春の履正社は怖いぞ』というのが浸透してきているようにも感じます。逆に夏はどうしても大阪桐蔭の厚い壁を破れずに甲子園までたどり着くことができませんでしたが、昨年寺島投手を擁したチームがその壁を破り、ようやく『履正社新時代』というか、『黄金の10年を迎えた』という感じが、ビンビンと伝わってくるように感じています。
ここからの履正社、本当に大注目です。大阪桐蔭とのライバル関係は、今後一層、ものすごいものになっていくことでしょう。もうすでに、『甲子園で勝つよりも、大阪で勝つ方がずっと難しい』状況になりつつあるこの両者の対決。目が離せないどころか、一試合でも見逃せない・・・・って感じです。今年の選抜も、流れが向けば両校の『決勝対決』が見られる可能性もありますね。 

 

 

近畿代表   報徳学園(兵庫)     22度目(6年ぶり)   優勝2回
                    夏15度出場     優勝1回  甲子園通算60勝33敗  

かつて「逆転の報徳」との異名をとった報徳学園。最後まであきらめないその戦いぶりに、たくさんのファンがつくチームです。甲子園での成績を見ると、甲子園通算60勝、勝率は6割を優に超え、優勝も3回あります。さらに甲子園で決勝まで出たら負けなしというのも、大阪桐蔭と並んですごい記録ですね。ワタシは前回の記事でも書きましたが、報徳といえば昭和49年の選抜初優勝時の「しぶとすぎる報徳」、昭和56年夏優勝の「金村中心の、超大型チーム報徳」、そして2010年春夏連覇の興南を寸前まで追いつめた「粘りの報徳」の3チームがすぐに思い浮かびます。いろいろ思い浮かびますが、結局は「最後まで試合をあきらめない粘り」こそが報徳の真骨頂、チームの中に流れるDNAだと思いますね。金村時代、優勝した年の3回戦で、早実の荒木を9回土壇場で打ち崩した鮮やかすぎる攻撃は、忘れようと思っても忘れられるもんじゃありません。昭和49年のチームも、誰一人大型選手がいない中、「関東三羽烏」と言われた土浦日大・工藤、銚子商・土屋の剛腕を次々打って下した戦いは鮮やかでした。2010年のほぼどのチームも打てなかった興南の大エース・島袋を鋭く崩した攻撃も、忘れられません。さあ、今年の報徳もなんだか評判が高い、いいチームのようです。強豪に対して最後まであきらめない粘りで劣勢を挽回する報徳野球、甲子園でまた、花開くでしょうか。


前回の記事 ⇒

戦前から和歌山、大阪、京都と並んで”野球どころ”として名高かった兵庫県。その戦前からの老舗の各校から、昭和40年代以降県の盟主の座を奪ったのが、当時新興勢力だった報徳学園と東洋大姫路。昭和40年代から60年代にかけて本当に両校のライバル関係はすさまじかったですね。報徳学園は昭和30年代後半から甲子園の常連校となりましたが、甲子園のデビュー戦が伝説ともなっているあの倉敷工業戦でした。世にいう『奇跡の大逆転』。何しろ0-0で延長11回までもつれこみ、表に相手に6点を先行されながら、裏の攻撃で6点を取り返して追いつき、12回にサヨナラ勝ちですもん。今に至るまで、そんな試合が甲子園で行われたことはありません。様々な『奇跡の戦い』はあるものの、この試合のインパクトはとてつもなく大きいですね。そして報徳学園は、この試合で一気に名前が全国区となったことでしょう。何しろ学校の所在地が西宮市。まさに甲子園の『地元中の地元』という学校です。この報徳について、甲子園でも数々の激闘を演じていますが、ワタシの記憶に残っているのは、1974年春の優勝、81年夏、金村を擁した全国制覇、そして2010年のあの興南を追い詰めた果敢な戦いの3つです。74年春は、のちに慶応大の監督を務める福島監督のチームでした。この大会、注目を集めたのは剛腕エースをそろえた関東勢。中でも関東三羽烏と言われた銚子商・土屋、横浜・永川、土浦日大・工藤はいずれも大型右腕で、ドラフト1・2位でプロ入りした投手でした。報徳は下馬評には全く上がっていなかったものの、何しろ接戦に無類の強さを発揮する”福島野球”で、2回戦では工藤を、準々決勝では土屋を攻略。快進撃を続けて、決勝ではあの『イレブン池田』を破って初優勝しました。先発の右腕・住谷から後半のピンチで必ず左腕・東にリレーする絶妙の継投策は、まさに福島マジックと呼べる采配でした。確かこの大会、金属バットが導入される前最後の大会でした。それゆえまだ『投手中心の細かい高校野球戦法』というのが勝つために最も有効と言われていた時代の野球。これにピタッとはまったのが、報徳のこの年の野球でした。そしてその7年後の1981年。中学時代からの教え子を連れて報徳の監督になった北原監督の下、74年とは全く違うスケールの大きなチームとして甲子園に登場。報徳は、エース金村の超人的な活躍で優勝をまさに”もぎ取った”という感じでした。この年のチーム。春の選抜には出場するものの、初戦で剛腕・槙原の大府に惜敗して白星を挙げることはならず。しかしその試合で垣間見せたスケールの大きさは、夏への期待を十分に抱かせるものでした。そして春夏連続出場を決めた報徳は、夏の大会前には堂々と”西の横綱”という評判をとるチームとなっていました。ちなみに”東の横綱”格は前年度準優勝にしてエース荒木を擁する早実でした。初戦を突破した報徳は、2回戦で前年度優勝校の横浜と激突。前年より戦力を落としていたとはいえ有力校の一つに上がっていた横浜に対し、報徳はまさに『金村のワンマンショー』という感じで快勝。何しろ金村、この試合で投げては強打の横浜打線にスキを見せず1失点完投。そして打っては、横浜の連覇の夢を粉々に粉砕する2打席連続ホームラン。『こいつのスケールは、どこまで大きいんだ!』そんなことを全国の高校野球ファンに見せつける活躍。その風貌と相まって、野武士的な金村の評価はうなぎのぼりでした。その”野武士・金村”が次に対戦したのが”甲子園のアイドル”荒木率いる早実。『事実上の決勝戦』と言われたこの3回戦、甲子園はまさに満員札止めの凄い観客で膨れ上がりました。この試合で荒木の投球は冴えわたり、強打の報徳に対して終盤まで全くスキを見せませんでした。金村も好投するものの終盤に早実の打線につかまり7・8回で4失点。報徳は1点を返すものの1-4のビハインドで最終回を迎えました。ほとんどの観客は早実の快勝を信じて疑わなかったこの試合、9回に物凄い逆転劇が待っていました。まさに甲子園デビュー戦での『逆転の報徳』をほうふつとさせる連打。それまでの沈黙がウソのように、報徳の打者が牙をむいて荒木に襲い掛かっていきました。そして1点を返して2・3塁の場面。そこで打席に立った代打浜中。どうみても打てそうにないこの160センチぐらいの小さな選手の渾身の一撃は、サードベースの上を鋭く抜けていって、同点の2塁打になりました。何度も何度もベース上でガッツポーズを繰り返すこの浜中選手の嬉しそうな姿、今でもはっきりと思い出すことができます。このイニングで報徳が逆襲し始めた時の甲子園の雰囲気、それはもうすごかった。球場のほとんどが『セントポール・マーチ』のメロディーに乗って手拍子を繰り返し、マウンド上の荒木はその完全アウェーの雰囲気に、ものの見事に飲み込まれてしまいました。早実を応援していたワタシは、このシーンを見ていて、とても悔しかった思い出もあります。
そして決着は延長10回。もう余力が残っていなかった荒木に、報徳の誇る中軸の金村・西原が連続でレフトに物凄い当たりの2塁打を放ち、荒木を粉砕して報徳にはっきりと優勝への道が広がっていったのでした。準々決勝からも、報徳は今治西・藤本(元南海)、名電・工藤(SB監督)、そして”沢村二世”と言われた京都商・井口と、まさに好投手とばかり対戦しましたが、その都度金村を中心に強打線が相手を粉砕。並外れた打力と、ほとんどの試合を1失点以下に抑えた金村の投手としての安定感が見事に融合し、夏は初めての全国制覇を成し遂げました。この年をさかのぼること4年前の1977年にはライバルの東洋大姫路が松本投手で全国制覇していますが、その時のチームとこの81年の報徳のチームは、そのスケールの大きさなど、本当に良く似たチームでした。『スケールの大きさと野武士的なゴッツイ芯の太い野球』それがワタシの兵庫県代表、とりわけこの2校に抱く、今も変わらぬイメージです。
その後は2002年に大谷投手(ロッテ)を擁して優勝しますが、このチームは実はさほど印象には残っていません。それよりもインパクトという点では、2010年のチームが印象深いですね。この年は甲子園に『興南旋風』が吹き荒れた年でした。春選抜に優勝した興南は、夏はさらにスケールアップして甲子園に登場しました。エース島袋はこのときは『難攻不落』と言われるほど左腕からの投球が冴えわたっていましたし、『甲子園最多安打』の記録保持者であるキャプテンの我如古の猛打も、とどまるところを知りませんでした。この興南と準決勝で激突することになった報徳は、ここまで『よくやっている』とは言われるものの、戦力的には大きな差があるように感じられました。エース大西と1年生の田村の投の2本柱は、あの74年の住谷―東のリレーをほうふつとさせ、ワタシはその戦いを見ながら、ひそかに昔のことを思って楽しんでいました。それから個人的なことですが、近年関東遠征をおこなうようになった報徳の練習試合を、このころ何度か目にしたことがあり、そんなことから親近感がわいて、報徳を応援したりしていました。でも試合前、『たぶん試合にならないのでは……』と本音では思ったりしていましたが、試合が始まってみたらそんな予想はどこへやら。序盤から報徳の打線が島袋を捕らえ、報徳の選手の動きが、本当に素晴らしくて。。。。。。この年の報徳のチーム、決してスーパースターがいたわけではありませんでしたが、『究極の全員野球』のような感じのチームで、本当に素晴らしい戦いぶりでした。しかしながらこの年の興南は、それを凌駕するほど神がかった存在でした。序盤の0-5のビハインドをものともせず、じわじわと報徳にプレッシャーをかけていくと、7回に追いつき逆転。そのまま逃げ切り、高校野球史の1ページを飾るような素晴らしい戦いに、終止符が打たれました。この試合を見てワタシ、『やっぱり報徳は、魂の野球だなあ』というのを強く思うことができました。
ワタシが知る限りの報徳の野球の系譜。監督は福島監督から沢井監督へ。北原監督を挟んで、現在の永田監督へ受け継がれていると認識しています。永田監督は94年監督就任ですから、本当に長く監督を務めていますね。この選抜で勇退が決定しているということで、今後は大角部長がその報徳野球を引き継いでいくようです。初出場時からずっと変わらず、『地元の代表』として甲子園をわかし続けている報徳学園。この選抜は、永田監督最後の雄姿となるので、選手のモチベーションはいつも以上に上がっていると思われます。『不利の予想の時ほど、いい戦いをする』報徳野球の神髄、見られるかもしれません。楽しみです。


近畿代表    社(兵庫)       2度目(19年ぶり)
                    夏1度      甲子園通算4勝2敗

社と言って高校野球ファンのだれもが思い出すのが、初めて甲子園に姿を見せた04年の選抜でしょうね。この年は地元・近畿勢が振るわず、8強に社しか残らない中、その「甲子園春夏全くの初顔」の社が、痛快な快進撃を見せました。その大黒柱は左腕のエース大前。キレのある速球とスライダーで毎試合好投を見せ、2回戦で延長14回、準々決勝で延長12回の激戦を制して4強入りしました。甲子園には大声援がこだましていましたね。「社ってどんなチーム?」と最初はいぶかしげに見ていたワタシも、勝ち進んでいくうち「社ってスゲ~な」って感じで、注目度Maxでした。しかし、それからは全くと言っていいほど音沙汰はなし。兵庫県の高校野球は、それからずっと群雄割拠の時代が続いていたのに・・・・です。しかし昨夏、その18年の沈黙を破って夏の甲子園初出場。初戦で県岐阜商を破ると、2回戦で二松学舎に敗れはしたものの、大敗ムードの終盤に猛反撃をし、「社はやっぱり社だった!」とワタシをうならせてくれました。そんなチームが夏春連続出場、今度はまた春の大躍進を見せるべく、腕まくりです。しかしワタシ、まさか今年、社が選抜されるとは思っても見なかった。秋季大会の戦いぶりを見ても、はたまた地域性を見ても、社が選抜されるのはかなり難しいと思っていましたから。もしかしたら・・・・・社の甲子園での大活躍が強く頭の中に残っている選考委員が、いたのかな? まあ、ワタシも同じようなひとりではありますがね。


(つづく)


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