
今季の西武ライオンズ。
昨年地獄の91敗というシーズンを過ごし、
今季は西口新監督を迎えて、
捲土重来を期すシーズン。
ワタシは自分の地元だったということから、
78年に球団が所沢に移転してきてからのファン。
80年代から90年代にかけての黄金時代には、
声を枯らして応援していました。
その頃の西武。
オーナーの堤さんを筆頭に、
とにかく「何がなんでも勝つ」という意識が、
ここまで徹底していたチームは記憶にありません。
V9時代の巨人は、
長嶋、王にその他の精鋭たちが、
名将・川上監督の下いつも「勝つのは必ず俺たち」という意識の下、
ものすごいチームを作り上げました。
その時代が過ぎ去った後、
もともと野球には全く興味がなかった堤オーナーが、
「やるんであれば、巨人から野球界の盟主の座を奪わなければ意味はない」
という意識の下、
経営者、フロント、そして現場が三位一体となって、
それは強いチームを作り上げました。
フロントのチーム作りは「野球界の寝技師」と呼ばれた根本陸夫氏の下徹底しており、
そのフロントの整えた戦力を、
V9巨人を支えた頭脳、広岡・森両氏が現場で監督として動かす。
その現場は,
最初の2連覇こそ「隙だらけのチームながら、勢いに乗って」の日本一でしたが、
その後は森監督のもと、本当に「プロの集団」となって連覇を成し遂げました。
4連覇の後、
最後の最後でひっくり返された1年を経て、
その後5連覇。
10年間で9回のV.
あのブライアントの4連発がなければ、
空前絶後の10連覇を達成していたかもしれません。
ワタシはファンとして、
本当にこの頃のチームには、
プライドを持っていました。
石毛、辻、伊東のリーダーたちに、
秋山、清原、平野などの強力な選手たち、
ピッチャーも東尾、工藤,渡辺、郭など、
球界を代表する選手たちが揃っていました。
そして何よりすごかったのは、
その選手たちのベクトルが、
常に勝利に向かっていたことだと思います。
まさに選手たちは「プロの集まりだなあ」と、
常々ワタシは思っていました。
試合の中で、
バッターたちはいつも試合の流れを読み、
ケースバッティングができていました。
そして勝負強かった。
その代表格が、
当時の4番、清原ですね。
彼は現役時代、
結局一度も打撃のタイトルを取ることはありませんでしたが、
「優勝チームの4番」ということで考えたら,
彼ほど頼りになる打者はいませんでした。
なので、
ワタシは清原が巨人に移籍した後、
あんなセルフィッシュなバッターになってしまったことが、
ホント信じられません。
そんな、
勝つというプライドの塊だったプロ軍団が、
固定されたメンバーの高齢化とともに徐々にその力を落としていき、
チーム自体もだんだん解体されていきました。
FAの導入とともにその草刈り場となってしまったチーム。
まあそれは、
必然ということも言えるでしょう。
ベテランの選手たちは、
西武ライオンズというチームでこれ以上ない実績を残し、
徐々にその勢いを失ってきたのを目の当たりにし、
自分のキャリアをもう一度新たな気持ちで・・・
と思ったとしても,それは仕方のないことです。
時を同じくして、
根本さんが西武を離れ、
新たな新天地を求めてダイエーに移ったのも大きな出来事でした。
そして企画した特大トレード。
新しいダイエーというチームには、
絶対に西武の常勝の血が必要ということで、
秋山をトレードで迎え入れました。
この驚天動地のトレード、
短期的に見ると若きヒットメーカーの佐々木やエース・村田を迎え入れた西武が得をしたように見えましたが、
長期的に見ると、
この時からダイエーの躍進の基礎は築かれ、
西武の瓦解の第一歩になったことは間違いありません。
そしてFAでは、
チームのまさに投打の要であった、
石毛と工藤がダイエーに移りました。
西武は東尾監督に変わり、
それなりに頑張ってはいました。
特に西口、松坂を加えた投手陣を中心に、
独自のチーム作りのメソッドで、
90年代後半から00年代にかけて、
常に優勝を争うチームというところは外しませんでした。
しかしその後、
堤オーナーがオーナー職を離れ、
フロントにも根本時代を知る人が一人去り、二人去りしているうちに、
どんどんチームとしての核の部分を失っていってしまいましたね。
西武はその後、
様々なネガティブな事象が親会社とともに噴出して、
「あの頃の西武ライオンズ」とは全く同じとは思えないほどの,
清貧のチームになってしまいました。
そしてフロントは、
非常に脆弱になり、
なんだか「明るくC調なチーム?」
を目指したのかなんなのか、
どんどん「プロっぽい部分」を喪失したチームになっていった気がします。
それでもプロ野球って、
何年かに一回は、
チームが噛み合う時が来るんですね。
まあ、そうですよね。
どのチームも等しく、
ドラフトの権利が与えられているんですから。
それが西武の場合、
08年と、辻発彦という稀代の名将がチーム作りをになった18年、19年だったということです。
まあしかし、
優勝したとはいえ、
それはまさに一過性のもの。
チームに流れる空気が変わらないので、
2年、3年,それ以上と、
強さは続いていきません。
そして10年代からは、
ハッキリ言って「なんだ,このチームは」という空気がハッキリとチームを支配していて、
正直ワタシが真剣に応援したい「これぞプロ」というチームからはどんどん離れていきました。
そしてそのボトムラインが、
あの去年の体たらくだったように思います。
まさに「落ちるところまで落ちた」
としか言いようのないチーム。
その一翼を担ったのは、
何にもいえない指揮官・松井稼頭央氏と、
ずーっとこのチームに関わり、このようなチームに導いたと言って良い渡辺久信氏。
もうこれは、
「身売り」しか手はないよ。
そんなふうにワタシは思っていました。
しかし西武という会社がチームを絶対手放さない、
という決意のもと、
球団フロントトップに苦労人で腹のすわった広池浩司氏を据え、
監督には西口を、
そして主要コーチ陣には他球団OBで何も西武に関係のない、
鳥越氏、仁志氏、大引氏を据えて、
大改革に乗り出しました。
この新しいフロント、
現場の監督もコーチも、
かなり球団の大改革に、
腹がすわっている感じがします。
親会社はまだまだ「予算ありきの球団経営」を脱することはできませんが、
それでもフロント、現場は「やることをやる」で一致していると思います。
その象徴的な出来事として、
今日中日に金銭トレードされた、
佐藤龍世のことがあると思います。
佐藤はかつて刑事事件になるような不祥事を起こし日ハムにトレードされたものの、
そこでも信頼を得ることなく浮いているところ、
“男気番長”渡辺久信GMが助け舟を出し再入団にこぎつけ、
昨年は非常に珍重されました。
しかし今季のキャンプ中、
北海道でチームの規律を乱し即三軍行き。
フロント、
そして首脳陣は、
決してこの危機感のない、
緩いマインドの佐藤を許しませんでした。
こここそがチーム変革の第一歩、
とでも言うように、
どんなに一軍の戦力が厳しくとも、
そして彼が二軍でどんなに打とうとも、
決して彼を一軍に上げることはしませんでした。
そして今日、
中日への金銭トレードの発表。
ワタシはこのニュースを聞いて、
そして今年のチームに流れる空気を見て、
ちょっとこのチームを見直しています。
千里の道も一歩から
この例えもあります。
長い長い道のりになると思います。
今少しだけ好調ではありますが、
これが今季ずっと続くなんて、
全く思っていません。
しかし。。。
チームは、
確実に変わる第一歩を、
踏み出したんじゃないかと思います。
あの栄光の時代の、
プロの集まりであるチームに戻るのはなかなか難しいことだと思いますが、
ぜひ頑張ってほしいと思っています。
ワタシの期待する滝沢夏央、
ルーキーの渡辺聖也、
今年大ブレーク中の西川愛也。
ピッチャーもどんどん新しい顔が出てきました。
何年後かには、
今の日ハムや、
ちょっと前のオリックスのようなチームに、
なっていてくれることを望んで。