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16年目突入。ビッグイベントに心躍らせながら、草の根のスポーツの面白さにも目覚めている今日この頃です。

日ハム・工藤幹夫の早すぎる死   強烈な思い出は、決して消えない!

2016年05月14日 | プロ野球

今日のスポーツ紙で、
信じられないような悲しいニュースが。

元日ハムの工藤幹夫氏が、
55歳という若さで亡くなったという記事でした。

工藤幹夫

輝いた時はほんのひと時でしたが、
まばゆいばかりの輝きを放つキラキラとした星でした。

秋田の無名校である本荘高校からドラフト2位で日ハムに入団した工藤投手。
その頃、大沢親分に率いられてパ・リーグの強豪へ歩みを進めていた日本ハムは、
81年に念願のパ・リーグ優勝を飾り、
82年は連覇を狙ってペナントレースに突入しました。

その日ハムに、
突如として『若きエース』に躍り出たのがこの工藤幹夫。

サイドスローから、
まさにキレキレのボールを内外角に投げ分ける小気味いい投球で、
パ・リーグの猛者たちをまさに『手玉に取る』ピッチングを披露。

開幕から八面六臂の活躍で、
20勝4敗、防御率2.10という、
まさに現代で言うとマーくんやダルビッシュ並の安定感抜群のピッチングを披露しました。

横手から内外角に投げ分ける、
ベースを幅広く使うピッチングは見事なものでした。

その頃のパ・リーグは現在のJリーグ張りの2シーズン制。
前期はワタシの一押し、西武ライオンズが球団創設初の優勝を飾り、
後期はディフェンディング・チャンピオンの日ハムが制し、
3戦先勝のプレーオフに突入することとなりました。

しかしそのプレーオフ開幕の少し前、
日ハムから衝撃のニュースが発表されました。
それは『エース工藤が自宅で指を骨折。プレーオフ出場は絶望』
というもの。

日ハムのファンの嘆きはいかばかりか・・・・・・
なんて思いは若いワタシには全くなく、
『うっしっし。やったぜ、これでプレーオフはいただきだ!』
と高らかにガッツポーズをしたものでした。

その第1戦。

ワタシは西武球場の内野席に陣取り、
プレーボールを今か今かと待っていると。。。。。。

程なくして先発メンバーが発表になりました。

そのアナウンスを聞いて、
ワタシのみならず、
球場中が驚きとため息に包まれました。

『ファイターズのピッチャーは、工藤。』

え~~~~~~

その驚きは、
もうどう表現していいかわからないほど。


日ハム・大沢親分の、
乾坤一擲の『エース隠しの術』でした。

この年西武の新監督になって『管理野球』を高らかに打ち出した広岡監督。

その広岡監督のやることなすことが忌々しいと公言し、
『管理野球なんてくそ食らえだ。どっちが去年のチャンピオンだと思ってるんでい。野菜ばっかり食ってるヤギさんチームになんか、負けるわけねえ』
と闘志むき出しでした。

そういうシーズン前からの確執もあって、
このシリーズの盛り上がりは凄いものでした。

そして、
この『エース隠し』

ワタシは、
訳もなく興奮しながら、
その試合を見守ったものでした。

そして先発した『エース』工藤は、
シーズンと同じように素晴らしいピッチングを披露。

強力打線で鳴らした西武も、
この工藤のピッチングに手も足も出ずに7回までゼロ行進。

工藤の気迫あふれるピッチングは、
大沢親分の気迫と魂がそのまま乗り移ったような、
素晴らしいものでした。
ワタシは試合を見守りながら、
『こりゃあ打てねえなあ』
と思ったものです。

しかしこの試合の結末は、
西武が日ハムの”絶対守護神”江夏から8回に片平のプッシュバント、
代打大田の決勝打で激勝。

ここから西武の黄金時代が始まったといってもいい、
エポックメーキングな試合でした。

ワタシの気持ちの中でも、
『西武ライオンズの試合で3本の指に入る』
思い出に残る試合です。

その日の工藤幹夫のピッチング、
いまだに目に浮かびます。

まだまだ若いと思っていた彼が、
この世を去るとは。。。。。

絶句という言葉しか、
思い浮かびません。

あの試合の当事者である大沢親分も、
数年前にこの世を去りました。

思い出もまた、
はるか彼方という感じですね。

そういえばあの頃の日ハム、
打撃陣には侍が多かった。

島田、高代の1・2番に、
ソレイタ・柏原・クルーズのクリーンアップ。
下位にも大宮とか古屋とか菅野とか、
とにかくひと癖もふた癖もあるメンバーがそろっていましたね。

対して投手陣は、
短期活躍の投手が年替わりで出てきたという印象です。

80年には木田が20勝を挙げる活躍をするも、
翌年からはフェードアウト。
優勝した81年は間柴が開幕から無傷の15連勝(?)。
突然登場の岡部という投手もいましたね。

いずれの投手も、
『1年限定』で活躍するものの、
長くローテを守ってくれる感じではありませんでした。
高橋里なんて言う投手もいましたね。

そんな【日ハムの投手の系譜】にぴったりと合い、
82年に輝いたのが工藤投手でした。

大沢親分の気性そのままの、
サムライ揃いの、
楽しいチームでした。

まあ、
投手にしてみれば、
無理使いされたという気もあったかもしれませんが、
『意気に感じる』ということで短くもギラギラに輝いた年があったというのも、
なんだか親分の作ったチームならではでしたね。


そんな昔の楽しい思い出を、
切なく思い出させてくれた、
工藤幹夫投手の逝去でした。

安らかにお休みください。


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