稀代のホームランアーチストと言われた田淵幸一氏が、
野球殿堂入りを果たしました。
野球界では、打者は2000本安打を達成して初めて「歴史に残る」と言われるような風潮が昔からあり、
ホームランを474本も放っているにもかかわらず通算安打が1532安打という田淵氏は、
「多分殿堂入りはできないんだろうなあ」
と思っていたのですが、驚きました。
そうですよ。
田淵ほど美しいホームランを放った華のある選手はいないのですから、
むしろ遅かったぐらいです。
東京六大学野球で通算22本の本塁打を記録した天性のホームラン打者は、
紆余曲折の末阪神に入団。
その時のドラフト、
伝説として言われているのは、
巨人が指名を確約していた田淵を阪神が強硬指名、
そして巨人は星野仙一にも指名確約を出していたが何を思ったか星野を回避して島野(武相)を指名したという事。
そして巨人は、
星野仙一、田淵幸一という二人の巨人キラーを生み出してしまったという事ですね。
島野は結局プロ野球では活躍することがありませんでした。
それにしてもこの頃のドラフト、
各球団が軒並み10人以上の大量指名をして、
西鉄なんか16人も指名していますね。
更に拒否する選手も多いこと多いこと。
ざっと見ても半分近くの選手が入団拒否をしているんですね、
時代と言えばそれまでですが、
当時は今のようにプロ選手になって大きなお金が稼げるという時代でもないですからねえ。
隔世の感がします。
そんな田淵、
ワタシにとっては阪神の時代には画面の向こうからホームランの映像を見る程度の選手でしたが、
一気に身近な存在になったのが西武に移籍してきてから。
西武というチームが「わが町」の近くにやってきて、
しかもスーパースターと言われた田淵がやってくると聞いた時には、
何だか現実感がなくてボーっとしてしまったように思います。
田淵、野村、山崎に古沢。。。
そんな選手たちが一気にチームに入ってきて、
東尾とか土井とか従来からのスター選手もいて、
西武という球団の初年度のアドバルーンは、
高く高く上がっていました。
沿線の小学校にはもれなくレオマークのついた青い帽子が無償で配られ、
沿線の駅には所狭しとレオマークのポスターがあふれ、
いまだに歌われている「地平をかける獅子を見た」が流れまくっていた。。。。
ファンクラブのジュニア会員になると、
内野自由席が一年中入り放題。。。。
どれもこれも、
野球好きの少年にはまぶしすぎることばかり。
そりゃあ、
西武という球団が好きにもなりますわな。
そんな蜘蛛の糸に絡み取られて40年、
いまだにワタシ、
応援し続けているってわけです。(まあ、年々歳々、辛口の応援になっちゃってますがね。)
そんな少年の目に、
田淵のホームランはそりゃあカッコよかったあ。
西武に来た時はすでに全盛期を過ぎていたなんて言われますが、
ワタシがじかに目にしたのは、
そんなタブチくんの姿だけなんですから、
「あれこそが田淵だあ」
と思って今日まで過ごしてきています。
田淵の最後の3年は、
広岡監督とともにありました。
そして彼が経験したことがない「優勝」「日本一」という夢も実現して、
実に嬉しそうだったなあ。
昭和57年の初優勝のビールかけ、
何しろ一番はしゃいでいたのが田淵その人。
「やっぱり勝つっていいなあ」
を口癖のように喋っていて、
かつての確執も忘れ広岡監督に心酔している様子でしたね。
その田淵が最も光ったのが、
昭和58年の巨人との日本シリーズ。
第1戦で江川から強烈な3ランを叩き込むと、
第5戦では完膚なきまでに抑え込まれていた西本から意地の先制2ラン。
第7戦の7回には、
貴重な四球を選んで逆転劇をお膳立て。
あの伝説の日本シリーズで、
田淵は光り輝いていました。
そしてあれこそが、
ろうそくの火が消える前の最後の輝きだったと、
引退してから懐かしく思い出しましたね。
田淵のホームランは、
弾道からして他の選手と違う、
まさに「アーチを描く」というのがぴったりな高弾道の一発。
打球が上がってからしばらくは見惚れてしまうような、
美しいアーチでした。
そして晩年は、
「がんばれタブチくん」
で描かれたコミカルな姿も、
我々を楽しませてくれました。
ワタシも劇場まで見に行ったなあ。。。。。
そもそもいしいひさいち氏の漫画のファンだったので、
ずっと楽しませてもらいました。
タブチくんのみならず、
ヤスダやヒロオカ、ネモト監督など、
いいキャラクターが揃っていましたし、
あの頃の西武ライオンズの雰囲気みたいなもの、
なんだかよく表していたようにも感じました。
そういえば田淵の息子の「ユウショウ君」、
フジテレビのアナウンサーですってね。
ほとんど地上波は見ないので知りませんでしたが、
あの頃田淵が「子供にはゆうしょうって名前を付けたんですよ、優勝するようにね」
なんて話していたのを、
何だか鮮明に思い出してしまいました。
そんな田淵ですが、
生来の「いい人」であるため生き馬の目を抜く様なプロ野球の世界、
ましてや監督としては成功できませんでした。
それでもあの頃の野球ファンはみな、
田淵には、
温かい目を向けているように感じます。
(掛布などにも同じものを感じます)
73歳にしてやっと殿堂入りを果たした田淵。
盟友にして竹馬の友である星野仙一は既に亡く、
”法政三羽烏”の一人である富田も鬼籍に入りました。
その「遅すぎる殿堂入り」を一番喜んだのは、
阪神ファンの人達かもしれませんね。
さて、次は黄金バッテリーを組んだ江夏豊を、
殿堂入りさせてやってください。
その後がどうであれ、
野球界に多大な功績を残した人ですから。
いずれにしても、
今夜は乾杯だ~。
タブチ~おめでと~
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