待機の日々

画像付き日記のようなもの

満州飛行機

2008-01-04 16:44:59 | 語り継がれない、歴史
母の兄、伯父が生前、実家である我が家に残した 「満州飛行機の思いで」
関係者80名程の寄せ書き本で、昭和57年発行470ページ写真図版等も掲載
伯父も20ページを割き思い出を載せてある

それには、満州航空~満州飛行機での昭和9年の入社以来21年の山形帰還までのことが書き記されている
入社当時、キー4偵察機、キー10戦闘機、キー27戦闘機、キー47爆撃機、キー27の増産、在郷軍人会、キー84戦闘機、奉天爆撃、工場疎開、終戦前後、ハルピンより奉天へ、帰還、の項目がある、当然のことながら最後の数年のことが字数が多い
当時伯父は、北機械製作処ー機体部ー第2工場長という立場であり、陸軍機製造に携わっておった、キー4及びキー27の製作に当たっては自ら中島飛行機太田工場に出張もしている
引揚げは家族5人無事に宇品に上陸、山形駅には姉と妹2人が出迎え、実家に戻ると疎開や引揚げの姉妹家族、縁者の11家族が居たそうだ
母屋、納屋、土蔵、みんなみんないっぱいの人人だったのだろう





伯父が製作に携わった、陸軍機 (他方記事よりの写真)





キー27 97式戦闘機 「これは、1/48プラモ製作」 ノモンハン事件で活躍







キー84 4式戦闘機 疾風 「これも、1/48プラモ製作」 大東亜決戦機と言われ、戦後米軍が持ち帰りテスト、抜群のスピード、性能を示したそうな