生えび大特価

7歳差の姉妹の母=えびの日々の奮闘ぶりをお伝えします(^_-)-☆ 子育てとは体力勝負なり!

スタンプラリーに5時間強・・・・

2009年07月31日 15時07分57秒 | Weblog
 昨日、阪急阪神電鉄の「夏休みスタンプラリー」に友達と行った。プリキュアのスタンプを集めに、右へ左へ電車!電車!電車・・・・乗り換えまくって5時間かかった。スムーズに特急列車に乗り込み、無駄な待ち時間などなかったはずなのに、とにかく友達と一緒じゃなかったら絶対に疲れてブチ切れしていたに違いない・・・・。
 友達は15の時に知り合った。ある共通点がきっかけで、青春時代は共に時間もお金も情熱も注ぎあった仲だった。そして別れたのは19の時。お互いが結婚と出産を経て、十数年ぶりに子連れで昨日再会を果たした。
 子どもは半月くらいしか誕生日が違わず、女の子同士ということもありけんかすることもなく過ごしてくれた。時々子どもだけで会話する場面も見られて可愛かった。親の私たちもブランクを感じないほど自然に話すことができた。時の流れってある意味すごいと思った。私だけかもしれないけど、お互い三十路になったかもしれないけど、気持ちはあの頃のようだった。
 しかし、スタンプラリーはひどかった。本当に疲れた。これはスタンプ設置駅へ向かう親をただただ疲労に追い込むためだけのものにさえ感じた。年がいけばいくほどきついと思った・・・・。
 でも子どもは喜んでいた?!し、途中は西宮ガーデンズでご飯を食べて休憩もできたし、とにかくま、無事にゴールしてペン立て(紙製)が参加賞としてもらえたのでいっか・・・・みたいな。
 だけどまぁ、これはあくまでファーストステージで、8月の後半はまたセカンドステージっていうのがあって、違うスタンプでまた同じように京都の桂駅やら能勢電鉄の山下駅などバラエティに飛んであちこち行かされるのだ。また1DAYパスポートを買って気合入れて回るとしますか・・・・。
 とにかく疲れた~はぁ・・・・。夜はちょっと癒しの時間があったけど・・・。やっぱり子どもとはしゃいだり、癒しの気分転換の時間があったり、とにかく色々な時間を過ごしながら生まれ変わらないとな・・・。ふぅ~。

電話とかメールとかありがとうございます。

2009年07月28日 21時43分33秒 | Weblog
 かれこれ実家で過ごしはじめてから1ヶ月近くになろうとしている。車で実家に連れて帰ってもらった初日のボロボロ具合からすれば、今はニート生活が申し訳ないと思い、掃除や食事を作ることもできるようになり、それなりに母の忙しさを見て手伝うこともしている。今日はカレーを作った。私だけでなく睦菜も家にいるとどうしても散らかるし、洗濯物の増えるし、母にはずっと迷惑をかけっぱなしで、私も早くスッキリして心身共に元気になって、仕事もまた元のように生き生きできる日が来ることを願わずにはいられない。そして、そのために今出来る事をしつつ、でもやりすぎたらまたパニックになるから適度にスピード調節しながら過ごしているのには今も変わりないと皆さんには報告しておきます。
 7月の間は8月に向けての準備。8月になったら9月に向けての準備と、とにかく今は遠い将来より、今を生きることを確実に、そして少しずつ先の設計もしていこうと思っている。慌ててはいけないことは、月が変わるまで休憩して。私としては似合わないことだけど、今はそれが精一杯の自分だと思っている。
 とにかく地元の友達や、昔から私を知っている人といっぱい会って、正直に話しをしている。するとみんな口をそろえて言う言葉があった。「えびちゃんは気を遣い過ぎている」ということと「何でもまじめに完璧にしようとし過ぎる」と。今までそんなに意識していなかったけど、周りから言われて気がつくことってあるんだなぁと思った。でも私は人に気を遣われるよりも、自分が気を遣う方が楽だということはなんとなくわかっていたから、そうしていただけで、そんな性分なんだと気が付いた。自分をある意味さらけ出せないし、「私にはできません」と言って旗を振ることも実際はできないのだ。
 だからこの前もある人に言われたんだ。「えびちゃん、これからは何でも自分でしてしまおうとしないで、仕事でも何でもそうだけど、今度こそ、『もうできません』って言えるくらいにしておいた方が楽だよ。」・・・・心得ておきます。
 そして直接会っていない友達とか級友などからでも、とにかく毎日心配の電話とかメールが来るので私はそんな周りの温かい人たちに感謝してもしきれない気持ちでいっぱいだ。今日もママ友さんから「あれからどう?!」って心配して電話くれた。そして「おまえ重いねん!」とか第一声に発しておきながらも「えびが病気になるってよっぽどやんなぁ」と笑いながらも応援してくれた大学のゼミで仲良かった男友達だって電話してくれた。私のメールを見てビックリしたらしい・・・・。その友達には結婚式にも出てもらっていただけに、色々な意味で申し訳ない・・・・(笑)。
 でも本当に嬉しいんだ。私という人間をよくわかってくれた上でこうして電話とかメールとかくれる友達とか知り合いの人って・・・。その存在だけで心強いし、安らげる。私ってそう考えたら、よっぽど旦那や義母から嫌われて理解されていなかったんだなぁってつくづく思う。一番頼りたかった(頼るべきだった)パートナーに受け入れられていなかったり、自分をゆだねることができなかっただなんて、最も基本ができていなかったんだよな、私たち夫婦って。その上に義母ときたら、もっと理解し合えるはずもないし、別にこっちも理解してもらおうって気持ちはなかったけど、せめて見守ってほしかったとか・・・。ま、それは贅沢っていうか今考えたら理想論に過ぎないような気がするけど・・・・。
 とりあえず、私は大好きな友達やら先生やら職場仲間やらに囲まれて、それって何よりの財産だって実感できる。本当に皆さんありがとう。私はだから前向きに生きていけます。皆さんがいなければとっくに暗闇に永住していたかもしれないから・・・。明日も無事に過ごせますように・・・・・。

さようならと涙と軌跡

2009年07月24日 21時34分42秒 | Weblog
 今日で睦菜は通っていた保育園を事実上退園した。今日も朝7時に家を出て、電車を乗りついで保育園に到着したら9時。お世話になった先生(園長先生や今まで担任してもらった先生)に挨拶をしていると、先生達が本当に熱心に睦菜の保育にあたってくれていたので、胸がいっぱいになり、早生まれで、しかも2歳の秋から途中入園したので心配ごとが尽きなかったことを思い出して、先生と話ながらいっぱい泣いてしまった。とにかく「お世話になりありがとうございました」の感謝の言葉に尽きた。一人ひとりの先生はとにかくいつも笑顔でたくさんのことをやらせてくれて、睦菜にとっては有難い環境だった。それだけに退園は惜しかった。
 睦菜を保育園に送ったあとは、立ち上げから関わった「すてっぷ家庭教育学級」の活動日だったので、最後の挨拶と引継ぎに参加した。私は今年こそは平の学級生になり、他の学級生や2年目のメンバーがすてっぷを支えリーダーシップを執ってくれているおかげで、今回は自分の担当を新しい人に引継ぎ、家庭事情をみんなに話し、これからもすてっぷをみんなの力で前へ進めてほしいと伝えました。私もこれっきりということではなく、少し離れてはしまうけど、何かあれば手伝いたいと思った。本当に心温かい、そして前向きな学級生に恵まれて、ボランティア保母さんたちもいつも協力的で、人のつながりは財産だと今日も改めて実感した。
 すてっぷが終わってからは、睦菜のスイミングを見に行った。今日でスイミングも最後だったし、しかも2ヶ月に一度の進級テストだったので、どうにか合格という有終の美を飾って終わりたかった。だから先日は近くの温水プールへ練習にも行ったし、今日は私も見に行くから頑張れと睦菜には言っていた。
 睦菜が着替えてプールにやってくると、客席でみている私を見つけてとても嬉しそうだった。そして時折遠くからも手を振って私が見ていることを確認していた。テストまでに数回泳いでいたが、その時は全然前に進めていなくて、コースの端に流されて、ロープも思わず手で触っていたため、「今回もテストは駄目か」と諦めていた。テストはビート板を持ってバタ足で泳ぐのだが、足が曲がっていたり、前に進まなかったりと、結構不合格の出る内容で、睦菜も今回が3回目のチャレンジだった。私はスイミング最後の成果として合格をただ祈るしかなかった。
 そして、いよいよテスト本番になった時、奇跡!?と思えるような泳ぎっぷりを睦菜は見せてくれたのだ。なんと、全然前に進まなかった睦菜が、まるで足にスクリューでも付いているかのような猛スピードで泳いでいるではないか!!しかもコースがはずれ思わずロープに手を触ってしまうという失敗もなく、それなりに曲がってしまっても、軌道修正してきちんとまっすぐ泳いで、練習していた時のいけてない泳ぎとはまるで違ってびっくりした。一緒に見ていた睦菜と仲良しの子のお母さんも驚いていた。そして、見事睦菜もその仲良しの子もバタ足テストに合格したのであった。睦菜は一番最後に並んでいたけど、最後にコーチに褒められ、頭をなでられてがっちり握手している姿を見て、私も合格を確信した。
 最後はプールで荷物を受け取り、そのまま先生や園児たちと別れて睦菜の保育園生活に終わりを告げた。同じクラスの友達や上のクラスのお兄ちゃんおねえちゃんも、最後まで「むっちゃんバイバイ」と言って見送ってくれた。中には「明日むっちゃんとお別れするなんていやだから明日になってほしくない」と昨日自宅で悲しんでいた子がいたと聞いた。他にも手作りのキーホルダーをくれた子もいた。保育園ではみんなの前で「みんな一緒に遊んでくれてありがとう」と挨拶もできたらしく、それに対してみんなも笑顔で答えてくれたと先生のメッセージが書かれていた。そして、最後に先生からご好意で特製のアルバムをプレゼントされた。クラスの友達一人ひとりと撮った写真にその子からのメッセージがカラーペンで一生懸命書いてあるもので、それにあとは園での生活ぶりが先生のコメントと共に挟んであるページと、園長先生、歴代の担任の先生、音楽指導の先生からの直筆メッセージが最後に書いてあった。綺麗にレイアウトしてあったり、飾りつけられていて、普段の保育でも先生は忙しいだろうのに、個人的な別れに対してもこんなに時間を割いて素敵なものを作ってくださった先生には頭が下がる思いがした。
 私は先生の手作りの写真やコメントを見て、睦菜が読んでと言ったので読むと涙で声が詰まって読めなかった。わが子の成長を見てきた先生たちの評価に対する喜びと、今回、私の勝手で大好きだった保育園を退園させてしまうこととなった自責の念で胸がいっぱいになってしまった。
 睦菜と私の宝物がひとつできた。私は睦菜の今までの頑張りをたくさん評価し、そして9月からも新しい幼稚園で頑張ってほしいと思った。
 プールを一緒に見学していた仲良しの子のお母さんも、私たち親子を大切にしてくれた一人。私は校区も違うしあまり保護者の方と接点を持たずにいたが、そのお母さんはいつも話しかけてくれたり、一緒に鍋に誘い合って保育園以外でもたくさん話したお母さんで、今日も私が最後の見学に来ていると知ってわざわざ会いにきてくれたのだった。そして、クッキーや入浴剤のプレゼントまでしてくれて、これまた素敵な出会いをしたのに惜しいなぁと思った。でも私たちは別にこれで永遠の別れではないし、同じ大阪に住んでいるのだから、また子どもの成長を確認する意味でもたまには親子で集まってどこかへ遊びに行ったりできたらいいなぁと思った。私は岸和田で本当にたくさんの出会いができてそれが何よりの財産だ。
 私はその財産といくつものかけがえのない経験をこれからも決して忘れることはない。睦菜もきっとわかってくれると思う。

わずか5日の命

2009年07月23日 20時27分33秒 | Weblog
 先週の土曜日に、近所の夜店で買った金魚がもう死んでしまった。二匹のうち、一匹が昨日朝起きたら死んでいた・・・・。そしてもう一匹も今日夕方帰宅したら死んでいた・・・・。後追いか・・・・・・・。
 睦菜に「金魚さんが死んでいる」と言うと「ひとりになったからさびしくなってしんだんちゃう?!」と言われた。そういう発想が素敵だ。
 日曜日に朝から金魚のえさと水草と金魚が元気になる水というのを買って、毎日水を交換してえさをやってお世話していたのに、こんなにあっと言う間に死んでしまったらなんやってん・・・みたいに思ってしまった。
 
 そんなとき、大好きな矢野真紀ちゃんのあの曲が頭の中を駆け巡るのだ。

 ♪「夢を見ていた金魚」

 はじめて買った金魚鉢   お祭りで取れる金魚は弱いから

 すぐ死んじゃうって誰か言ってた   今朝も一匹水面に浮いた

 泣きながらそっと   手のひらに乗せた・・・・

 アップテンポでかっこいい曲なんだけど、すごい意味深っていうか、メッセージ性が強い歌。私も時々ヘビロテしてる曲。

 さらに睦菜に「金魚さん死んで悲しい気持ちになった?」と聞いたら、「楽しい気持ち」と答えたのでえ?!っと聞き返したら「だって夜店で金魚すくいまたできるもん」と言った・・・。早くもまたどこかの盆踊りや夏祭りに行って、そこで金魚すくいをする気でいるのだなぁと確信した・・・・。子どもの考えは奥が深い・・・。金魚が死んだことよりも、もっと先のことをすでに考えているのだから・・・。


初体験

2009年07月23日 06時28分33秒 | Weblog
 昨日、私を元気付けようよしてくれた人がいた。お世話になっている人。私を甲子園の野球観戦に連れて行ってくれたのだ。
 甲子園球場に行ったのは、実に16年ぶりで、それもHOUND DOGの野外ライブで足を踏み入れて以来で、野球観戦は実は生まれて初めて。しかも、阪神対ヤクルト戦ということで、これまたその人の計らいだったのだろうか・・・・。
 私は中学時代なぜか友達の影響でヤクルトのファンになり、その友達に誘われて一緒にファンクラブにまで入ってしまったのだ。しかし、ファンクラブの会員証があれば、甲子園の3塁側の外野席が無料で入れるという特典があったにも関わらず、当時はまだ中学2年生だったということで、結局一度も甲子園に試合を見に行くことはなかったのだ。
 そんないきさつをいつだったか、その人に話をしたことがあった。そして私がいまだかつて野球観戦に行ったことがないことも話していたから、それを覚えていてくれたのか、とにかく嬉しかった。
 やっぱり生観戦はいいなぁと思った。今までコンサートは腐るほどあったけど、スポーツ観戦はバレーボールしかなかったけど、野球もこんなに盛り上がって周りのファンの人の野次とか声援が伝わってきて一緒に応援できるなんて思わなかった。やっぱり阪神ファンは声援も野次も言葉遣いが悪かった(笑)。
 試合は結局5対0で阪神が完封負けという結果に終わってしまい、応援の甲斐はまったくなかったが、初めて甲子園で野球が見れて、どうやらハマッテしまいそうな勢いである・・・・。
 とにかくめちゃくちゃ気分転換ができた!よかったよかった!本当に私は周りの人たちに救われてる!

こんなにくつろいだことはない・・・・

2009年07月20日 07時23分39秒 | Weblog
 昨日は、朝から母と睦菜と買い物に行き、そのままその買い物したところの近くにある、箕面美人の湯?!「水春」という温泉施設に遊びにいった。睦菜も初めてのレジャー温泉が気に入ったようで、色々なお風呂に行きたがり、なかなか帰りたがらないほどだった。私も母に見てもらったりしながら、一人で寝そべって入る「寝転びの湯」というのは最高にリラックスできた。温かいお湯の流れる床に寝そべり、露天風呂なので、流れ行く空の雲を眺めていると、今まで全てのことに忙しすぎて、こんなにもリラックスしてボーっとできる日がくるなんてと同じ時間でもこれほどまでに貴重さを感じたことはなかった。それから最後に塩サウナで汗をかいて、そしてお風呂を出てからは足ツボ(リフレクソロジー)を初体験。「痛い」と叫んだ箇所は、自分でも自覚のある「胃」「ストレス」「首こり」「小腸」「肝臓」などだった・・・・・。胃なんて去年胃潰瘍になってからだいたいずっとストレスでつらいもんなぁ・・・・。
 夕方はそのまま前の職場だった池田の児童館に行った。この連休、10年ほど前に里山活動の青年ボランティアで知り合った友達(夫婦)が、2人の子どもを連れて、愛媛から車で里山活動に参加がてら遊びに来ていたから。久しぶりの再会でスタッフも私もみんなちょっとした同窓会気分だった。やっぱり地元に戻ってからというもの、毎日誰かと会って気心知れていて、何でも話せて、本当にそれだけで十分に気分が晴れて元気になれる。この3週間は今までに過ごせなかったような貴重な毎日を過ごせている。よかった・・・・。

初の西宮ガーデンズと夏祭り

2009年07月18日 21時18分53秒 | Weblog
今日は高校からの友達とお互い子連れで初めて西宮ガーデンズへ出掛けた。すごい人だったけど、ハワイアンの店でご飯を食べたり、キティちゃんのアミューズメントで子どもたちを遊ばせたり、ぶらぶらして暑い昼間に室内のショッピングモールで過ごせて充実していた。夕方少し涼しくなってからは、実家近くの公園で開催された夏祭りに参加した。友達の実家からも割りと近く、やはり地元の祭りだとホッとした。祭りでは金魚すくいや屋台で遊んだり食べたりしていたら、中学の同級生に偶然会った。ていうか雑踏の中で卒業以来15年ちょっと会っていないのに同級生だと気付いた私はすごいかも(笑)。その子はすでに小3の息子と小1の娘がいてすっかり出来上がったお母さんだった(ビールによる出来上がりもやや含む)。でも地元にこの度戻ることになった私だけど、昔からずっと地元にねざして今も暮らしている同級生が近くにいると分かると心強かった。むつなは今日本当なら保育園の夕涼み会に参加しているはずだったが、今回は事情が事情なだけに行かせてあげることが出来なかった分、地域の夏祭りでとりあえず満足してくれたので良かっ
た。20年ぶりくらいに金魚すくいで金魚をもらって帰って来てしまった。明日餌とか買いにいかないとな。むつなは1日歩き回り即寝たのだった。

誰かと会っている時がいい

2009年07月16日 19時54分01秒 | Weblog
 毎日誰かと会い、顔を見て話、愚痴も言ったり聞いたりするけど、それでもそんな瞬間が一番いい。誰かが隣や向かいにいるって素敵だなと思う。
 今日は地元ラジオ?!っていうのか、インターネットラジオの収録。私を知ってくれている人、笑顔で迎えて話を聞いてくれる人たちに囲まれている時間が何よりの私の癒しの時間だった・・・・・。ありがとう。

キャパオーバーのとき

2009年07月14日 18時18分51秒 | Weblog
 毎日誰かが心配してくれて、誰かがメールや電話をかけてくれて、誰かが相談に乗ってくれて、誰かが飛んできてくれて・・・・・そんな今日このごろ。改めて人徳っていうのか、人との出会いはかけがえのないものだと実感している。
 おかげさまで、睦菜の9月からの幼稚園も決まり、とりあえず、一番心配していたわが子の教育環境(年中だし)への準備は整いつつあるのでご報告いたします。これもすっごい縁があって、普通だったら成し得ないような再会とか物語があって、それで今度通わせる幼稚園を決めたっていういきさつがあるんだ~。人間悪いことができないっていうか、やっぱり人と人は常にどこかでつながっているんだんぁ。本当は保育園に入れたかったけど、どこの市も待機児童が多いのは同じで、とりあえず、迷ったり、放っておくわけにはいかないので、延長保育や夏休みなどの預かりも行っている幼稚園を選んで通わせることになったのだった。
 親の勝手で・・・・ってやっぱり一番悩んだし、娘のためだったら私はこれからは何だって精一杯をやっていきたいと再認識した。私は子どもがいることで何とか死なずにすんだし、生きなくちゃって思う何よりの宝だと実感している。
 そんなこんなで、不眠と食欲不振は改善されて、そのおかげで体力も回復して、実家に戻った日に比べたら、まだまだ本調子じゃないけど、家の片付けや今後の準備など、動けるようになったのは本当に今の環境のおかげだと感謝している。睦菜も私が不安定だとあの子も不安定になったり、わがままになっていたけど、こうして親子でもらった夏休みを大切にしてれば、またきっといつかそんな日々もよかったと振り返られる日がくると信じているから・・・・・。
 しかし、心身が完全にいつもの調子かといえば、まだまだキャパオーバーでやばいと自分で感じることがある。だから休みたいときは休んで、動きたいときは動いて、自分がまた薬の世話になってパニックを起こさないように、自分で色々調整しないといけないとは思っている。それに、この前もありがたいことに、暴走しかけた時に、それは今してはいけないとかって助言してくれて、私にブレーキをかけてくれた友達の電話があったりして、本当に本当にみんなに助けられて気づかされて有難いと思わない日はない・・・・・。
 明日は何をしようかな?なんて自分の健康と心の調子をみながら考える部分と、考えるだけパニックになるときは考えないで逃げる道も作りながら、今日も無事に終わっていけそうです・・・・。

自分らしくあるということ

2009年07月11日 09時44分57秒 | Weblog
 昨日は、岸和田へ行った。朝7時に睦菜と家を出て、駅で旦那に睦菜を渡して保育園に連れていってもらった。私はそのまま再度電車に乗り、某家庭教育学級の学習アドバイザーとして、市立公民館へ向かった。こんな日に限って、早朝からJRの電線にビニールがひっかかってダイヤは大幅に乱れ、それでも奇跡的に待ち合わせに間に合ったことが不思議だった。
 お題は「公立高校の前期入試と後期入試について」。私の得意分野である。勉強や受験関係の情報についてはお任せ!?なんて思っていても、実際は出産をしてからのブランクで随分と教育事情も変化していて、仕事をしながら私も情報を得たといったところが正直だったけれども・・・・。それでも私の知っていることでお伝えできることがあれば、それこそ冥利に尽きると今回の学習アドバイザーを自ら名乗り出たのだった。
 しかし、自分が今こういう状態になることは引き受けた当時は想像していなかったし、どうなることかと思ったけど、これで最後だと思うとトラブルもなく、薬を飲むこともなく岸和田へ行くことができた。
 私はやっぱり授業をしていたり、人に何か自分の持っているもので教えられることがあれば人前に立ってあぁだこうだ話しているときが自分らしくいられるなぁと実感した。2時間半はあっと言う間に過ぎていった。
 お昼からは日ごろからお世話になっている人とランチをしたり、友達の家に遊びに行って、そしてたくさんたくさん話をした。みんな私の今の状況を理解してくれて、その上で話を聞いてくれたり意見を言ってくれるのでそれだけでとても嬉しかったし、安らいだ・・・・・。
 結局夕方ギリギリまで用事をあれこれしたり、人と会って岸和田でめいっぱい過ごして帰った。豊中へ帰ったら8時だった・・・・。発作もなく過ごすことができたのは、きっと私を受け入れてくれる人たちが待っていてくれたから。さすがに保育園に迎えにいく途中で自宅の近くを通ったときはドキドキしたけど、誰かと一緒だったら大丈夫だった。
 
 私は昨日確信したことがある。それは心療内科で処方箋をもらったけど、私の周りの友達や見守ってくれている人たちが何よりの薬だということ。そして実家で毎日身をおいていることが何よりの療養でリハビリだということ。私を励まし元気にしてくれるのはみんなだということ。それらを実感した一日だった。
 
 これからも毎日できることをできる範囲でゆっくり無理をせずにこなしていけたらそれで今はOKとしようと思う。昨日会え無かった人たちでもいつも見守ってくれている人たちがいる、ありがとう!みんなみんなありがとう!