
車山に行きたしと思へども、車山はあまりに遠し、ということで日曜日は奥さんご所望の日光に。空いていたので東京から2時間。お昼食べるホテルにクルマとめてワンコお留守番させてまずは東照宮へ。

五重塔。

五重塔の周りを見るとドッグラン状態?

このときは世界遺産、国宝の東照宮山内に、何故イヌがこんなにいるのかな?くらいにしか思わなかった。
そして、恥ずかしながら、この年になって「見ざる聞かざる言わざる」の本当の意味を初めて知った。アメリカ人の団体客と一緒に神主さんから説明を聞いて。
学校の時の歴史の授業では、毎度いつもの通り、とにかく現代の価値観の上から目線で、「江戸時代は身分制度が過酷で不平等で、百姓は矛盾を見ても見ない振りをしろ、言いたくてもモノは言うな、権力への批判は聞くな、と権力者に脅される社会だった」と、皮肉と嫌味を込めて否定的に教えられた。
うおい、ぜんぜん違うじゃないか!
今なら、教師に、「じゃあ、その時代、日本以外の世界で身分のない平等な国ってあったんですか?」とツッコむところ。
平等どころか、アメリカやヨーロッパの国々では、アフリカで銃で脅して人間を「狩って」きて、足に鎖付けて奴隷にして商品として売買していたのに。

「幼少期の教育が人格形成には一番重要だから、小さいうちは、悪い事を見せない、悪い事を聞かせない、悪い事を言わないようにさせよう」「親元離れたら志を高く持って勉学で身を立てよう」「そうはいっても人生浮き沈みはあるから逆境でも腐らず頑張ろう」「信じられる伴侶を得よう」等々、今でも通用する普遍的な人生訓、人生観、道徳観が、平和を象徴する動物の姿で描かれている。初めて知った。
そしてイヌ。
知らずにうちのワンコはクルマでお留守番させてきたら、ここはフランス並みの犬フリー!
流石に建物の中には入れず待っているが、山内にはどこにでもイヌが。他の寺社仏閣では見たことないです。京都の寺社仏閣は沢山行ったけれど、こんなところはどこにもなかった。これは確実に意味がある。
東照宮には、ありとあらゆる動物のモチーフがある。動物(=人間も)が生き生きと暮らせる社会、動物愛護は、平和や社会の安定、豊かさや民度や文化的程度の高さの象徴だったのだろう。そういう社会を作ろうと。だから300年近く続いた。
文化がより成熟した江戸時代後期には、庶民の間でもお伊勢参り=観光がブームとなった。その中で、沢山のイヌが、主人の代わりに江戸からお伊勢参りして帰ってきたという。首に巾着袋で巻きつけたお金を誰も盗らず、そこからイヌの餌代やら経費を、道中同行している人達や道中のお店の人がちゃんと帳面に収支付けて按配したと。伊勢神宮のお札も巾着袋にいれてもらい、イヌが帰ってくる社会。
これが日本ですよ。
今は当時より経済的には遥かに豊かなのに、介助犬さえ電車の中で邪魔にされ、傷付けられることもあるという。。。
「見ざる言わざる聞かざる」も「綱吉」も歴史の授業では否定的なニュアンスしか習わなかったけれど、常に今の価値観で過去の自国の歴史や先人を否定的にしか捉えないって、やっぱり変だな。
鳥が横でじゃれて囀っていても、ノンビリ眠るネコ。平和の象徴。

朝から何も食べておらず、お腹ペコペコなので、もうひとつの日本に会いに、橋を渡ってホテルに戻る。ワンコも待ってるから散歩してあげよう。

虹鱒のソテー君、キミに会いたかったよー

この料理もそうだけど、「もうひとつの日本」とは、進取の気風=建物でも、料理でも、工業技術でも、海外の良いものは躊躇せず積極的に採り入れる、そういう国。和洋折衷上等!
日光も軽井沢も、素晴らしい日本の美を活かしつつ、外国の避暑地リゾートのハード・ソフトの仕組みを丸パクリ。この柔軟性。これこそがもうひとつの日本。
「排外主義」なんか、日本の伝統とは全く違う。
飛鳥・奈良時代、安土・桃山時代、明治以降は勿論、江戸時代でさえ、日本人は自分達の良き伝統は残しつつ、海外の良いものは採りいれる柔軟性を持っていた。、
そういう意味で、日光とは日本そのもののような。外国人に人気があるのもよくわかる。

このホテルの自動車の導入もかなり早い。

昭和初期のポスター。当時から、日本を代表する国際リゾートホテル。

宿帳へのVIP宿泊客のサインが歴史を物語る。大政治家・外交官、吉田茂のものもあった。

面白かったのがこの2枚の写真。「戦争には正義も不正義も無い、ただ、勝者と敗者がいるだけだ」という冷徹な現実を、これほど示しているものは無い。

日本軍が接収したアメリカの(しかし上海の)ホテルと、アメリカ軍が接収した日本のホテル。
それぞれの従業員の様子が、様々なドラマを想像させる。

もう一ヶ所、どうしても行きたかった場所に。

米国、フランス、タイ、イタリア、中国・・・、外国人の団体客が大勢いるのに、日本人は僕らだけ。

ベルサイユ宮殿にも、アルハンブラ宮殿にも無いものが、ここにある。言葉が出ない。

今上天皇陛下は少年時代、こちらに疎開されていた。アメリカ軍が本気で御命を狙いに来ることも想定されていた時代。

壕の出入口は2つ。当然の危機管理。

最後に、米国人貿易商の別荘だった建物でお茶して帰ろう。

帰りは事故渋滞で行きの2倍の4時間かかった。
しかしメガーヌだと全く疲れない。またまた惚れ直しました。