11/22 三丁目の夕日 下北沢トークショーレポート

2007-11-23 10:11:21 | お知らせ
三丁目の夕日ファンの皆様 昨日のレポートをいたします。なお写真、録音禁止でしたので、内容が不正確な部分があるかもしれないことをご承知おきください。

映像文化シンポジウム『ALWAYZ三丁目の夕日』が伝えるもの
日時:2007年11月22日(木)19:00-20:40
場所:北沢タウンホール(東京都世田谷区)
講演:阿部秀司、山崎貴
司会:掛尾良夫 キネマ旬報映画総合研究所所長
主催:世田谷区 財団法人せたがや文化財団 NPO法人映像産業振興機構

司会 なるべく続編を観てから来て欲しいとお願いしたがが、まだ続編を見ていない人はいるか。(わずかに手を上げる)

阿部・山崎 じゃあネタバレはできないな。

司会 一作目、年始に映画会社から三丁目製作の発表があった時、業界はまったくノーマークだったが、試写が始まるとすごいという評判が伝わり、結果はいうまでもない。その分、続編はプレッシャーがかかったはずだが?

阿部 自信はあった。しかし当初は続編を作る予定はまったく無かった。2は作らないつもりだったから、美術担当からラジオのマークを記念にもらい感慨深かった。しかし18くらいの今風の青年が80くらいのおばあちゃんの手を引いて、埼玉から日劇に映画を見に来ているのをみて、こういう人達にまたもう一回見てもらいたい、と思うようになった。

司会 確かに1で完結していた。しかしファンの心に三丁目はしっかり残った。プロデューサーとクリエイターの立場の違いもあると思うが監督は続編製作についてどうだったか。

山崎 意外に俳優は皆2への出演をいやがった。喜んだのは子役ぐらい。ただ出演は全員同じを前提で考えていた。

阿部 美術などまったく同じものをもう一度作るのはストレスがかかる。役者とスタッフのストレスのケアが大事。

司会 30年代なら違う家族の話でもいいかと思うが

山崎 原作はそうだが、あの街にまた帰りたい、あの人達にまた会いたいという気持ちが強かった。

司会 冒頭でゴジラ...ネタバレしてしまった!(笑)

山崎 前回の長いオープニングとは違う、自分のオープニングをやりたかった。時間も短いし、東宝に頼んであの方に出てもらうことにした。ゴジラ登場とは絶対いえなかった。

司会 山崎版のゴジラにしたかったそうだが。

山崎 そうだが東宝からゴジラらしくて欲しいと注文がでてああなった。ゴジラには力を入れた。

司会 ディレクターズカットに入れたら?

山崎 あれしかない。ずいぶん文句を言われてたが。これで子供のときからの夢がかなった。

司会 2本目が成功する不安は無かったか。

阿部 不安はなかった。前作と同じまではいける。それを超えるのが難しかった。

司会 本日で190%。50億、400万人は行くと見られている。さて昭和30年代を描いたが、今に通じるところもある。もたいまさこさんも取材で、下手をするとべたべたした人間関係がうっとおしく感じられる可能性があると述べている。その紙一重のバランスは。

山崎 カンでやっているだけ(笑)。あとは役者さんがうまい。

司会 主人公のいない群像ドラマだが、うーんネタバレしなように話せないなあ、見なかった人は自己責任(笑)。色々な監督のインタビューをすると「人間を描きたい」と答えることが多い。三丁目は物語もしっかり描かれているのがよかった。

山崎 エンターテイメントを作りたい。泣いたり笑ったりする王道、直球ど真ん中、それはかっこ悪いんだけど、それは昭和の時代に助けられている。ベタでも大事にしたい。

阿部 ただ直球だったりベタだと、ビジュアルに力がないとうまくいかない。

司会 阿部さんはヲタク。(笑)上野駅、機関車に非常にこだわったそうだが。

阿部 あれは機関車C62を映画の基準としたかった。ここまでこだわるということを、スタッフに知らしめ他の製作の基準としたかった。

山崎 DC6Bの飛行機の音をアラスカまでとりに行った。

阿部 俺が行く必要は無かったかな。

司会 日本橋 こだま 羽田にこだわった。羽田はどうして。

山崎 アメリカ映画で偉そうなことをいうとき、圧倒するような場に連れて行って話すことがある。それに羽田を使うことにした。

司会 作品が厚くなるとか薄くなるという言い方があるが

山崎 新しいいい音の飛行機の音を取れたので、茶川さんが自信をなくすシーンにびったりだった。日本橋で撮影ができるかロケハンに行ったら、高速の影があったり、交通量が多すぎたり、無理なことがわかった。

阿部 一作目の東京タワーに変わるものとして、何かを決めたかった。その時小泉首相が日本橋の話をいいだしたので面白いかなと思った。一作目が終わった頃から、二作目はやらないといいつつ、やるならこれかなと絵をかいたりしていた。

司会 昭和のキーワードですね。

阿部 小田急線も案がでた。列車のオルゴールの音が聞きたかった。成城のおじさんにかこつけてオルゴールを頼んだが割愛された(笑)。

司会 監督が暴走するのをプロデューサーが止めるのが普通だが、この二人は逆(笑)。2を作る際に方向性で意見が異なったことはないか。

阿部 意見交換をした後は、監督やスタッフを信頼したので任せた。

山崎 前作のオープンのワンカット案は撮影一週間前に言い出した。何の準備もしていなかったので困った。今回は早めに行ってくれなければやらないといっていた。

阿部 一作目ではハエ飛ばしてくれ、二作目ではハエ取り紙など注文。生き証人は俺だけ。

山崎 若いスタッフが阿部さんになんでも聞きにいくようになった。阿部さんがいいといえばすべて責任もってくれるから。(笑)

司会 日本橋セットを潮来に作ったお話を。

山崎 セットは小さくこの舞台より小さいくらい。

司会 どうしてそんな小さいセットを霞ヶ浦までいってやったのか。

山崎 色々あった(笑)。空気が大切。道のロケなどそのほかにもまとめてロケをやったから。

司会 ブルーバック上でロケをするのは演技が難しいはずだが。

山崎 日本橋保存会の協力を得て日本橋祭りをやっていることにして、車線一本を締め切って贅沢なリハーサルを行った。

司会 吉岡君なんか自分が中心になるのでどんな話をしたか。

山崎 彼は本を読める人なので、的確に理解してくれた。淳之介と二人になるシーンは、建物の外でやりたいと彼から提案された。役者の提案は大事にしたい。

阿部 彼は、一作目は子供とは仲良くなかったので距離を置いていた。二作目は映画上の関係が発展しているので、待ち時間に一緒に遊んだりしていた。非常にコントロールしていた。

司会 淳之介は多感な少年だがどうだったか。

山崎 すごく背が伸びた。4ヶ月で18センチ伸びた(笑)。一平は1センチ。気にしていた。

阿部 5分たてば違和感は消える。

司会 小雪さんは。

山崎 泣くのがうまい。モニターをみてると自分の脚本なのに、かわいそうになってくる。役者がやってる感じがしなくて、三丁目の人達が運命に翻弄されいるような気がしてかわいそうになる。セットが壊される前に茶川商店の中に入ってみたら、茶川さんがここでがんばったんだなとジーンとした。

阿部 薬師丸さん、堤さんはほんとにいい夫婦だった。待っているときでも本物の夫婦のようだった。結婚したらといったんだけど。距離がない感じといっていた。手を組んだりとは打ち合わせなしといっていた。

司会 日本橋の後、8ミリをみる。

山崎 あれは16ミリだ。

司会 すみません。それ見ながら方に頭をちょこんと乗せるのがよかった。

阿部 電話がかかってきたとき髪をなおすのも自然でよかった。あれは演出?

山崎 本人の案(笑)。

阿部 当時は8ミリでも難しかったので、従軍カメラマンから16ミリを借りてくることにした。

司会 機械好きだ。映写機をだしたかったのか。

山崎 映写機は僕です。NHKで昔の8ミリの番組があった。

阿部 あらゆるメディアで8ミリとかかれている。新幹線とか。

司会 東京大阪を走る列車を総称してるんでしょう。日本橋から帰ると、居間に寝ていておならをするオッサンと結婚してよかったなあと思わせるシーンがよかった。

阿部 セットの力が大きかった。僕は鈴木オートのいすに座ってジーンとした。

山崎 あのセットに入るとおかしくなってくる。セットごとタイムマシンだ。

阿部 一作目セットを壊す時さみしかったが、2作目ではまた復活できるとわかったので安心だった。でも三作目はタバコ屋に使う当時のタイルがもうないので無理といわれたが。一作目セットを壊す時は、街がダムに沈むようだった。

山崎 鈴木オートも知らないうちに建て増しがしてあった。美術スタッフが考えてくれていたのでうれしかった。

阿部 スタッフが30年代を一生懸命勉強してくれたのは敬服する。

司会 前作から4ヶ月目という明確なポイントがあって調べるのが大変だそうだったが。

山崎 39年頃の高速を作っている頃の写真はあるが、普通の写真がない。大変だった。

阿部 都電の色が変わるころだったので、二色で出した。

司会 VFXにかけた費用の割合は

阿部 それほど多いわけではない。白組は少数精鋭8人、10人、アメリカだと百何十人でやる。見た目は同じ。

山崎 ちょっと変わる(笑)ゴジラのシーンでエース級のCGスタッフを投入したので、若手がその他の大事な仕事をせざるを得なかった。

阿部 当初CGの大変さを知らなかったから、気軽にここ変えて欲しいといった。実際はちょっとしたシーンでも一人が30日くらい取りかかることもある。苦労がわかってくると、なかなかいえなくなった。

山崎 必死で限界まで苦労しているのを知っている自分が遠慮していると、阿部さんはあっさり後どのくらいで実写っぽくなるのとかいう。でもスタッフが変わってきて、阿部さんの「まいいか」はだめなんだとスタッフが思ってきた。僕がいいといっても阿部さんがOKにしないとだめ。スタッフが職人化している。いい時は阿部さんは子供のようにすごくよろこんでほめてくれるので、スタッフがそれを楽しみに仕事をしている。

阿部 思いつきでいったことで、一週間徹夜になる人がいることがわかって反省している。

山崎 反省しなくてもいい。(笑)

阿部 それで立派な作品になるのなら。

司会 こぼれ話 失敗談は。

山崎 一平が美香ちゃんを好きだった。最後のシーン、非常に自然だった。でも試写であったら美香ちゃんがどんどん大きくなる。注射のシーンで顔を見合わせるシーンで噴出し2回NGになるなど、いい雰囲気だったが、この前あったら大きなお姉さんと弟みたいになっていた(笑)。

司会 3本目が期待されるが。

阿部 もう18センチ伸びてるし、どうしようか。

司会 皆さんどうでしょうか。拍手

阿部 誰か作ってくれれば見たい。

山崎 でもそれが大ヒットしたらくやしい。(笑)

阿部 寅さんのようにフォーマットがあれば楽だが。

司会 ハリーポッターも無理が出てきたし(笑)。質問のあるかたは。

質問1 前作の夕日はクリア、続編はくもりの夕日。どう違うのか。

山崎 その答えは実は用意してある。一作目のクリアな夕日は未来をイメージしている。たまたまその日がそうだったということもあるけれど。雲のオーディションもした。祝福しているような天使が飛んでくるような宗教画のような祝福感を出したかった。

質問1 何に対する祝福?

山崎 それはいえない、観たならわかるでしょう(笑)。

質問2 一作目と二作目でこの映画で何をいいたかったのか?

阿部 50年前のことと今を比較してもらいたかった。エンターテイメントとして作った。家に帰って三日くらいそれを考えてもらえればいいかな。

山崎 幸せとはなんだか考えてもらえれば。

阿部 説教くさい映画を作るつもりはない。久しぶりに親に電話したり、家に帰ってみたりとか、そんなことをしてもらえればいいかと思った。

質問3 バンプオブチキンが反対されたと聞いたが?

阿部 俺は反対しない。どこでその話を聞いたのか。

山崎 それは私の情報です。反対でなく色々な説があった。バンプって知られていなかったし。

阿部 彼らはこの作品が好きだった。

質問4 世田谷、東京に対する思い入れは?

阿部 山崎 世田谷に住んでます。

阿部 東京生まれで、東京タワーができるのを観ていた世代。東京への愛着かな。

山崎 東京生まれの人は、ふるさとがないとかいうけどやっぱりふるさとだと思う。

質問5 ミゼット、DC6B、こだま、駄菓子屋をどうやって情報を収集するのか。汚しをどうやって落として返すのか?

山崎 ミゼットはラバーの入ったはがし易い塗装で、落とすことを前提に汚してる。飛行機は録音の鶴巻さんが飛行機が好きで、読んでいた専門誌の片隅で情報を発見した。こだまは製作部が見つけてきた。非常にラッキーだった。

司会 三丁目とは西久保巴町なのか。

阿部 あれは架空の街。桜田通りの西久保巴町と三田通りをミックスした。ま、西久保巴町かな。

予定を10分ほどオーバーして終わりました。阿部社長の話は初めて聞いたので、興味深かったです。やはりこれは山崎監督というよりも阿部社長の映画という感じがしました。山崎監督はそれを実現させたクリエーターですね。続編製作も難しいといいつつ、十分ありえる感じがしましたので是非期待したいです。以上レポートでした。

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