日本社会主義府(北朝鮮による統治下の日本列島)

2024-03-26 13:18:22 | 極東-ロシア
日本社会主義府(イルボン シャヘジュイブ 일본사회주의부 Socialist District of Japan) 日本社会主義府は、西暦2033年3月26日から2057年4月17日まで続いた北朝鮮の一部としての日本列島に置かれた行政区分である。 正式な名称は、「朝鮮人民民主主義共和国 日本社会主義府」である。また2033年から2039年までは「日本社会主義自治区」であった。 第四次世界大戦後、中国は戦勝国にはなったが大幅に国力は低下して新疆省の放棄も行うなど大胆な改革を行っていた。 第四次世界大戦後の秩序は汎イラン主義と汎トルコ主義の戦に移行していった。 日本列島の分割統治で、本州の大部分は国力がほとんど低下していなかった朝鮮の管理下になった。 ただ名目上は朝鮮労働党の党組織が派遣されていたものの、日本の社会主義者や共産主義者らが府政府として統治していたために、 朝鮮人民民主主義共和国側は限定的な介入しかしていなかった。 府議会は一院制で、市民代表院があり、自由民主党、日本共産党、日本社会党、朝鮮労働党在日地下党、朝鮮労働党日本委員会、無所属の6会派に分かれていた。 ※ここでいう自由民主党や日本共産党は、日本国時代の自民党や日共とは別の組織である。 府歌は「北上川から遠賀川まで」であり、君が代の曲調とさくらさくらの曲調を組み合わせたようなものだった。 府旗は、北朝鮮の旗とほぼ同じだが、縦横の比率と色合いが若干違った。青がやや藍色に近く、赤がより深かった。 しかし、差異は微妙だったのと、色覚弱者にとっては判別がつきにくいとして批判もあり、2034年12月2日に若干修正された。


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