大漢中人民共和国(大漢中社会主義人民共和国)People's Republic of Da Han Zhong(22世紀の中国)

2021-06-11 22:13:48 | 中国-東南アジア- Oceania


大漢中人民共和国(だんかんちゅう じんみんきょうわこく)
大汉中人民共和国 People's Republic of Da Han Zhong

大漢中人民共和(通称、大漢中、DHZ)とは中国大陸、香港、台湾、チベット等々で構成された社会主義国家である。西暦2112年に成立。
西洋では中華人民共和国と台湾(中華民国)の連邦国家であるという解釈もある。
クアラルンプール平和条約機構(KPTO)加盟、独立社会主義政権連盟国(CISR)に加盟。




・前史(中国時代)
中国大陸に存在した共産党執権の社会主義国家(中華人民共和国)はアジア太平洋諸国と独立した経済ブロック、RCEP(地域的経済協定)を構築し、欧米社会を排除した「アジア太平洋新秩序」を掲げた。
2077年6月3日、台湾特別行政区に対して正式に、中華人民共和国台湾省として併合する事を決定。
6月8日に、「大中華社会主義連邦国」(USCC)を宣言した。(両岸統一)
さらに、同年8月1日安全保障における協力機構たるクアラルンプール条約機構(アジア太平洋平和条約)を締結。
2089年4月3日、ミャンマー、ラオス、ネパール、スリランカ、モルディブ、マレーシアなどをと国家連合「独立社会主義連政権連盟国」CISRを結成した。
(これは言うまでもなく、アジア太平洋におけるソビエト連邦だと西側諸国からは警戒された。)

・大漢中社会主義人民共和国の成立
2090年3月1日、CISRの盟主で最大加盟国のUSCC(大中華社会主義連邦国)は国号(国名)を「大漢中社会主義人民共和国」(DHZ)に変更。
2112年9月1日には、連邦制ではなく中央集権型にするために憲法を改正し、国名が長すぎるとして「大漢中人民共和国」に変更。

・DHZ(大漢中)という国名の意味
2090年3月1日からは中華・中国という単語は公式に廃止された。
そして「漢人がマジョリティの中国地域」という意味の大漢中(DHZ)に変更された。
これは公式には「非漢族がマジョリティの地域と差別化して、そちらを引き立てるため」と言われたが、
憶測としては漢化政策を進める、中国の意味を広範囲に拡大する下準備(CISR加盟国全体に拡大)の下準備だとも言われた。


・国家体制
USCC(大中華社会主義連邦国)では複数政党制で中国共産党と中国国民党以外にも、様々な民主党が生まれた。
しかし、香港や台湾や琉球の独立を主張する政党は非合法であった。
また野党勢力や自由主義志向の団体は警察の監視下におかれ、事実上は大きな制限がかかっていた。
中国共産党の衛星党(民主建国党など)も小規模ながら活動は認められて、農村部では与党に成ることも多かった。
選挙は基本的に、軍と警察の管理下で電子投票を行うので公平性は低かった。
2089年4月3日から独立社会主義政権連盟国(CISR)に加盟すると、「穏健で漸進な社会主義」「マルクスとエンゲルスのいない、アジアの人々がいる社会主義」を掲げて、共産主義を放棄した。
2090年3月1日に大漢中社会主義人民共和国が成立すると、中国共産党は大漢中社会主義統一党に党名変更。

2112年9月1日に大漢中人民共和国となると、「自由市場の集権」を主張する介(ジエ)国家主席により、一党独裁・計画経済・集産主義の体制を再び作り上げた。(これは西側からは共産主義的権威主義への回帰だと批判された。)

「諸国民、および同志の皆さま。複数政党制と自由民主主義は常に国家と民族を分断して、自由なマスメディアは国益に反する報道をします。党のみが母であり、軍のみが父なのです。若者たちよ、党と軍を信じなさい。
西側の民主主義とは心理戦とサブリミナルで世論を誘導する、ブルジョア独占資本主義、あるいは欺瞞です。
西側諸国と結託する売国的民主主義者が大声で反体制を叫び、国家を分断する時代は昨日終わりました。
テヘランから東京まで、新しいアジア式社会主義により平和がもたらされるでしょう。」

by介(ジエ)主席の演説


・国防および武装力量(暴力装置)

武装力量(暴力装置)としては、多種多様であり指揮系統も複雑であった。
地方自治体(省や自治国)は独自の民兵組織や民間防衛センターを持っていた。
緊急時に動員される予備役部隊も、民間人と軍人の境界はあいまいだった。
しかし、「国家中央軍事委員会」が全ての軍部隊の司令部であるという事は共通していた。
正規軍には「常強軍」(じょうきょうぐん)が有った。
常強軍の艦隊部門は、常強海軍、航空宇宙部門は常強空軍とも呼ばれた。
地上軍、海軍、空軍は、聯合参謀本部、聯合指揮部が合同に管理していた。

これとは別に快速反応部隊(RRF)があった。
元々は、常強軍のエリート部隊の総称が、快速反応部隊だったが、
「中央軍事委員会の直属の少数精鋭部隊」という風に変わっていった。
(※旧来の人民解放軍や中華民国国軍では、日本で言う即応部隊を快速反応部隊と呼称していた。
これが、部隊の種類をさす単語から、選び抜かれた精鋭部隊の固有名詞に変化した。)



大漢中人民共和国軍(通称大漢中軍)のロゴマーク。



軍用機や国籍旗、戦闘服にはこのようなタイプも確認されている。

他には以下の軍種があった。

☆緊急展開軍(通称、壁兵)

もともとは人民解放軍のNBC対策部隊や武装警察部隊が再編制されたものだった。
だが大型機動兵器やロボット兵器が大量に導入されて大がかりな組織へと変貌した。
主に、大規模都市や重要施設の防衛、外国人街や少数民族の自治州での監視や保安を行った。
大規模な暴動やテロ、反政府活動の鎮圧も想定していたので装甲車やロボット兵器も保有していた。
国家総動員戦や中核都市部の防衛の要だったので、壁兵(へきへい)と呼ばれた。


☆即時対応軍(通称、即応軍)

もとは、民兵組織が有事の際に統合運用できるようにするためのプラットフォーム的な統合軍システムだった。
「国営の民間警備会社」を標榜している。
そして大漢中時代もその80%の戦闘員は予備役や民兵組織だった。
ヘリや航空機での空挺部隊と、サイバー部隊が主だった。
反乱発生地域や国境紛争地帯など「注目地点」への急行と素早い展開を目的としていた。
緊急展開軍との差別化は概念上、外国人からすると理解しにくかったが、緊急展開軍が「重」「撃」「点」をイメージしていたのに対して、
即時対応軍は「軽快」「緻密」「面」をイメージしていた。


☆外国人部隊
大漢中は公式には傭兵や外国人部隊を認めていなかったが、実は大規模に導入されていた。
リアルナンバー(実数旅団)と呼ばれる部隊は上海を司令部とし、港湾施設や各大使館の監視や警備を行っていた。
リアルナンバーの多くはアジア系で占められていた。

また内陸部ではイマジナリーナンバー(虚数旅団)が確認されている。
彼らはロシアなどスラブ系が中心だった。国家主席が直接指導する部隊で、中央軍事委員会や軍務部(国防省)が唯一、コントロールしていない部隊だった。
西安と武漢を司令部としていたらしく、新疆やチベット、広州に多くが投入されていた。
彼らは遺伝子改良を受けており、寿命が存在しないなど奇妙な噂がたてられていた。
他にも西ヨーロッパから集められた、セントピード大隊も存在した。

☆司法、警察
人民武装警察のうち、緊急展開軍に合流しなかった部隊の多くは内務警察部となり国内保安に勤めていた。
さらに政治警察として逮捕権限はないが強大な権力を持っていたのが、社会安全名録局だった。
他にも、警察予備隊という名称で民兵とは別に、地方自治体が軽歩兵部隊を保有している場合もあった。
災害対策としての、緊急支援局も警察と同等の権限が与えられていた。


☆情報機関
DHZ(大漢中)のスパイ組織(情報機関)の分類は複雑である。
というのも、全ての軍や警察、大学や企業、NPOなどが情報機関としての側面を持っていたからである。
さらに全世界の華僑・華人団体も本人の自覚はともかく情報機関のパーツとして機能していた。
まず中華人民共和国やUSCC(大中華連邦)の時代には、党の機関である「中東統一作戦部」、軍の「総参謀部2部」「総政治部」、国家(行政)としては「国家安全部」(KGBに相当)が存在した。
また外交部(外務省)には平和統一戦線や友好協会の名での情報機関が存在した。
さらに民間団体の多くも実は、共産党員が指導するスパイ機関だという事は大いに有り得たのである。
大漢中では、中央軍事委員会直属の、中央情報部があった。
さらに即時対応軍のサイバー部隊も情報機関でもあった。
国家主席直属のイマジナリーナンバーはロシア系の情報機関で働いていたものは、ラーブヌイ大隊と呼ばれていた情報部隊に所属していた。
常強軍の陸海空軍部隊にはそれぞれ偵察・情報ユニットがあり、それらからの情報は国防部の軍事偵理局で統合的に解析・保存・運用された。
マスメディアとしては新華社通信が情報機関として有名だったが、これは大漢日報と成った。





この大漢中人民共和国はスクエアエニックス社様の、FrontMission3(フロントミッションサード)に登場する架空の国家です。
全ての元ネタはフロントミッション開発部およびスクウェア・エニックス社様にあります。