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映画産業は文化論的にしか分析できない

2010-01-28 22:19:46 | 日記
マックス・ウェーバーはかつて、文化とは「実在のうち、価値理念への関係づけによってわれわれに意義あるものとなる、その構成部分を、しかもそれのみを、包摂する」のであると書いた(「社会科学と社会政策にかかわる認識の『客観性』」)。

スタジオシステムの崩壊以降、基本的には儲からない高リスクビジネスである映画は、まさに「価値理念への関係づけ」なしには継続できない仕事である。

そもそも、主要映画製作国でスタジオシステムが形成された1910年代後半から20年代にかけての時期は、まだ現在のように人間がシニカルではなかった。
ロシアを含む19世紀ヨーロッパの、しばしば「芸術至上主義」等と揶揄されることのある、しかし実際には人類が残したものの中で最も精神的な豊かさを与えてくれる芸術文化の流れは、スタジオシステム成立期の映画産業にも少なからぬ影響を与えたのである。日本でも、フランスでも、ドイツでも、アメリカでもそうだった。

ハリウッド映画の「黄金時代」が20年代末から40年代にかけてであるとすれば、その後半に「プロデューサー・システム」を確立した人々(多くはユダヤ系移民)は、単に経済効率ばかりを求めていたわけではない(この辺りの事情は、日本語にも翻訳されているロバート・スクラーの『アメリカ映画の文化史』に詳しい)。

今や「蒸気機関車」並みの効率になってしまった映画ビジネスは、基本的に文化的現象でしかない。スピルバーグやジェームズ・キャメロンのような監督兼プロデューサーは映画によって何らかの思想を観客に伝えているのであり、コンピューターで「売れるストーリー」を計算しているわけではない。

各国映画史を振返って興行成績だけを見ると、上位に入る作品には、ある程度の視覚的な豪華さ以外にはほとんど何も共通性がないことが分かる。
そこには、わざわざ学問的に分析するのも恥ずかしいほどの凡庸な映画(日本の『南極物語』、ソ連の『20世紀の海賊』、フランスの『ミッション・クレオパトラ』、ロシアの『最良の映画』)と、ドラマツルギーと演出面でそこそこ評価できる映画(『タイタニック』)、完全なる芸術作品(『影武者』)が混在しているのだ。

制作費の回収と収益の効率だけを見れば、何10億円もかけてさんざんな結果に終わったという『ポストマン』よりも、低予算で20何倍もの収益を挙げた『イージー・ライダー』の方がすぐれているということになる。だが、『イージー・ライダー』は実は同時代の政治的・社会的な状況が無ければヒットするはずのない映画である。

だから、映画ビジネスに「成功の秘訣」はない。ロジャー・コーマンの自伝を読めば分かることである。映画を同時代的に(結果論ではなく)評価できる才能があるか、映画への深い愛があるか、それが全てを決める。

そして映画に関係づけられる「価値理念」は、テレビともインターネットとも全く異なった独自のものである。映画人達の、その価値理念へのこだわりだけが、滅びかけている映画産業を今、存続させ、時には復活の幻影さえも生じさせている。
それ故、研究者も映画の専門家でなければならず、映画文化を知らぬ門外漢の出る幕はないのである。