心が満ちる山歩き

美しい自然と、健康な身体に感謝。2019年に日本百名山を完登しました。登山と、時にはクラシック音楽や旅行のことも。

サン=サーンス 「オルガン交響曲」(2)

2015年12月17日 | 名演奏を聴いて思ったこと


((1)のつづき)

 スヴェトラーノフ盤は、最初からその遅さで際立っています。第一楽章・第一部の演奏時間が12分53秒なのに対し、ミュンシュ~ボストン交響楽団は9分53秒。すごい差があります。
 しかし、この遅さゆえに活きている表現がたくさんあるのです。例えば第一楽章の第一部(1:00)、夜明けを告げるような、あるいは空を覆う霧を一気に晴らすようなティンパニの音!もし普通の、あるいは速めのテンポをとったなら、この表現はとってつけたように聴こえたに違いありません。
 その後に続く弦楽器も、音だけでなく、弓が動く様子まで伝わってきます。森の樹の枝が風で揺れているように聴こえます。(5:27)トランペットが、大きな音で、しかし柔らかく響きます。
(5:46)からの盛り上がりも最高です。ここは第一楽章で一番の聴かせどころでしょう。ここだけ繰り返して何回も聴きたくなります。
 随所で大活躍する打楽器は、(8:48)に至って、遂に地鳴りのような音を響かせるのです!
 パイプオルガンが嵐の後の静けさを演出する第一楽章・第二部が終わると第二楽章です。少しも急がず、弦楽器も木管楽器も一つ一つの音をくっきり演奏しているのがとても効いています。(1:18)の巨大なアクセントは、一つ一つ少しずつ響きを違えてあり、迫力とカラフルさが相まって愉しさの極みです。その後登場するピアノの音は、ホールの残響に豊かに包まれています。
 第二楽章・第二部では再び遅さが全開になります。ただ音が聴こえるだけではなく、奏される直前の息遣いから終わった後の余韻まで、まるでライヴ演奏の場に居合わせているかのように、すべてが手に取るように分かります。最後は指揮者もオーケストラも渾身の盛り上がりで締めくくられます。
 十分に遅いですが、無理に遅くしようとしているようには聴こえません。きっと指揮者にとっては、この速さが一番自然に聴こえるから、思った通りに指揮棒を振ったらこうなったにすぎないという風に思えます。
 全曲を通して、わくわくするほど興味深い響きが続出しています。自分の好きな曲を、こんな風に演奏してくれてありがとう!という気持ちになります。


 一方ミュンシュ~ボストン交響楽団は、一気呵成の迫力で突き進む演奏です。何よりも録音の鮮明さに驚きます。さらに驚くのは、これが1959年・ステレオ最初期の録音だということです。エンジニアとスタッフの叡智・努力がなければ、これほど鮮やかな音で聴くことは不可能だったでしょう。
 第一楽章・第一部では、芯のしっかりした音の数々に驚かされます。(7:14)のすごい緊張感!
 第二部では、(6:32)伴奏を務める弦楽器のピチカートがくっきり弾かれるのが面白いと思いました。幾何学の模様が、階段を登ったり下りたりするような音のつながり。あるいは真っ白なキャンバスへ向かって、抽象画家のとる筆がランダムに落ちる様子を音に変換したような響き。
 第二楽章に入ると、第一部(3:54)の切り詰めた響きがスヴェトラーノフ盤と対照的です。煽り立てるようなオーケストラの加速もあります。
 第二部に入ると、優秀な録音がいよいよ本領を発揮し、どこをとっても最高の自信が漲っている様子が伝わってきます。トランペットの音が明るく、芯があって、表面では火花が散っているように聴こえます。先へ先へと進もうとするエネルギーに満ちあふれている一方、スヴェトラーノフが聴かせてくれた、楽譜をゆっくり味わって踏みしめるような音と余韻を求めることはできません。演奏時間も、スヴェトラーノフの11:14に対し7:40という速さです。

 このCDには「オルガン交響曲」のほか、ドビュッシー「海」とイベール「寄港地」が併録されており、これらはさらに前・1956年の録音です。すべての曲で、指揮者とオーケストラが最高のテンションにあったことを感じさせます。自分たちの演奏が、当時最高の技術水準で録音されることに、皆が誇りと喜びを感じていたに違いありません。



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