NHKが三年間にわたって放送予定の「坂の上の雲」
第一部がおわり、今年の12月に第二部が放送されるといいます。
司馬遼太郎氏の名作といいますが、氏の歴史観の奥深さはその他の作品でもうかがうことができます。
たとえば「竜馬が行く」では、坂本竜馬がいかに明治の新政府づくりに寄与されたかが描かれています。
この作品が世に出るまで、明治維新に貢献したのは高杉晋作はじめ長州と西郷隆盛はじめ薩摩といわれていました。
私が中学時代たしか社会科の歴史でこの時代長州・薩摩の出身者の明治維新への貢献について学んだ記憶がありますが、土佐の坂本竜馬ははっきりとした記述がありませんでした。
竜馬のことはともかく、この「坂の上の雲」に興味を持ったのは伊予松山弁をどのように話すのだろうかという点でした。
本書文春文庫の第一巻に時代背景が紹介されています。
明治維新になって徳川方だった松山藩は新政府になったことから賠償金問題で経済的に苦しい状況にあったといいます。主人公の秋山家は武家でありましたが、10石どりのお徒士という低いくらいでしたのでそれはそれは貧乏でした。
そんな松山を司馬氏は気候もよく物がよく実りこれといって災害にもあわないしかも道後温泉があるのですべてが駘蕩としていて戦闘心が少ないと記されています。
長州にまけて、賠償金を払わなければならず、汽船までとられてしょっくではあるはずだが松山人はそれを歌にして歌ったといいます。
長州征伐、マの字にケの字
猫に紙袋で、後に這う~~
面白がっているのです。
悔しいと思っても、畜生と思ってもどうにもならないから歌でも歌おうというのでしょうか。
長州征伐だけではなく鳥羽伏見の戦いも、負けて負けて、土佐藩の預かりとなった松山藩でした。
土佐藩はこの地で横暴は振る舞いをしたわけではなく、負けたが後に残ったのは貧乏な暮らしだったという事実だけが松山藩の苦しみだったといいます。
その中で秋山家に男の子が生まれます。その子がのちの真之となる子供でした。町民の中では間引きという習慣があるのですが、武家にはなく、とにかくうまれたもので「いっそ寺へやってしまおう」と決まりました。
それに待ったをかけたのが好古でした。本書には「あのな、そら、いけんぞな」と10歳の彼が両親に言います。
『由来伊予言葉というのは日本でもっとも悠長なことばであるとされている。』司馬氏はこう伊予弁を説明します。おそらく読者にはなかなかわからないと思います。すごくゆっくりと話すと近くなります。
このせっぱつまったときになんてのんきなと思われるものではありますが、松山の人はそれでも大変だ、なんとなしなければという気持ちがあっての言葉です。難しいでしょ?
好古はつづけます。「あのな、お父さん。赤ん坊をお寺へやってはいやぞな。おっつけうちが勉強してな、お豆腐ほどのおかねをこしらえてあげるぞな」
これは、息子がおとうさんに赤ん坊を手放さないで欲しい。自分が勉強してりっぱになってお豆腐のかさのようなお金をたくさんもうけるから、というのです。
藩札を積み重ねてお豆腐ほどのあつさとの意味で「お豆腐ほどのお金」は大人がよくつかうたとえだったようです。
なんだか昔聞いたことがあるような気がします・・・(笑)
作品をよんでいてドラマではどんな言葉になって演技をしているのだろう?と気になりました。
しかし、多少がっかりしました。
脚本としての言葉は松山のことばだったかもしれませんが、話す速さや抑揚はいわゆる方言としての扱いでした。
そうはいっても忠実に再現するとドラマでは視聴者が理解できないと思われます。すごく大変な場面で緊張して「大変だ、どうしよう?」という言葉も松山弁では穏やかに聞こえるのでドラマの流れが通じなくなる可能性もあります。「大変じゃけん。どうしようかの?」というゆっくりしたスピークです。
だったら視聴者はその大変さ加減が理解できません。
名作といえどもドラマ化は難しいのはその部分ではないでしょうか。
小さいとき、松山を舞台にしたドラマというと夏目漱石の「坊ちゃん」がありました。
中学の悪がきが坊ちゃんにいう「天ぷらそば八杯はおおいぞな、もし」「もちっとゆるりというておくれんかな、もし」というせりふ、これをどういうか・・注目でした。
いろんな俳優さんが演じてきました。たぬきや赤シャツ、松山中学のわるがき、マドンナ、うらなり・・坊ちゃんだけがべらんめぇ~~で話をします。大変楽しいドラマでした。
ほかにはNHKの朝の連続ドラマ「おはなはん」がありました。
樫山文江さんのかわいらしくおだやかで明るいおはなはんのキャラクターが大ヒットしたことがあります。
あるいみ、松山弁のもつ魅力とは癒し系なのかもしれません。松山を出て30年。はじめて関西で高校の同窓会へ出席したときのことです。
松山弁で話しましょう~~といわれましたが、言葉が出ません。
ふるさとは遠くにありて思うもの・・・石川啄木のいうとおり
遠くにあってこそふるさとを感じることができるのでしょうね。
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