広沢の池というと京都の大覚寺の近くでもある。
夕方雨上がりに訪れてみるともやがかかっていた。パステル画のようでもあり、水墨画のようでもある風景に、鮮やかな紅葉を見てきた目が意表をつかれてしまった。
晩秋の風景である
11月もあとわずかで終わる。
そのひととき、自然の大きな暖かさに包まれた思いがした。
過ぎ行く時間を振り返りながら、今年なにをしてきたかと反芻した。個人的には、多少の成長はあったかもしれないと評価した。
いつも、楽しみにしていた朝のワイドショーが悲しいニュース、悲惨なニュースがとびかい、なにか人間的なものが失われていく危機感を感じた。
「母親が子供を殺す」。自然の道理で行けば、命を生み、守りはぐくむ母性が、崩壊しようとしているのではないか・・・と不安をもった。
もともと母性は、何ものにも変えがたい愛情そのものである。それを維持できない現実の中にいる女性を責めることがあっても、励まし守っていくことの出来ない社会に、不信も不安も持つ。
夕餉の時間、薄明かりの中、家路に付く高校生の元気な自転車の列が通り過ぎていった。「ごはんですよ~~~、早く帰って来なさい」という母の声が彼らに聞こえるかのように、「また明日!」と、別れていった。
晩秋の京都。懐かしいふるさとの風景がそこにあった。
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