Alglory Web Travel Diary

日々の気づいた事、気になった事を綴る。
時空の扉の管理人のBLOG。
since:2004-08-07

十字軍物語

2010-09-24 01:14:42 | 歴史
ローマ人の物語の著者である塩野七生氏がローマ亡き後の地中海世界で、西地中海を中心としたイスラム海賊とキリスト教世界の対立を書き終えた後、もし書くとするのならば十字軍史になるであろうと大方予想していましたが、まさかこの短期間に出すとは氏の高齢に関わらずの執筆意欲には頭がさがる思いです。 

個人的はビザンティン帝国を中心とした中世ローマ帝国史でも書いていただければと思っていたんですけど・・・ 

ビザンティンを中心とした歴史というのは案外書きづらいのかもしれない。 
ビザンティン帝国の歴史の本を読むとおよそ半分以上は周辺諸国の歴史解説が書かれているのが現状です。 
かの大著「The History of the Decline and Fall of the Roman Empire」(邦題<ローマ帝国衰亡史)の著者エドワード・ギボン(英国人)ですら後半のビザンティン帝国、本体の歴史は極端に少なく周辺諸国の歴史に殆どを費やしている。 
もっとも、ギボンがローマ帝国衰亡史を書く動機について、「ローマがいかに滅亡したかではなく、なぜここまで続いたのか」であった言われている。ならば周辺諸国に狙われ続けて、1000年近く続いたのかという視点で書くのが公平なはずであるのだが、ギボン自身が持つキリスト教に対する考え方が根底にあったのではないかと思われる。実際、古代ローマ時代のキリスト教と関わりを書いたときの厳しい批評は当時の問題になった位ですから、キリスト教の迷信国家となった帝国に何の魅力も感じなかったのかもしれない。 

ちなみにビザンティン帝国とは俗に言う東ローマ帝国のことで、コンスタンティノポリス(現イスタンブル)を中心とした領域を持っていた国家です。 
ローマ帝国の政府がローマ(後ラヴェンナ)を中心とした西ローマ帝国と東ローマ帝国に分かれたのが395年、ここから滅亡まで1,000年近く存続する国家となります。その意味では連綿と続くローマ帝国であるといえます。 
あと、大学の卒業旅行でトルコに行きましたけどイスタンブルは良かったですよ、遺跡がたくさんあって、鉄道好きにはたまらないオリエント急行の発着点もあり街が凄くよかった。 

で本題、第一巻を読み終えたのは、1週間ほど前です。 
塩野七生氏の文体は彼が愛してやまないユリウス・カエサルの文体を意識しているように思われてます。(ローマ人の物語ではカエサルの記述に二巻を費やしている)つまりシンプルであること、読みやすいのが特徴です。(この為、年の名前が現在名と古代名が並立してできます。)十字軍の入門書としてはいいのではないかと思います。 
改めて読んだ感想ですが、所謂、英雄がいない歴史というのはかくも、悲惨になりえるのかというのが感想です。無論、第1回十字軍側にもイスラム勢力側にも力量に置いては中々の人物はいます。 
しかし、カエサルのガリア遠征やハンニバルのローマ遠征のように、もっと言うならばトラヤヌス帝やコンスタンティヌス帝が戦った戦は彼らが主導的な役割を果たし成功を自らの意識を持って整えたのに対して、少なくとも第1回十字軍に対しては相手より失敗が少ないから、翻って成功したという感を受けます。 
これが、結局十字軍国家の短命というものに繋がったのかなかなと思います。 
ただ、サラディンが出てくるようになると考え方は変るかも知れませんが少なくとも第1回十字軍についてはそう思わざる終えませんでした。 
他の十字軍史の本やネットで調べてみると、どうもそういうかき方をしている方が多いようですしあながち間違っていないかなと思います

雁屋哲氏は不見識

2010-05-06 00:13:39 | 歴史
「普天間問題で鳩山首相を叩くのは間違ってる。悪いのは昭和天皇と自民党」…美味しんぼ作者・雁屋哲氏

本音を言うと「さすが左巻きの戦後GHQ洗脳世代は何でも天皇責任と反権力と陰謀論を錦の御旗にしている」とあきれ返ります。
ただし、問題なのは雁屋哲氏は私と違いそれなり影響を持っている人間です。その人が根拠のないデマを証拠も提示しないで印象だけでblogを書いているということです。
そもそも無論、今回の普天間問題は鳩山由紀夫自身が招いた問題(つまり八方美人の発言)がそもそも原因であり、「解決していた問題」に対して余計なことしてぐちゃぐちゃにしたという事が疑いようのない事実なわけです。それを昭和天皇とか自民党が悪いなどというのは質の悪い論理のすり替えです。
しかし今回はあえてのりたいと思います。この程度の人間が知識人面していることに対して腸が煮えくり返りますから。

まず気になってたのは

昭和天皇の言行録を、当たって欲しい。ちょっとした図書館に行って、昭和天皇についての書籍を調べれば、すぐに分かることだ。(その意図があるから、私はわざと、文書をここに引用しないのだ。読者諸姉諸兄が自分の目で、昭和天皇が何を言ったのか読んで欲しい。それで、驚かなかったら、おかしい)

ここでは、その資料の存在を示さず、読者に調べろというなんとも無責任な発言をしているわけです。今回の雁屋哲氏の発言の肝となる部分に立証が全くなされてないまま無責任に発言しているのといえます。
そうなる考えられるのは以下のようになります。
1.立証できる資料がなく妄想で書いた。
2.仮にあったしてもトンデモ本の部類ある可能性
3.単にめんどくさいだけ。
4.ちゃんとした書籍から拾った
こんなとかなと思います。
一般的に影響力のある人間が発言する場合は書籍とやらを提示するのが筋ではないのかということ、その書籍とやら本当に信頼できるものかという事をあわせて示す必要があるではないかと思います。

4についてですが
そもそも沖縄の基地問題については

サンフランシスコ条約の条文
 日本国は、北緯二十九度以南の南西諸島(琉球諸島及び大東諸島を含む。)、
 (中略)を合衆国を唯一の施政権者とする信託統治制度の下におくこととする国際連合に対する合衆国のいかなる提案にも同意する。

で決まったことを踏襲しただけであり、これに対して昭和天皇は異論を挟む立場でなかったことをちゃんと認識しているのかと言いたい。
どうも左巻きの人間は天皇が絶対君主であるような幻想を抱いているが戦前であろうと戦後であろうと天皇は絶対君主ではなく立憲君主というのが常識であります。その考えた方としての1つに天皇機関説というものがあります。昭和天皇御自身も天皇機関説を当然のものとして受け入れていたわけです。

ちなみに、昭和天皇が自らの意志を公の場で示したのは2回
2.26事件の対応と終戦を行う為に下した世に言うご聖断の時です。

昭和天皇の人となりについては小林よしのり氏の昭和天皇論を読んでいただければ理解できると思います。一言で言えばあの当時での中で洞察力が深く、もっとも現実的判断を下せる方は昭和天皇だけだといえます。
その沖縄発言が仮にあったとしたらにむしろ戦勝国に日本が占領されてなかでの苦渋の発言と見るほうが自然だと思います。
もし見捨てたのならば、在位中あれだけ沖縄のことを気にかけるわけがないからです。

最後に、左巻きはもう少し歴史の勉強をしましょうと言いたい。

統治者として資質

2010-04-07 01:45:42 | 歴史
少し前の話、こんなことがありました。

一部をmixi日記から転載

こんなニュースが
暴君ネロ皇帝の遺跡の一部が崩壊=ローマ
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100331-00000052-jij-ent

知っている人は知っている私は高校時代からの古代ローママニアなんですよね。
ローママニアにとってはこのニュース大変なことと感じると同時に2000年前の遺跡の保存には大変な努力がいるのだろうと思うわけです。
そんなこんなで会社から帰ると久しぶりに掲示板に競馬以外の書き込みが!!
その内容によると、なんと、このニュースにネロの解説にわがホームページが引用されている。
どおりでカウンターがなんか増えているなあと思ったわけです。
もっともその掲示板の方に書かれていたのは国語をちゃんと勉強しましょうという指摘。
まあ、まあ言い訳させていただくと、古代ローマのページ5年以上は確実にいじっていない。
よって若かりし頃とは言っても30代前半の文章ですから・・・
こういういい訳「多くの人は、見たいと欲する現実しか見ない。」となるわけですかね。

で、前置きはさておきまして、ちょこちょこと古代ローマ人ばりにメンテナンスを始めたわけです。

でいきなり初代皇帝アウグストゥスの統治の文章をメンテナンスしているとこんなエピソードがあった訳です。
「一人娘ユリアのスキャンダル」(要は不義密通の事(皮肉なことにアウグストゥスが定めた「ユリウス姦通罪・婚外交渉罪法」抵触)でユリアは追放されます。
ちなみに某民主党のモナオこと細野豪志もこの当時なら追放だな。それはとりあえず置いといて、身内とてもとても甘い民主党様に全くできないことだなと思ったわけです。

鳩左ブレと汚沢はアウグストゥスの爪の垢でも煎じて飲ませてもこうはなりません。

ローマ亡き後の地中海世界

2009-03-17 23:43:20 | 歴史
ローマ亡き後の地中海世界(上)

ローマ亡き後の地中海世界 下

事実上のローマ人の物語の後継作品となります。
但し、その時代のキーとなる人物中心の流れであったローマ人の物語に比べそのウェイトはかなり低く、通史に近いといえる書籍です。

しかしながら、ローマ人の物語に流れていた本質はぶれることなくこの作品でも語られています。

この本を語る上でもし一言あげるとすれば、以下の言葉になるでしょう。
「平和とは平和主義者によって達成されるほど甘いものではない。」

それが歴史の真実であり、秩序無き、英雄無き時代がどれ程の悲劇を生み出すのか、この点だけを意識と読むだけでも、平和主義者と言われている連中がいかにお花畑で脳みそが埋められているかということがわかると思います。

民主主義で、軍隊が放棄されれば平和は達成できるといのならば、逆説的な話になりますが、非民主主義で軍隊が存在すれば平和は達成できないということになります。

しかし、パクスロマーナと言われる200年間は帝政ローマの時代で軍隊も存在していました。
帝政という皇帝が統治する時代でありながら全体として平和な時代であり、さらにパクスロマーナでも最盛期である五賢帝時代は「人類が最も幸福の時代」(E・ギボン)と呼ばれる時代でした。

それに対して秩序無き世界に突入した時代は、悲劇の連鎖といわれても仕方が無い時代でした。
もし、上記の本を読んだ後、対比となるローマ人の物語のⅥ~Ⅸを読んでいただければ明確になると思います。

ゲーテが、「秩序なき正義」と「秩序のある不正義」のどちらを選ぶかと問われれば、後者を選ぶと言っていたそうです。

いんちき

2008-12-18 00:17:23 | 歴史
こりない格付け会社

みずほ格下げを検討 ムーディーズ

ここらへんはぐっちーさんが指摘しておられているのですが、反省無しの格付け会社ですし、もし日本の金融機関がこれ元に売買しているのなら、やめたほうがいいと思います。

今や、世の中の無駄な存在「格付け会社」だと思う。

ちなみにこっちのみずほちゃんの格付けは・・・、トリプルZというのが私の評価です。
ピーピー非難するだけなら、誰でもできるですよね。

で格付け会社とか、株価を算定する会社っていまやノイズでしかないと思うんですよ。
少し古いですが、ソフトバンクの目標株価・・・
いきなり半分以下かよと、思わず噴いてしまった。
これなら予想会社いらんやん・・・

ちなみに、ソフトバンク株は買っていませんし勝ったことありません。
買いたいとも思ったことありません。

ところで、ついに影響が出た、アラブ諸国・・・
ドバイワールドカップどうなるのかな・・・

東京裁判史観

2008-09-05 01:12:16 | 歴史
やはり、毎年一度はこの事を触れないといけないでしょう。

年々、救いなのは東京裁判というものがいかに「公正を欠いた裁判」であるのかそして、それは白人のプライドを打ち破った日本人に対する復讐劇でしかなかったのか明らかに浸透していっいることです。

そして、今回読書したのはこの2冊

東條英機 天皇を守り通した男

『パル判決書』の真実

今回は読みやすさとしては上記2冊がお奨めです。是非読んで欲しいです。

パール博士「平和の宣言」を次に読んでみます。

とにかく言えることは、大東亜戦争のことはきっちり学ぶこと、大東亜戦争とは日本とっての侵略ではなく防衛戦争であることを確り認識すべき教育を受けさせることだと思う。
いかに学校の教育やマスコミがいい加減なことを述べ続けてけていたのか。
戦争指導者は遂行したことを仮に「罪」というのならば、それを償った。(この定義自体が非常にいい加減だなのだが)
マスコミは現在に至るまで反省と総括を行うどころが、米中韓の手先となって日本に対してのネガティブキャンペーンを打ち続けている。

少なくとも東條大将は戦争を望んではいなかった。これは様々な証拠から定説になっている。

むしろ、望んでいたのは国民、そしてそれを煽りまくったのはマスコミではないのか(特に朝日新聞)。
そのような連中が、手のひらを返したように東條大将を不当に貶め、その罪の無い家族に対して、罵倒し続けた事実を反省すべきではないのか。

以下の記事だってそう
東条英機・陸軍大将:手記を確認…終戦直前の心境つづる
この記事だって、今の捏造マスコミが抜粋と書いた時点で信用できない。全文を読んで判断したい。

この記事について、とあるBLOGで展開した批評を読んだのだが、東條大将に対しする不当な書き方に憤りを覚えた。少なくともこの記事を確り読めば、東條大将が不当に言い訳し、国民を非難している文章では無いと思う。(東條大将が卑小な人間ならば、GHQの不当な逮捕行動に対して自殺を行うわけもなく、東京裁判での一連の素晴らしい発言をするわけも無い)

このような東條大将に対する不当な評価は年齢で言うと70代以降に多いと思う。

石原慎太郎
田原総一郎

が筆頭格か

どちらにしても、両方妄執の醜い老人を見せ付けてくれる行動をいかんなく発揮している人ですからね。

この2人が東條大将の立場で裁判を受けても他人の性にするだろうなあ。
命をとられない事象でも他人のせいにしているのだからね。

追伸:石原慎太郎が特攻隊の映画を撮ってたけど、似非保守がそんな映画を撮るなよな言いたい。それこそ先人に対する冒涜だ。

それよりか、「プライド」ってなんでDVD発売されないのだろう。
「靖国」より絶対作品としてはいいと思う。

8年の歴史

2008-01-02 02:59:09 | 歴史
8年
オウィディウス、アウグストゥスによって黒海沿岸のトミスへ追放される。
小ユリア、トゥリメルス島に追放される。
王莽、前漢から簒奪し新を建てる。
ヴォノネス1世、パルティア皇帝に即位。

108年

208年
赤壁の戦い - 曹操が劉備・孫権連合軍に大敗し、三国時代の端緒となる。
10月1日 - アレクサンデル・セウェルス、ローマ皇帝誕生

308年
竺法護による266年以来の訳経作業が終わる。
ローマ帝国でリキニウスが即位。

408年
5月1日アルカディウス死去東ローマ皇帝。(377年-)
8月22日西ローマ皇帝ホノリウスの命令でスティリコが処刑される
太武帝の誕生。(北魏の第3代皇帝。華北を統一)

508年

608年
小野妹子を隋に派遣(第2回)。同時に高向玄理、旻、南淵請安らが留学。

708年
和同開珎を鋳造(皇朝十二銭の最初。富本銭をのぞく日本最古の貨幣)
出羽に出羽柵を築く

808年

908年

1008年
後一条天皇誕生-第68代天皇
菅原孝標女誕生-更級日記の作者。
2月8日花山上皇薨去

1108年
源氏物語絵巻の成立

1208年

1308年

1408年
5月31日(旧暦5月6日)足利義満室町幕府第3代将軍死去(*1358年)

1508年

1608年
オランダの眼鏡職人、ハンス・リッペルスハイによるガリレオ式望遠鏡の発明。
伊勢物語の刊行。
カルヴィン事件。
岩国城竣工。
江戸幕府、島津藩に琉球出兵を指示する。
池上本門寺の五重塔建立。
永楽通宝の通用禁止。
サミュエル・ド・シャンプラン、ケベック植民地創設。
ファルツ選帝侯を盟主としてプロテスタント諸侯同盟結成。
タタール部、華北侵入。

1708年
ヴィエンチャン王国でセーターティラート2世が即位。
ダホメ王国でアガジャ王が即位。
マントヴァ公国がオーストリアに併合。

1808年
1月、ブラガンサ王朝、ブラジルに到着
3月、ブラガンサ王朝、リオ・デ・ジャネイロを首都と定める
6月6日 - ジョゼフ・ボナパルト、スペイン王となる
10月4日(文化5年8月15日)- フェートン号事件
イベリア半島戦争(-1813年)
ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ、『ファウスト』第1部出版
アメリカ、奴隷貿易を禁止
間宮林蔵、樺太を探検。
ゲイ=リュサック、気体反応の法則を発見。
12月22日 - ベートーヴェンの交響曲第5番(運命)と交響曲第6番「田園」がオーストリアウィーン近郊アン・デア・ヴィーン劇場にて初演

1908年
2月1日 - ポルトガル国王カルルシュ1世(カルロス1世)とその皇太子が暗殺される。
2月18日 - 移民に関する日米紳士協約が結ばれる。日本は米国への新規移民を禁止することを約束した。
3月8日 - ニューヨークで女たちがパンと参政権を要求したデモを起こす(国際女性デーの由来)。
4月27日 - ロンドンオリンピック(第4回夏季オリンピック大会)が開幕。
4月28日 - 第1回ブラジル移民を乗せた笠戸丸が神戸港を出港する(6月に到着)。
5月20日 - ジャワで民族主義的政治結社プディ・ウトモが結成される。
6月22日 - 赤旗事件発生。大杉栄、荒畑寒村ら14名が拘束される。
6月30日 - シベリアでツングースカ大爆発が起こる。
7月23日 - オスマン帝国で青年トルコ人革命がおきる。
7月26日 - 現在のアメリカ連邦捜査局が設立される。
10月5日 - ブルガリアがオスマン帝国からの独立を宣言する。
10月6日 - オーストリア・ハンガリー帝国がボスニアとヘルツェゴヴィナを併合
11月14日 - 清で光緒帝が崩御、翌日には最高権力者であった西太后も崩御。
11月15日 - 「新フランス評論」創刊。
11月30日 - 高平・ルート協定が結ばれ、日米両国の太平洋での現状維持や中国の領土保全・機会均等を約する。
12月22日 - 第25議会召集。
3月 - 黒板勝美「国史の研究」。
4月 - 葛生学館(青藍泰斗高等学校)が設立 。
7月 - 桂太郎が第十三代内閣総理大臣に再就任。
9月 - 清で欽定憲法大綱の発布が行われ、国会開設が公約される。
10月 - アメリカ合衆国でフォードのT型車が登場する。
11月 - 波多野精一「基督教の起源」。
12月 - 愛新覚羅溥儀が清の皇帝に即位。
伊藤左千夫らが「アララギ」を創刊。
正宗白鳥『何処へ』。
語劇の絶頂期を迎える。
水俣村に日本窒素株式会社創設された。
中部で農民の抗税デモ。

爆弾作家!!

2007-11-10 01:41:58 | 歴史
軍強制の記述「訂正必要ない」=大江氏、原告側に反論-集団自決訴訟・大阪地裁 (時事通信) - goo ニュース

本来なら、色々書きたいことがあるのですが、今日の夕刊を読んで、この作家の偽善と欺瞞とダブルスタンダードを指摘したいと思います。

大江健三郎という作家は、日本の勲章が嫌いみたいで、例え自分の信条とあった政治体制になっても勲章を受けないでしょう。
そのくせ、ノーベル賞等、ヨーロッパの勲章は積極的に受けるみたいです。
それは、シラク政権の核廃絶に反対姿勢をとりながらシラク政権時代に、「フランスの米英と異なる核軍縮の役割に期待している」というおバカ丸出しの言い訳をして、叙勲されているわけですから、ダブルスタンダードな人間なんでしょう。
私の勝手な見解ですが、要は白人コンプレックスから受けたと思われます。実際多感な時期に戦後民主主義で育った世代は白人コンプレックスが多いようで、田原総一郎や永六輔や中山千夏等がその例でしょう。

それゆえに、そんなに外国の勲章が大好きなら、日本から出て行けば良いのに出て行く根性すら無いという情け無い人物。
別に、私は日本にいて欲しくないと思うし、日本の国是が支持できないなら出て行ってくださいと言いたい。
本当に日本だから許されるわけであって、独裁制や日本の天皇制度自体を否定する癖に、北鮮やシナの制度を否定しない、もしその両国にいたら大江健三郎は銃殺されている可能性が高い訳で、日本に生まれたことを感謝しないといけないでしょうよ。(左よりの人間はこのような程度の低いダブルスタンダードを持っている人間が多い)

まあ、実際今回問題なった文章ですが
『ある神話の背景』(曽野綾子)によると、「取材の結果、判明したのは沖縄タイムズの記者も、大江健三郎も一度も現場の島に取材に行った事実がない」と言われ、記者も大江も伝聞だけで、赤松大尉の悪逆非道の人物として報道し著書に描いた事が判明している。

という類の物で、所謂、歴史問題を語るものとしては最低の部類入るものです。伝聞による物で構成された歴史書は基本裏づけが無いと使用できない物ですから、それを平然とやってのけた罪の重さはかなり大きいです。

一刻も早く販売差止めを求めたいです。

歴史学について

2007-10-27 23:22:38 | 歴史
似非知識人や世論の声で過去の事実が捏造されるのら、歴史学などは最早いらないものでであると断ずる。

「軍の強制」復活申請へ 教科書執筆者「新証言を追加」

やはり、一連の沖縄歴史問題を朝日は日曜日の新聞の一面に持ってきました。

県民集会の人数を捏造し、「あさひる」と揶揄された新聞にとっては、してやったりの感があるのでしょう。

歴史学の基本は、多数決や事実を分析しない無知なプロ市民や似非知識人の判断によって決まるわけではありません。

史実に基づく学術研究を元にこつこつと事実を積み上げるものであって、そこに恣意的な思想を入れて事実を捻じ曲げるて捏造するものでもありません。

あくまでも必要な能力は後世に対する影響を冷静に分析する力その一点のみであり、そこに現在の価値観であったり思想を入れ込むことは歴史学上ではおよそ許されざるべき問題であると思います。

つまり、現在の価値観で奴隷制や帝国主義のことを語ると無論、非常識にはなりますが、あの当時では寧ろそれが世界の常識であったという前提において語るべきとではないのかと思います。

今回の高校教諭の坂本昇氏は、2つの大きなミスを犯しました。
1.歴史学に対する基本的な姿勢がなっていないと言うことを自ら会見によって暴露したこと。(社会の同調圧力により修正をかましたこと。)
2.もし仮に今回の修正版が事実であるとするのなら、なぜ市民集会後では無く集会以前に申し開きをしなかったのか。

以上の2つの点から考えても、同氏は最早、教職だけではなく執筆者としての資格を失ったといえるわけでしょう。

さらに、それ以前にまずいことがあります。
もし、これで検定された教科書がひっくり返ることになると、日本の歴史学は大いなる後退を余儀なくされるでしょう。

歴史は政治によって変わるという最悪の事態を招いてしまうことです。それを招いた。福田首相、渡海文科相は国賊といわれても仕方がいないでしょう。
しかし、福田首相は人間の皮を被った悪魔以外の何ものでもないですね。拉致被害者の件、靖国の件、そして今回の歴史教科書の件、自国の国民に対する愛情や先祖に対しての敬愛なんて全く無いわけですから、元々政治家にはなりたくなったのだったらとっとと一市民として生きてもらったほうが日本国民のためでしょう。
田中真紀子もそうですが、第二次角福戦争なんて言われてますが2人ともダメですね。

政治が介入して歴史的事実が曲げられるというのなら、中国、北朝鮮、韓国となんら変わらない訳で、このことが「表面上の捻じ曲げられた事実」をネタにして「日本軍の捏造された残虐性」を使って中国、北朝鮮、韓国が「歴史問題」に加入してこないかが心配です。

そして、日本は言論の自由があるのに「同調圧力」によって歴史が政治問題になるのならば中国、北朝鮮、韓国よりたちの悪い国になってしまいかねないでしょう。

タキトゥスの言葉

2007-07-10 23:25:01 | 歴史
結構、重い言葉です。

国家が腐敗すればするほど、国家は法を多く破る。--『年代記』第3巻、27章。
Corruptissima re publica plurimae leges.

別に日本限った事ではありませんし、お隣の国も…

特に中国なんて、共産党が腐っているから、腐敗が多いのではないでしょうか。

国家もまた生き物、腐った人間が平気で約束を破るのと同じことかも知れません。

古代の優れた政治家は、優れた軍人でもあり、優れた哲学者でもありました。

そういう意味では、軍事と政治を分けた戦後の考え方は問題あるのかもしれませんね。

東ローマ帝国で泣く。

2007-01-24 23:41:42 | 歴史
年末に録画した東ローマ帝国「繁栄と滅亡 皇帝たちの軌跡」という東ローマ帝国を特集した番組を見終わりました。

全五回で10時間程の放送でした。
マイナー歴史で世界史の教科書には2ページしかかかれない歴史。
しかし、国家としては東西ローマ帝国分裂395年から数えても1050年以上存続した国家なんです。
しかし、覚える人物はユスティニアヌス大帝のみ

感想は、良くできた番組です、お奨めです。ここまで、東ローマ帝国に迫った番組はないと思います。

DVDBOX31,500円は買いです。買います。 しかし、63,000円版もあるなあ、これは迷う。
しかし、夏木マリさんの朗読は怖いです。

この歴史で毎度涙するシーンがあります。
それは「1453年のコンスタンティノープルの陥落」にいたる60日間のローマ帝国最後の戦い。
本、そして今回の放送。様々なメディアでこの事件が紹介されるとその度、涙します。陥落することがわかっても、ローマ帝国が滅びるのは信じたくないのです。その気持ちの繰り返しです。
今回の番組でも、ここら辺の作りは素晴らしく良くできていたと思います。それだけに辛い歴史ですが・・・

最後の皇帝コンスタンティヌス11世の人格、生き様に涙します。本当に最後の皇帝に相応しい人物です。

コンスタンティノープルの陥落とは背教者ユリアヌスは映画化して観てみたい。
しかし、どちらもハリウッドで映画化するはかなり難しいかなと思います。この2つに共通する要素、宗教、具体的にはキリスト教のことですが、どのような切り口で行うかが非常にデリケートでナイーブな問題であるからです。
つまり、キリスト教徒の視点でかかれると不公正な見方になる可能性がある為、キリスト教国家であるアメリカではそのことが懸念されるからです。

それでも、観てみたい!!

2007年もよろしく御願い致します。

2007-01-01 02:26:25 | 歴史
新年明けましておめでとうございます。

本年もダラダラblogを書いていきます。

さて、本年第1弾のエントリーですが

紀元後から100年ずつ7の年を見てみましょう。(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)を参照

起源7年
パンノニア属州とダルマチア属州でイリュリア人がローマ帝国に対する反乱を起こす(9年にティベリウスとゲルマニクスによって平定される)。
ローマ皇帝アウグストゥス、ヘロデ大王の子でユダヤ属州総督のアルケラオスを解任。
プブリウス・クインクティリウス・ウァルス、ゲルマニア属州総督に指名される。

107年
倭国王帥升ら、後漢の安帝に生口(奴隷)160人を献上する。(後漢・永初1、丁未;『後漢書』安帝紀、同東夷伝)

407年
後燕、クーデターにより帝位を簒奪され滅亡。北燕が建国
赫連勃勃、後秦から独立して夏を建国

507年
大伴金村らに擁立され第26代天皇・継体天皇が即位

607年
第2回遣隋使小野妹子が派遣される。「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙なきや。」国ごとに屯倉(みやけ)を置く。

707年
文武天皇が没し、第43代元明天皇即位する

807年
生野銀山が開坑された。

907年
節度使の朱全忠が唐を滅ぼし後梁を建国(五代十国)の始まり

1007年
敦道親王死去(冷泉天皇の皇子。和泉式部の想い人。)

1107年
英国での叙任権闘争の終わりを意味するウェストミンスター合意なる。

1407年
フランスにてオルレアン公ルイがブルゴーニュ公ジャン・サン・プールの手によって暗殺される。
鄭和の船団が第1次航海から帰還。鄭和の船団が第2次航海に出発。

1507年
細川政元暗殺

1607年
徳川家康が銃の製造および使用を禁止した。
イギリスが北アメリカ大陸にバージニア植民地を設立。
江戸時代になって最初の朝鮮通信使が日本に来る。

1707年
富士山宝永大噴火(降灰砂は東方90Kmの川崎で5cm・大被害)
イングランド王国とスコットランド王国が合併し、グレートブリテン王国となる

1807年
イェーナの戦い
ゲオルク・ヘーゲル、『精神現象学』出版
ティルジット条約
ワルシャワ公国の設置(- 1815年)
3月、ベートーヴェンの交響曲第4番がロブコヴィツ邸にて初演
8月17日、 ロバート・フルトンが、外輪式蒸気船「クラーモント号」の試運転に成功
11月、ポルトガルのブラガンサ王朝、ブラジルへと逃亡
12月、エトルリア王国廃止、フランス帝国に併合される
西蝦夷地を幕府直轄化、全蝦夷地が直轄化される。箱館奉行を廃止し松前奉行を置く

1907年
1月6日 - マリア・モンテッソーリ、ローマで労働者階級の子供のために彼女の最初の学校およびデイケアセンターを開く。
1月21日 - 東京株式相場が暴落し、戦後恐慌が始まる。
2月4日 - 足尾銅山で労働争議が起こる。
2月22日 - 奥村組創業。
2月23日 - 麒麟麦酒設立。
3月15日~3月16日 - フィンランドで最初の議会選挙、女性候補が出馬した世界で最初の選挙であるとともに、普通選挙権が適用されたヨーロッパで最初の選挙
3月21日 - 小学校令が改正され、義務教育が6年間となる。
6月5日 - BAPSスワミナラヤン教、確立
6月10日 - 日仏協約が調印される。清の独立・領土保全が約束され、両国の勢力範囲が確認される。
6月15日 - 第2回ハーグ国際平和会議が開催される。大韓帝国がハーグに密使を送る(ハーグ密使事件)。
7月24日 - 第3次日韓協約が締結される。韓国政府に日本人が採用されることなどが取り決めされる。
8月1日 - 韓国軍隊が解散され、反日運動が激化する。
8月1日 ~8月9日 - ベーデン・パウエル、英国のブラウンシー島の上に最初のスカウト・キャンプをリード
8月31日 - 英露協商が結ばれ、イランとアフガニスタンにおける両国の勢力圏が確認される。露仏同盟・英仏協商とあわせて三国協商が成立。
9月11日 - 電機学校(東京電機大学の前身)創立。
9月26日 - ニュージーランドがイギリス自治領となる
10月24日 - ジョン・ピアポント・モーガン、エドワード・ヘンリー・ハリマン、ジェームズ・スティルマン、ヘンリー・クレー・フリックおよび他のウォールストリートの財政家が、2500万ドルのプールを、1907年の銀行パニックを主導していたニューヨーク証券取引所の急落するシェアに投資するべく作成し、アメリカの金融危機が防がれた。
11月16日 - アメリカ合衆国が日本人労働者移民の渡航制限を要請する。
12月19日 - ペンシルバニア州ジェーコブス・クリークの炭鉱中の爆発、死者239人

3月 - ベトナムでファン・チュー・チンらがハノイに東京義塾を設立する。
4月-栃木県に阿蘇郡立佐野高等女学校(現・栃木県立佐野女子高等学校)が開校。
10月 - 小山内薫が「新思潮」を創刊。
10月 - 京城高等商業学校が東洋協会専門学校(現拓殖大学)京城分校として創立。
東北帝国大学創立。
ルイ・ボーフロンがエスペラントの改造案として人工言語のイド語を発表。
ダムダム弾の使用が禁止される。
目黒競馬場開設。
オーストリア、スウェーデンで男子普通選挙制度が採用される。
ノルウェーで女性参政権が認められる。
アンリ・ベルクソン「創造的進化」。
ウィリアム・ジェームズ「プラグマティズム」。
モーリス・ルブラン、アルセーヌ・ルパンシリーズ第一作『怪盗紳士アルセーヌ・ルパン』。
田山花袋『蒲団』。
夏目漱石『虞美人草』 (「朝日新聞」)。
フランスのポール・コルニュ(Paul Cornu)が約2mの高さで20秒間のホバリングに成功した。
ラザフォードら、α粒子がヘリウム原子核であることを発見。
ヘレロ戦争終了

こう見るとあんまりいいニュースがないんですよね。2007年はどうなるのでしょうか?

チェーザレ

2006-10-30 23:04:21 | 歴史
ということで、最近買い出したマンガ

チェーザレ破壊の創造者(惣領 冬実)

少女漫画出身である作者が、男の週刊誌モーニングで不定期連載であるが連載中の漫画。現在1.2巻が発売中。

チェーザレ破壊の創造者 1 (1)

チェーザレ破壊の創造者 2 (2)

チェーザレ・ボルジアという中世イタリアの歴史上の人物の伝記になります。
マキャベリの君主論で理想の君主像と描かれた人物です。

詳細はネットでいろいろと載ってますのでそちらにお任せするとして、漫画の評価。
この漫画の凄いところは、ディティールが凄く細かく書かれているところで、まるで美しい絵画を見ているようです。
原作者の惣領冬実氏の力の入れようが見えてきます。今後、どのように惣領版チェーザレを展開していくのかが楽しみです。

しかし、チェーザレの伝記は人物の伝記としてはわりと女性の手による作品が多いです。
塩野七生『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』(小説)
フランソワーズ・サガン『ボルジア家の黄金の血』(小説)
ここら辺は有名ですね。

女性をひきつける魅力があるんでしょうね。

小泉語録とカエサル語録

2006-09-21 23:55:48 | 歴史
まだまだ、ローマ帝国と現代ネタリンクは続きます。これは嬉しいことです。

特に、アクセスが先週に比べて急増しました。
有名良質Blogにトラックバックやらコメントを書かせていただいたことが大きな要因だと思いますが、いずれにしてもたまらなく嬉しいことです。この場でお礼をもしあげます。で、今後ともよろしく引き合いの程お願い致します。

今回のエントリーのイスンピレーションはここからです。
雪斎の随想録(小泉ーカエサル 安倍ーオクタヴィアヌス)

ここでは雪斎殿と違った観点から少し見てみたいと思います。
それは、言葉です。
まず、政治家が言葉というものを生業としているのならば、そこにある発言というのが政治家の資質というものを捉えることができると思います。
で 今回のエントリータイトルで2人の人物の言葉には共通点があると思います。
では、その共通点とは、まずどちらも恐らく、一冊の語録ができるくらいの沢山の発言を残しています。(カエサルは文章が多いですが・・・)ただ、発言数だけなら他にも沢山の人物を挙げることができますが、過去の大多数の人物と比べて一線を画すとすれば、シンプル且つ非抽象的に努めたということがいえます。実はこのシンプル且つ非抽象的というのが、大きな意味をもちます。

では、それの実例を2人の言葉の数珠繋ぎ読んでいきましょう。

まず、カエサルが発言や自ら書く文章に対して望んだスタンス。
「文章は、用いる言葉の選択で決まる。日常使われない言葉や仲間うちでしか通用しない表現は船が暗礁を避けるのと同じで避けなければならない。」

で、上記を連想させる言葉はこの2つが代表事例でしょう。
小泉首相
「痛みに耐えてよくがんばった!感動したっ!おめでとう!」
カエサル、ポントスの王、ファルナケスを破った時
「Veni, Vidi, Vici (来た、見た、勝った)」

次は小泉首相にとってのルビコンといえる、郵政解散の時
「郵政民営化が、本当に必要ないのか。賛成か反対かはっきりと国民に問いたい」
カエサルはルビコン越えの時
「ここを越えれば、人間世界の悲惨。越えなければ、わが破滅。進もう、神々の待つところへ、我々を侮辱した敵の待つところへ、賽は投げられた」

事象としての歴史上のターニングポイントという点でも同じですが、敵と味方の二元論をはっきりさせたという点でも良く似ていると思います。

で、もう1つカエサルの言葉から。
「人間なら誰にでも、現実の全てが見えるわけでもない。多くの人は、見たいと欲する現実しか見ない。」
カエサルは急進的に、見たくない現実を見せようとして、暗殺されました。

小泉首相は急進的な改革者を演じ、見たくない現実を見せようとする行為を演じ、その嗅覚で「ブルートゥスの剣」からは避けることができました。
そういう意味では、小泉首相の末期は「オクタヴィアヌス的の始まり」といえるのかもしれません。

マヌエル2世パレオロゴス

2006-09-20 23:51:01 | 歴史
ここ最近のエントリーで、有名人になりました。

個人的には、大好きな歴史であるローマ帝国の皇帝がこういう形で1人でも多くの方に注目してもらうのは嬉しいことです。

特に、ビザンティン帝国(東ローマ帝国)なんて、教科書では2ページ位しか書かれておらず、しかも出てくる人物がユスティニアヌス1世(大帝)とレオ3世の2人のみとはいと悲しいと感じております。

個人的は、色々な魅力的人物が多いのに何て思ってます。
ベリサリウス、ナルセスのユスティニアヌス1世配下の将軍。

中世ビザンティン帝国、最初の英雄ヘラクリウス帝
マケドニア朝の皇帝、バシレイオス2世
策略家、ミカエル8世
そして、最後皇帝にして世界帝国の幕引きを行ったコンスタンティヌス11世

ぱっと思い浮かぶだけで、これだけいます。

さて、今回の人物
マヌエル2世パレオロゴス
詳しい事績は
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』で調べてください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%8C%E3%82%A8%E3%83%AB2%E4%B8%96%E3%83%91%E3%83%AC%E3%82%AA%E3%83%AD%E3%82%B4%E3%82%B9

で、問題となったこの言葉
「ムハンマドが新たに何をもたらしたのかを教えてほしい。自らの説く信仰を剣で布教しろという命令など、邪悪で残酷なものしかない」
マヌエル2世が発言したのは、当時与えられた帝国の状況を考えると自然な発言では無かったのではないのかと思います。
当時、ビサンティン帝国はオスマン帝国の台頭による中での四面楚歌状態でした。
領土といえばコンスタンティノポリス周辺及びペロポネソス半島の一部、それを取り囲むようにオスマン帝国が支配していました。

その状況を踏まえて考えれば、やっぱり今回の法王の発言は不適切ではなかったのかなと思います。バチカンは滅亡の危機に晒されているのではないのですから。

それに、理解して欲しいです。
コンスタンティノポリスの陥落の時に、帝国市民は「枢機卿の四角帽を見るくらいなら、スルタンのターバンを見るほうがましだ」と思ったこと。
そして、よき紳士である最後の皇帝コンスタンティヌス11世を失ったことを
私の中で、陥落の前夜
「コンスタンティヌス11世は臣下の一人一人に自らの不徳を詫び、許しを乞うた。その場にいたもので涙を流さない者はいなかった。」
というシーンは、今でも涙無しには語れないシーンです。