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ギターと音楽に関する雑感

富田一彦

2012-05-02 | 受験・学校

富田先生こそは、受験英語に関してこれ以上ないくらいの衝撃波を私に浴びせた人でした。

 

初めて授業を受けた時は、ゾッとするほど驚いたし、疲れるけど異常な爽快感も覚えました。受講生の中には、授業が終わった後に「素晴らしい・・・」とつぶやいている人もいましたし、私も心の中はそうでした。でも最初は、「独力でこの解答プロセスを導き出せるだろうか?」という不安感もありましたけど、あの時は「信じる」ということしか選択肢はありませんでした。

今では先生の参考書も多く発行されているし、文型にトコトンこだわった参考書もあるから、もしかしたら今の受験生は私が思うほどの衝撃はないかもしれませんけど。

 

先生の著書 「試験勉強という名の知的冒険」

http://www.daiwashobo.co.jp/book/b99831.html

 

よく、受験勉強は何の役にも立たないという意見を耳にしますが、私自身は、富田先生の影響か、それなりに意味のあるものだと思っています。

では、私自身が、高校~予備校の全ての期間に、全力を尽くして「知的冒険」をしていたか? と問われれば、答えは自ずと「No」であり、決して真面目な受験生じゃなかったですから、先生の受験に対する考え方はとっくに承知しているつもりでも、この本に書かれていることは目と耳に痛いことばかりです。

 

何のために大学に行くのかということは、それぞれに思うことがあるし千差万別でしょう。

私の場合、身も蓋もない言い方をすると、"大学生"になりたかったんです。

80年代、「女子大生ブーム」の影響か、大学生であることがファッショナブルなイメージを加えたステータスになって、特に都内の私学にはそのイメージが強かったので、当時小学生~中学生の私は、「大学生になりたい」という純粋な(?)願望を抱いてしまったのです。

加えて、これまた身も蓋もないんだけど、社会人となる前に知識をつけ、それによって悩むモラトリアムの世界観にあこがれていたのも理由の一つ。でも、あこがれだけで、実際に知識がついていないのが情けない話。「大学時代、もっと勉強しておけばよかった」と、どっかで聞いたようなフレーズが頭をかすめます。

受験時代も同じ。古典文法に嫌気がさし途中放棄。それでも常識と単語については終盤に総ざらいしたものの、モヤモヤ感の残る始末。他の科目も似たようなもの。

それでも、若い頃に通った大学(名)というのは、人生にずっとついて回るものだから、「行きたくない大学には絶対に行かない」という意識だけはあり、最後はもう意地だけでした。

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英語を勉強しながら、もしかしたら納得のできない時があるかもしれません。また、同じ試験問題を扱っても、講師によって解答が違う場合があるかもしれません。

私自身も、文法解説の方法が講師や参考書によって違いがある場合、夜も眠れず、どれが個人的に納得のいく手段なのかを考え続けた時があり、同じ問題が講師によって解答の違う場合があった時、どちらの説明に合点がいくか友達と延々議論した時もあります。

でも、今それを考えると、限られた時間の中で悩み続けるのは大きなロスのような気がします。思考はするべきだと思いますけど、こうした事象は僅かなこと。固執し過ぎたら本来吸収すべきことをおろそかにしてしまいかねませんから、どこかでスパッとキリをつけて他の問題に取り掛かり、前進するべきだと思います。そしたら、どこかで自分なりに納得のできる時が来るかもしれません。ある程度がむしゃらに突き進むくらいが受験生にはふさわしいと思います。これができなかったのが、私の大いなる反省点なんですが・・・。

 

今、富田先生の授業を受けている人、これから受けようと思っている人、沢山いらっしゃると思いますが、謙虚な気持ちで先生の考え方を受け入れて、そのうえで完全燃焼してください。決して選択は間違ってないです。

富田先生と西谷先生の単科講座を受講できたことは、大げさに聞こえるかもしれませんけど、私にとっては良い財産になっています。

 

富田先生は、受験生にとっては辛辣な言葉も使いますが、そこには愛があると思っています。線引きをここで書くのはひかえますが、「〇〇以下の大学は、僕はディズニーランドだと思っているので・・・」と、容赦ありません。でも、それでこそ富田先生です。

 

ところで、先生のツイッターでこんなのがありました。

https://twitter.com/#!/TOMITA_yozemi/statuses/196457892512141313

 

おおー!

先生は、こと試験問題に関して「行間を読む」ことを否定していますが、これは、その後の先生のツイート(会話)を見て、幾重にも行間を読みたい気分です。

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西谷昇二

2012-03-29 | 受験・学校

僕が予備校時代にお世話になった先生は今でも気なるもので。といっても、基本的に富田一彦先生と西谷昇二先生の2人ですが。

 

英語に関しては、僕は富田先生からの影響が大きいのですが、人間として気になる存在なのは西谷先生なんですよね。

 

先生が10代の頃、「西谷は神童だ」と言われてのぼせていた自信たっぷりの天才発言と、「20代は定職に就かずダラダラと酒を飲み続けた」という、男の弱さ的な発言の双方を交えた雑談や、テキストに散りばめられたエピソードを読むにつけ、この人はひねくれている部分も正直にさらす素直な人だと、私は好感を持っていました。シカオちゃんの歌詞に共感していることと少し共通項があるかもしれません。

 

そんな先生は、僕が大学に入った後に参考書を初めて出版し、その後数年かけて増えていきましたが、僕は、勉強するしないにかかわらず買ってしまい、新しい本が出ているかどうかチェックしに、時々書店の参考書コーナーに行ったりもしていました。

 

ところが、ある時に先生の参考書が書店からパッタリ消えてしまったのです。

 

私の年下のいとこが受講した時のテキストを見せてもらったら、過去のテキストのレイアウトとは違う部分もあったので、内容を改善したりインターフェイスで変化をつけようとしているのかな? と思い、しばらく経てば新しい本が出ると思っていました。

 

でも、新しい本が出る気配はなく、気になってネットで検索したら、リアルタイムで受講している生徒さんの書き込みで、奥さんや息子さんに関する記述がほとんど無いことに違和感をおぼえました。先生の幸せな家庭環境に言及しているのは、90年代に代ゼミに通っていた人たちの回想ばかりです。

 

「もしかして・・・離婚されたのでは?」と思ったのがその時。というのも、出版していた参考書には、表紙や裏表紙で家族に関係する写真やイラストが使われていたし、当然中身でもエピソードを綴っていますから、部分的修正では済まされないくらいその部分は大きく、離婚となれば、そのまま売り続けるわけにいかないことは明らかです。

 

その後、先生が早稲田で講演会(2005年のはず)をするということになり、受講した方の書き込みに、「離婚した」という記述を見つけ、やはり・・・と。

 

今では参考書ではない本を出版して、その中で離婚について触れていますし、授業でも公にしているらしいので、知っている人は知っていますが、90年代に代ゼミに通っていた元受講生はびっくりするでしょうね。

 

西谷先生の話で一番よく覚えているのがこれ。

 

息子さんが幼稚園で友達に殴られたと聞いて、先生は「なんで殴り返さないんだ?」と疑問に思ったらしいですが、よくよく聞いてみると、息子さんはどうも「殴り返す」という術を知らなかったらしいのです。知らなかったというより、その気もなかったというのが正しいのかもしれませんが。

この話を聞いた時、キリスト教での「右の頬を殴られたら 左の頬も差し出しなさい」という言葉が浮かんできました。先生はICU卒ですから、何かしら影響でもあったのだろうか、なんて。

 

こんな、育ちの良さがにじみ出た息子さん。その後のことは分かりませんが、離婚にあたっては先生と元奥さんとの双方でいろんなことがあったのでしょう。ここはあまり詮索したくありません。

 

複雑な出自、後に明かされた2度の結婚と離婚、その人間模様は実に奇なり。西谷先生に憧れていたことは、今でも自分自身で肯定していますし、色々と言われようとカッコいい生き方をされていると思います。

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