DURAN DURANにまつわる誤解
特に硬派なロック好きでは、軟派でチャラい彼らに良いイメージを持つ人が少ないと思いますが、多分に誤解が含まれていると思うので、私見を書いてみたいと思います。
誤解を与える原因が彼ら側にあったということもあるんですが、その辺も含めて。
【アイドル?】
別に何の疑いもなく、彼らは自分たちで結成した「バンド」です。
企画で集められたアイドルグループではありません。
企画で集められたアイドルによるバンドでもありません。
ただ、MTVで「Hungry Like The Wolf」のビデオが大量OAされたことがキッカケでファンになった人も多いでしょうし、恐ろしいことに、バンドのくせして「演奏シーンが皆無」というビデオばかりという事実を知った時には閉口しました。
これでは、「アイドル」という悪い意味でのレッテルを貼られてもおかしくないと。
僕は、バンドである彼らの「曲」を好きになったのであって、ハッキリ言わせてもらうと、バンド演奏シーンのない彼らのビデオクリップをあまり見ようと思いません。サックスの吹きマネやアコギをつま弾くシーンもあることはありますが、正直悲しくなります。
"Rio" "Hungry Like the Wolf" "Save a Prayer"
"New Moon on Monday" "Union of the Snake"
"Is There Something I Should Know?"
"The Wild Boys" "A View to a Kill"
どれもデュランデュラン全盛期の曲。これらにはバンドとしての演奏シーンが皆無。ファーストアルバムの曲は演奏シーンがちゃんとあるのにね~。
スリランカに撮影に行ったところからおかしな方向に向かったようです。
MTVの申し子とも言われた彼ら。ビデオの影響は大きいと思いますが、それに功罪あったことは間違いないと思います。
【甘ったるい厚化粧シンセ?】
シンセサイザーの利用幅が広がった80年代初頭、デュランはそのシンセサイザー多様バンド(アイドル?)として認知している人も多いと思います。
それは間違っているわけではないのですが、よく聞くと、彼らの曲のメインとなるリフは、そのほとんどがアンディのエレキギターで奏でられているということが分かります。
彼らの音楽性の一番の特徴は、全ての楽器がほぼ均等に曲内で主張し、均整をとっていることだと思っています。
「Rio」に収録されているバージョンの「My Own Way」はその典型。
(できればCDで聞いてもらいたいですが)決してシンセだけ目立っているわけではないのが良く分かると思います。
アンディは、ニックとの関係について、「まるでアンガス・ヤングとブライアン・イーノが同じバンドにいるようなものさ」と語ってますし、そもそも「DURAN DURAN」というバンドは、「ソングライティングチーム」であるという原則があって、曲が書けない、アレンジの提案が出来ない人はメンバーではないんです。脱退騒動などを考えると、曲の作成は結構な緊張の中で行われていたかもしれません。
加えて、彼らはバンド「Japan」の影響が色濃いですけど、その根本には間違いなく Funk があります。
アルバム「Rio」は、シングルカットされていない曲もカッコいいです。初めて聞いた時にはあまりピンとこなかったけど、何度も聞くうちにそのアレンジ力が凄いと思うようになりました。
決してキャッチーなポップスではなく、どちらかというと少し耽美的な要素が強いかもしれませんけど、他に例えようがない雰囲気を持っています。
こんなことを書いても無意味かもしれませんけどね。
僕はSTONESも好きだし、ZEPも好きだけど、DURANも好きなんです。
ただ、それだけ…。