時代を経て聖人君主のように感じるお方。ブッダ。しかし、手塚治虫さんの漫画ブッダを読むと、ブッダも思い悩み苦しみ、悟りを開いた後も何度も悟りはあるのかと、色んな出来事を目の当たりにしながら、開眼に開眼を積みました。
手塚治虫さんの描くブッダはなんとも人間臭く描かれていて、本当の姿はこうあって欲しい、というか、これに近いのかもって漫画を読み思いました。
イエス様のお話もあまりの聖人なので、もう生きていた時さえ人間で無いと思うのですが、苦しみ悲しみを感じながらも、神様の愛や光を自分の内に発見して当時を生きた御方だと、人間として生きたときはそれなりに人間のような感情を持った方だと思いたいです。
情報の共有が難しかった昔。様々な経典や聖なる書は、ブッダやイエス様を聖人として描いていてもう凄く遠い存在です。
その言葉も色んな解釈ができるし、聖人と呼ばれる御方が残した言葉には含蓄があります。
そういう方の話を読んでいると、かなり遠い存在で、まるで大好きな人のコンサートを心まちにして喜んでいくけれど、豆粒よりも小さくしかみえなくて、しかも、実在した人には思えないわっという感じで、やはり雲の上の存在です。
しかし、コンサートには良い点もあり、その大好きな人が確かに存在しているから、場の空気感は共有できます。だから、漫画ではありましたが、手塚治虫さんのブッダを読んでいると私は幸せを感じました。
ブッダの話しを読んでもイエス様の話しを読んでも、やはり、聖人過ぎてはるか遠くの存在ですが、沢山の気づきと癒しがおこります。
仏陀の説法には動物も座って聞いたようですね。
仏典は、弟子により加筆されたりもあるようですね。本人のお話そのものは、それはもう突き抜けてすごいんだと思います。
仏陀やイエス様の教えの中にあるずっと語り継がれる良い教えを大切に自分の中に入れて生きたいです。
自分の命を自ら火に飛び込んで老人に捧げたウサギ
時代は変わっても普遍に変わらないものがあります。それが、悠久の真理であり、神理だと思います。そういうものを学ぶ姿勢を死ぬまで持ち続けたいです。
【画像は手塚治虫さんブッダより】