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大善人へ身魂磨き

気比 と神話の暗示

昨日からの続きです。マニアな話が続きます。話の飛躍も空想も沢山あると思います。


「ケヒ(気比/笥飯)」の由来としては、
『古事記』では「御食津(みけつ)」から「気比」に転訛したという説があるようです。


「箱中の飯」を意味することから、「ケヒ」とは「食(け)」の「霊(ひ)」、食物神としての性格を表す名称とする説があります。


ケヒからはウケヒ、つまり、古代日本で行われた占いを思います宇気比誓約などと書くようですね。亀の甲羅の占いやら、鹿の骨を使った占いなどありました。鹿の骨を使った占いをしたのは海人族の阿曇族がいました。九州からは、もとは海で今は山深い安心院(宇佐神宮の奧宮のある場所)に移動し、さらに、北陸や長野に移動していると思います。


志賀海神社の神事(鹿の骨の占い)

亀卜と亀甲紋 (亀の甲羅の占い)


また、敦賀(元は角鹿)あたりの気比辺りは古代において朝廷に水産物を中心とした御食料(穀類以外の副食物)を貢いだ「御食国(みけつくに)」と呼ばれていたといわれています。


「御食国(みけつくに)」と呼ばれるということは、伊勢でいうと、天照大神を祀る内宮への食物を作るとされた外宮の豊受大御神のような存在かなと思いました。


ところで、月読尊と、素戔嗚尊について神話で同じような話があります。


それは、月読尊が天照大神の怒りをかう場面です。


まずは月読尊から


日本書紀より

天照大神から保食神(うけもち)と対面するよう命令を受けた月夜見尊が降って保食神のもとに赴きます。そこで保食神は饗応として口から飯を出したので、月夜見尊は「けがらわしい」と怒り、保食神を剣で刺し殺してしまいます。

保食神の死体からは牛馬や蚕、稲などが生れ、これが穀物の起源となっりました。

天照大神は月夜見尊の凶行を知って「汝悪しき神なり」と怒り、それ以来、日と月とは一日一夜隔て離れて住むようになりました。これは「日月分離」の神話であり、、、続く

次は素戔嗚尊の話

古事記より

高天原を追放された須佐之男命は、空腹を覚えて大気都比売神に食物を求め、大気都比売神はおもむろに様々な食物を須佐之男命に与えました。それを不審に思った須佐之男命が食事の用意をする大気都比売神の様子を覗いてみると、大気都比売神は鼻や口、尻から食材を取り出し、それを調理していました。

須佐之男命は、そんな汚い物を食べさせていたのかと怒り、大気都比売神を殺してしまいました。

すると、大気都比売神の頭から蚕が生まれ、目から稲が生まれ、耳から粟が生まれ、鼻から小豆が生まれ、陰部から麦が生まれ、尻から大豆が生まれました。これを神産巣日御祖神が回収しました。


大気都比売神は大月ヒメといえますから、月の神様ですね。神産巣日神様の子はスクナビコ神です。


月読尊の狼藉のせいで、日月分離の話として、太陽と月が仲違いした話があり、日本書紀では食べ物を与える神を殺した素戔嗚尊について描かれています。

食を司る神様で真っ先に思いつくのは豊受の神様(豊宇氣の神様)。国常立神です。豊かな氣を受ける神様、アメノミナカヌシのような、一であり無限でもある、宇宙にある豊かな氣のような神様で、国祖であり、それが無ければ誰しも存在すら出来ない神様だと思っています。


神話で語られるような日月の分離ですが、分離からは何も生み出さないですから、日月は分離せずに一つになるといいですね。月読尊も悪く書かれ、素戔嗚尊も悪く書かれていますが、悪く書く方にも分離意識を強く感じます。そういう象徴との争いがあったのですね。


ところで、食は噛むことから始まります。カムは醸したり、発酵食は身体にもいい。素材は取り入れるも違う栄養価の高いものにかえる。神は、カム。かんで身体にいれて吸収し、要らないものは排泄する。渡来人の来訪により、縄文からの信仰や一族は吸収されたり、排斥されたり、統合する過程で発酵したり?気比の神は御食津(みけつ)、海にまつわる食の神様ですね。カミカミ、カムカム、カモカモ。笑


自然と一体化していた太古から、人が生み出した物や想念により、だんだんと複雑に因果が絡み合う時代へ、統合から分離へ、一から多数へ、そして、日本は和しながら、変わっていったのかもしれませんね。





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