宗像大社参拝記の続きです。
辺津宮の中にあります中津宮と沖津宮をまつる二の宮、三の宮を参拝しました。
今回行けなかった大島にあります中津宮をまつる二の宮、そして、宗像大社の男性の神官になるか、または年間数名だけいくことのできる男性に選ばれるかの私にとっては、行きづらさ無限%の夢の島、沖ノ島にあります沖津宮をまつる、三の宮です。
なんだか、伊勢にそっくりですねと言うと
ガイドさんはそっくりというか、そのままですから、、と。
実は、こちらの2つのお宮は、伊勢のイザナギ様とイザナミ様をお祀りしていたものを、そのまま伊勢の式年遷宮で建て替えの際にこちらにいただき建てたお宮だと言います。
ということは、月読宮ですか?
ときくと、そうです。。。
詳しいですね。と言われました。
イザナギ様、イザナミ様は、ツキヨミノミコトと祀られていて、伊勢で大好きなお宮のひとつでしたからピンときました。
社の横のハの字型の出っ張りは、稲穂をそぐクシを象ったもののようです。
社のすごく細部にも、天照大神の恵み、稲穂の実る国、日本を象っていました。
そして、社殿のリサイクル♻️に感動しました。
洗心の文字。こちらは、故、出光佐三さんの祈りの清らかな心。
海賊と呼ばれた男の熱くて厚いハートを炎天下の暑い宗像大社に感じました。(8月初旬参拝)
ところで、皇族の三笠宮殿下は沖津宮へ参拝されたようです。
沖津宮は、神職以外ほとんど立ち入ることを許されず、神職も裸になり禊ぎをするわけですが、この時、宗像大社の宮司さんは殿下に裸になって禊ぎをして下さいなんて畏れ多くて言えないと悩んだようでした。
檜の囲いを作って差し上げるべきか、、と。
すると、殿下の方から、皆さんと一緒の姿でお願いしますとお話があったようで、その後、宮司さんと同様に禊ぎをされて沖津宮を参拝されたそうです。
国民と共にある皇室、太古からの祈りをこれからも継続してほしいですね。
次は神宝館へ向かいます。
神宝館では、沖津宮にある宝を沢山見る事ができました。
私たちは夕方の便で壱岐島にいく予定でしたので、宗像大社を後にする予定でした。
ガイドさんからは、もっと伝えたい気持ちが溢れるようでした。ギリギリまでの時間めいいっぱい説明してくださいました。有り難かったです。
神宝館には、沖津宮のあります沖ノ島などからでてきた約8万点もの宝が展示されていました。
撮影できませんのでネットなどからあるものを画像はいただきました。
私は以前からひとつ疑問がありました。
石ひとつ持ちだしてはならない、島であったことは禁忌事項として話してはならない、、
けれど、沢山の宝をこちらに展示するのは大丈夫なのでしょうか?と。
ガイドさんは、笑って教えてくださいました。
ガイドさんご自身、神職の方に同じ質問をされたみたいです。
回答は、
こちらは宗像大社の辺津宮境内にある神宝館ですし、沖津宮のあります沖ノ島も宗像大社の境内であり、どちらも境内であることには変わりないから、ただ少しだけ位置を変えて皆さんに知っていただくためにお借りしているだけです、と。
回答がキチンと用意されているんですね。😄
沖ノ島には様々なお宝が、発掘ではなく、無造作に置かれるような状態でみつかるようです。
私がつけたレプリカの指輪の本物がありました。
本物はケースの中で煌びやかに厳重に守られていました。
色んな祭祀の場所があるようです。
祭祀をした後はその場は聖地となり、禁足になり、そして、祭祀場がどんどんと磐座上、磐座の下、広場へと変わったのかもしれないといいます。
沖ノ島をみてみると周囲に何も無いのです。航海中、波に翻弄された方が島を見つけると神だ!と思いますよね。海の中の何も無い所に一点を見つけて救われる感じ。
命が救われた方々が島自体を神だと崇めるのは自然な発露だったのかもですね。
では何故、こんなに沢山の金銀財宝が?と疑問に思います。
ガイドさんは、奈良の正倉院にあるようなお宝もあるといいます。
それは、海の危険な航海の際、大和朝廷に協力した宗像一族に、大和に朝貢された宝の一部を渡していたからだろうとのことでした。
古書に載ってあります貴重な宝物は、小さい形で作られていたようです。小さいつぼ、小さい機織り機なんかが展示されていました。
訪れる人のロマンを掻き立てるものでした。
ガイドさんは、行く前も帰宅後も沢山の情報と資料をいただきました😊
私は、宗像大社資料館で2冊購入しました。それらを趣味で帰ってから読みました。
故安倍元首相の祖は宗像の大島に縁があるようです。
ご冥福を心よりお祈り申し上げます。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます