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大善人へ身魂磨き

土佐国造り 2 大和との地名縁起

昨日のつづきです。


役小角の時代に起きた、大海人皇子(後の天武天皇)と大友皇子の戦いである壬申の乱中の、神様からの神託の話の続きです。


大和川最大の支流である曽我川のそばに御坐します、

奈良県の高市御県坐鴨事代主神社のご祭神は「事代主神」です。

古墳時代以降、「事代主」は雲梯(うなて)の地で大和朝廷を守護してきた出雲の神様と書かれていました。


役小角の生きた時代、壬申の乱の最中に神懸かりが起こった高市社は、今は河俣神社というようですが、雲梯(うなて)神社ともいわれていたようですね。


ちなみに、河俣ヒメという姫様の父が事代主。別名糸織ヒメ、五十鈴依ヒメと同一かとも言われており、第2代綏靖天皇の皇后様です。

つまり、高市社から河俣神社に名前は変わったものの、河俣神社は事代主に深い縁のある、愛娘のお名前ですね。


また、雲梯の名前からは、雲間から光が射す梯子を想像したりします。事代主様は、恵比寿様。日の出の神様ですね。






また、運動場で子供達が手をぐっと伸ばし遊ぶ遊具を思います。しっかりと、ひとつずつ前に進む。小さい頃娘が手を豆だらけにして頑張っていた姿が懐かしい。




空に手を上げて雲を掴むような徒労を重ね国造りを一生懸命にした出雲側が、その国を泡のように失ったのかもしれません。

国造り後の国譲りは、そんな簡単なものでは無かったと実際は思っています。


現在の奈良県橿原市雲梯町付近は、太古に神聖な森が広がっていたようです。

神聖な鳥である「鷲」が棲んでいて、人々の尊崇の念を集めていたと言われています。万葉集にも、


思はぬを 思ふと言はば 真鳥(鷺)住む 雲梯の杜の 神し知らさむ


「あなたのことを思っていないといっても、鷺の住む雲梯の社だけは真実を知っていますよ。 」





雲梯の社、河俣神社、もとは高市の社があったところ。

和歌の「あなた」を「国造りした大地」と置換えて和歌をもう一度感じてみます。。。


神話で出雲の国譲りの際、弟の建御名方とは違い、八重事代主神は、素直に国譲りを承諾したと言われています。

そして、鳥や魚を獲るために美保の岬で船に乗っていた事代主神は


「この国は天照大御神の御子にお譲りしましょう」


と言って乗っていた船を踏んで傾け、天の逆手をパンっと打って青柴垣をつくり、その内に隠れたといわれます。


青柴垣とは、事代主にとったら雲梯の森の神奈備山も、その一つだったのかもですね。奈良県のサムハラ市には、忌部町や雲梯町などもあり、古代神話の神の縁を感じます。



さて、随分話しは高知から離れたようですが、奈良県のサムハラ市にあります地名と、

高知の幡多郡(波多から改名)にあります地名にはその他にも共通点があります。


また、高知だけでなく、忌部という阿波を連想させる地名が四国にはあり、古代出雲族や祭祀と密接な関係があったことが伺えます。


事代主は恵比寿様。



恵比寿様が笑って迎えてくれた - お山にお宮がたちました

恵比寿様が笑って迎えてくれた - お山にお宮がたちました

小径を歩いて道がなくなる最後のところまで行った小高く上がったところに山頂があった。そこまで広くはないが平になっていて御神木と思われるような大きな木が凛とたってい...

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恵比寿様は、高知県西部の山奥の津野山(母の故郷)、四万十川源流の地の、奥の奥にお祀りされている神様です。

日の出の神様であり、長い夜が明けた後に、暗闇から徐々に何事もなかったようにニッコリ光を出してくださる、そんな神様のようにも思っています。











つづく


【神社画像、鷺、うんてい遊具の画像はお借りしました。】

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