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大善人へ身魂磨き

仏陀の弟子 阿難尊者

阿難尊者について書いてみます。釈尊が入滅した後、経典の結集が行われましたが、釈尊の側にいた阿難尊者は、経典編集の主軸となった御方です。


経は、最初に大迦葉尊者が阿難尊者に尋ね、「阿難よ、あなたはどのように(仏陀の)教えを聞きましたか?」とはじまり、

阿難尊者は自信を持って答えます。「私はこのようにお聞きました。」

となり始まります。
この言葉が「如是我聞」と訳されることになります。

経典冒頭の決まり文句です。


しかし、この阿難尊者ですが、なかなか実践面では仏弟子の最高の悟りである阿羅漢果(あらかんか)を得られなかったようで、阿羅漢となるのは釈尊の寂滅後です。

釈尊が五十代半ば頃、若い阿難尊者は釈尊の侍者に抜擢されました。以来、八十歳で入滅されるまでの約二十五年間、阿難尊者は釈尊の行く先々には必ず随行し、高齢となった釈尊の身の回りの世話をして仕えていました。

そのため、自ずと釈尊の説法に接する機会にも恵まれ、抜群の記憶力もあったため数ある仏弟子の中でも最も多く法を聞いた「多聞第一(たもんだいいち)」と讃えられてました。

仏弟子の悟りには、煩悩をどの程度断じ終えたかによって

預流(よる)

一来(いちらい)

不還(ふげん)

阿羅漢(あらかん、煩悩をすべて断じ尽くしたのが阿羅漢で、もはや学ぶべきものがない「無学(むがく)」と呼ばれる聖者の最高位)

の四つの階梯の証果があるようです。阿難尊者は、早い段階で預流果には到達したものの、それ以上修行が進むことなく釈尊の入滅まで、釈尊から多くの説法に触れるも阿羅漢を得ることができませんでした。

その阿難が阿羅漢になるのは、釈尊の死がきっかけだったようです。

釈尊を失ったショックは、阿難を打ちのめしました。釈尊の遺品を携えて、無常についての法話をして信者を元気づけようとしていましたが、自らも涙を堪えることができなかったようです。

阿難は精舎の掃除をしたり、香を焚いたり、釈尊在世中と同じ日課の仕事をしながら「世尊、沐浴のお時間ですよ」「ご法話のお時間ですよ」などと呟いては涙を流したとされています。

そんな時です。

天の声が聞します。「阿難よ、あなたがそんなに嘆いていて、どうして皆の心を慰めることができようか」と。

阿難は結集の会場となるラージャガハ(王舎城)に入ったときある仏弟子たちが言います。「この辺に臭い息を吐きながらうろうろしてる仏弟子がいるぞ」と。

(※息は、口臭のことではない気がします。息は、阿羅漢に達するには欠かせない要素かなと。坐が進んだ方々は、息について必ずお話しされます。


阿難は自分が非難されていることが分かります。

阿難は釈尊の生前の言葉を思い出しながら、夜を徹して行に励みます。すると明け方になり、疲れて仮眠を取ろうと横になろうとしたとき、頭が枕に付くまでの間に、阿難は一日で阿羅漢の悟りを得たのです。


夜が明けて結集会場に現われた阿難を見た大迦葉は、一目で開悟したことを見抜きます。大迦葉には拈華微笑の逸話がありました。

釈尊がご覧になったらさぞ喜ばれただろうと感じ、釈尊になり代わって阿難に賛辞を与えます。こうして阿羅漢となった阿難は、経典編纂の主任として結集を完遂することになります。それが天命だったのかもしれません。


釈尊の教説がまとめられた「結集(けつじゅう)」で大きな役割を阿難は果たすことになる所以です。

釈尊は死の間際に、「諸行は消えゆくものです。怠らず励みなさい。」という言葉を残して入滅されていました。

阿難尊者は釈尊の死により、悲しみのどん底から目覚め、それまでの二十五年の歳月が長い長い前置きであったかのように、阿難尊者の修行は一晩で完成してしまったのです。


機が熟すきっかけが最も敬愛する釈尊の死だったといえます。

阿難尊者はその大切な支えを失って初めて、諸行無常の教説を頭ではなく身をもって意味を知ることになります。


執着は、時には本来の素にまるで粘着ボンドのような重い癒着感がこびりついており、一歩先に踏み出す事を阻止するのかもです。しかし、否応ない辛い現実が、実は、それらを剥ぎ取るきっかけかもしれません。

本当の素にもどり、本来回帰する道、天命を悟る道が開くのかもしれないなと感じた逸話でした。


コメント一覧

あき
私も、然りです。様々な教えを若い頃から追い求め、しかし、未だに起こる事象に不動心でいられない自分や、執着に度々気付かされる事があり、まだまだだといつも思います。
それらの過程を経ないとイケナイ自分なのかもとも思ったりします。

コメントありがとうございました。
tokinosekimori-kitaiwahara
身につまされます。
信仰は頭、知識が先にくると、おそくなる。
とてもよくわかります。
(私のことです。)
でも、遅くてもそれは、もしかすると意味があるのでしょうね。
(そうあってほしいです。)
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