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大善人へ身魂磨き

浩然之気

浩然之気(こうぜんのき)は孟子の御言葉です。天地に満ちている、大きくて強い正大の気。公明正大でまったく恥じることのない精神。そっから転じて、なにごとにも屈しない道徳的な勇気。

「浩然」は、水がゆったりと流れる様子などと説明されています。


この御言葉ですが、日本では吉田松蔭が述べていたようです。松下村塾を開き、幕末に多くの武士に多大な影響を与えた吉田松陰。最後は投獄され非業の死を遂げます。

揺るぎない信念を持つものの、時代の荒波に飲み込まれることは、歴史にはあるのだと思いました。




吉田松蔭


浩然の気について、吉田松蔭の御言葉は下記です。


【訳】

至大至剛、直を以て養ひて害することなければ、則ち天地の聞に塞がる(この上もなく大きく、この上もなく強く、しかも、正しいもの。立派に育てれば、天地の聞に充満する程になる。それが浩然の気であるという) 孟子本文


この一節を最も詳細に読まねばならない。


「至大」とは、浩然の気の形、ありさまである。孟子が「恩を推せば、以て四海を保んずるに足る(人としての情け心を押し広めてさえゆけば、広い天下でも治めていくに十分であることいっているのも、つまり浩然の気のことである。

この気が覆う広さは、天下がいかに広くても、人々の数がどれほど多くても、とうてい及ばないのである。何と大きいことではないか。

しかしながら、常日頃、我が身にこの気を養わないでいれば、たった一人の人間に対しても恥じ入ってたじろぎ、これを受け入れることができないのである。

ましてや十数人に対しては、いうまでもない。また、千万人に対しては、なおさらのことである。

確かに、この気を養って、大きくすれば、際限もなく大きくすることができる。ところが反対に、小さくさせてしまうと、際限もなく小さくなってしまう。


「浩然の気」というものは、この気を最も大きくしたものである。「至剛」とは、浩然の気の模様、ありさまである。「富貴も淫する能はず、貧賎も移す能はず、威武も屈する能はず(財貨が多く位が高くても、その心を堕落させることができず、逆に、貧乏で身分が低くても、その心を変えさせることができない。威光や武力をもってしてもおびえさせることができないこという、それが、この気のことである。


以上。


こういう気を自分の中に充満させる。そういう気をもった人が集まれば、それは弥勒の世かもですね。


気は、つくづく大切だと思います。

私の愛読書のひとつ、生きがいの創造の著者、飯田史彦先生は、吉田松蔭の生まれ変わりと言われています。

昔、私は一度だけ飯田史彦先生の講演に行った事があります。

先生が臨死体験中に神霊から尋ねられた御言葉、つまり、人が死んだ後に尋ねられる質問、


充分学んだか

充分愛したか

充分使命を果たしたか


シンプルだけど聞かれるんだと思いました。この深淵な問いに、真っ直ぐに、ハイと答えられる人になりたいと思いました。


飯田史彦先生の名著は、生きがいの創造シリーズですが、戦時中、大本教が弾圧を受けた際、被害を受けた出口日出麿さんも、同じく生きがいの創造など、生きがいシリーズを出していました。

弾圧により気の病となりました。病の前に書かれた著書は、それは慈愛に満ちていました。時代の波は、繰り返し、聖人を打ちのめすのだと思いました。

生きがいは創造していくもの、そして、創造主は、自然がそうであるように、浩然の気がみなぎると無限に♾️可能性は広がる気もしました。

良い気を持つ、これは、生きがいを創造する人ひとりひとりが、言葉、行動、思考を正しく選択することにより出来るのかもしれないなとも思っています。


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