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大善人へ身魂磨き

草部吉見神社と国龍神

次に九州を訪れる際は、必ず参拝したい神社があります。

草部吉見神社と志賀海神社です。どちらも、時間と日程の都合でいけなかった。

今思うと、もう少し九州の古代を感じてから再び来なさいと言われたように思います。(写真は阿蘇国造神社です。主祭神は、速瓶玉命です)


健磐龍命について調べているとの話がありました。①から④は、後から勝手に検証するために私がふりました。

さてさて、久しぶりの勝手に検証シリーズ😅です。



阿蘇と健龍命


①神武天皇は孫の健磐龍命を九州を治めるために遣わしました。健磐龍命は九州の中心は阿蘇だから阿蘇に本拠を置こうと考え、宮崎に上陸され阿蘇へ進んできました。

先ず高森町の草部に着き吉見神の娘の阿蘇都姫(アソツヒメ)と結婚しました。


②その頃阿蘇は湖だったので何とかして水を流しだして広い田畑を作ろうと考え、産山に進んできました。そこで子供が生まれたので産山と地名をつけました。更に外輪沿いに西に進み二重峠をけって見ましたが二重だから破れません。そこで立野まで進んで精一杯の力をこめてけりました。
 すると音を立てて破れ水はごうごうと流れ出しました。けれども最後になってなかなか水がひかないので上流を調べてみると巨大な鯰が水をさえぎっていました。
建磐龍命この鯰を退治したという。流れついた鯰の巨体を運びだすのに6荷あったと言うことから六箇という地名もついた。


③また鯰が水の出口を塞がぬように命が鯰の鼻にカズラを通して一の宮町尾籠の大岩につないだので、その岩を「鼻ぐり岩」と言うようになった。また鯰は大暴れして流れくだり、川が濁ったことから黒川というようになったそうです。

④又、湖のみずが流れ出した時に滝から数頭の鹿が流れたので「数鹿流れ滝」という名がついたと言われています。水が引いた後、長い年月の間に浸食されたり、人々にかいたくされたりして、肥沃な盆地になり、阿蘇町、一の宮町、高森町など栄えて今に至っているのです。



ここまで。


それでは、①から勝手にシンドバッド♪



ではなく、



勝手に


検証していきます。😅




①健磐龍命を九州を治めるために向かわした云々とあります。この建磐龍命と、神武天皇の兄で、九州を平定した三毛入野の話がそっくりなんです。三毛入野命は、神武東征で途中海に身を投げて亡くなったことに神話ではなっていますが、高千穂には東征から九州に戻り鬼八を退治した話があります。


熊本では健磐龍命。2人は同じような存在ではないかな?では、健+磐+龍、のお名前はどこからきたのか?ですが、もともと古代から祖母山で崇敬されていた健男霜凝日子神の「健」+磐井の君の「磐」+「龍」であらわされる誰かかなと。

全て空想ですが。

それらの九州の豪族を征服し恭順させ、彼らの力を吸収するように名前を全て取り入れたのではないかなと。

では、「龍」に象徴されるのは誰か?ということですが、これは草部吉見神社の日子八井命(国龍神)だと私はみています。

八があり、日子なのです。また、八か。。鬼八の八。

健磐龍命は、国龍神の娘、アソツ姫を見初めて妻にしたとあります。アソツは、アソラ、イソラ、昨日の話と繋がります。


幣立神社に行った時に、この国龍神(日子八井耳)が御祭神としてお祀りされており、気になっていました。





そして、その後に草部吉見神社の看板をみて、私は寄ってみたいと夫に言ったのですが時間の都合で行けませんでした。裏幣立とも言われているようです。


国龍神(日子八井耳)は系図では健磐龍の叔父にあたると阿蘇神社ではガイドさんに教えてもらいました。






しかし、素直にその系図を信じる前に、国造神社のトリップアドバイザーの書き込みを見てしまっていたので、、九州ってなんだか、フクザツ、、、って思っていました。↓






この方によりますと阿蘇神社の主祭神、健磐龍命とは阿蘇国造神社の神々は対立関係にありますね。


阿蘇国造神社あたりは確かに古墳が沢山ありました。かなりの古社でした。鯰が御眷属だったり、タケミナカタ神をも想起させます。


また、国龍神(日子八井耳)は日向から「水の玉」「火の玉」(🟰 「干珠・満珠」)という二つの石の珠を持ってきており、その玉で雨を自在に降らせ、この地に農耕を広めたと云われています。

まるで、ワニ族の豊姫(豊玉姫かな)の伝承の珠↓の話とも繋がります。


住吉の神は、大海の南面をしばらく御覧あそばして、沙迦羅龍王が潮干珠・潮満玉と言う二つの玉を金の鉢に入れて、いまこれを愛でて遊んでおられる。

あの玉をお借りして、力を尽くして異賊を降伏させるべく使いを送るべしと仰った。

とはいっても、あまりにも強大な龍神に相応しく御使いになれるような方は誰であろうと武内(恐らくは武内宿禰)が申されるには、

(神功)皇后の御妹であられる豊姫は、如来のような相貌で、世に比類なきお姿であるたとえ龍の身なれども、この女性に対しては争う心なども解されてしまうだろうから、豊姫を遣わしたまへ」と、住吉の神は計らい申し給う。


農耕には水は欠かせませんから、雨水を操る力をもったり、また、航海には欠かせない海の潮をよむ力は、海人族であり、月を読む一族、そして、記紀神話では隠された一族、でしょうか。

卑弥呼のようなイメージもあったり、渡来系の祭祀を司る一族かもしれませんが、古代九州にはそういう一族がいた気がします。



続きは②を検証します。


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