溜息に・・・・・。

2017-07-28 09:01:37 | エッセイ

思わぬ時に覗け見える、                                                                         そんな言い方ができてしまうのかな。                                                                                                                                                         あの舗装されていない石ころの近道の裏の通りを歩いている時、溜息というのか何というのか、                                       息をふっと吐くようなことになって。                                                                                            反動のようにそれにもうひとつ続いたのかな。                                                                         これ、溜息めいている、と感じた。                                                                                    あーあ、という感覚に伴う溜息めいたものに似ていたような。                                                                いや、あれは確かに溜息。吐息みたいな溜息。                                                                                                                             なにがこれを?                                                                                                                                                                          心までも自ら確かめてみたいような。                                                                                                                                                 そう言えば溜息、英語で何だったっけ? 度忘れの多いこの頃の自身の頼りなさの中、浮かんだ。                                          出てこない。この頃はいくら待っても掻き消えたまま出てこないのが常で。                                                                                                         ところでこの溜息、と思った。                                                                          人間のするもの。                                                                                生きているとは、その溜息ともつき合うことだったな。                                                        などということを初めてのことのように思い。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      

その時出てこなかった英語の溜息sighと言えば、                                                                                                      懐かしくも、そしてこれまで時に好んで歌ってきた、                                                                    Righteous Brothersの名曲"アンチェインド・メロディ"Unchained Melody。                                                                 歌詞の中に、

Lonely rivers sigh (さみしい川はため息をもらす)                                                                Wait for me,wait for me. (私を待っていて、待っていて)    

https://www.youtube.com/watch?v=zrK5u5W8afc 

 

     


「容色とみに衰え」、という記憶にのこる言葉に

2017-07-26 08:03:32 | エッセイ

16、7歳位の頃だったのかな。                                                                                      場所は慶應義塾中等部の図書室。もちろん私は生徒ではなく、経済的理由で昼の高校に進学できずに上京、勤めながら近くの都立高二部に通っていた高校生。仕事の合間に図書室などにはよく行っていたように思う。図書室にはSさんという、確か慶應と早稲田を共に卒業しながら学校の図書室に勤めているという、もっと専門性を生かせる場所があるのではないかと思わせた女史が一人でいて、私の選ぶ本の傾向に「あなた、ちょっとおかしいわよ」などと、ちょっと諌めるような口調で直截に言ってきたりしたことなどあった。確かにフランスの特異な作家たちの告白的な作品に興味を示したりしていたことがあって、普通のその年代の者が選ぶ傾向とは違っていたというようなことはあったかもしれない。彼女の言葉、言い方、その人のイメージ。懐かしくも忘れずに記憶にある。

書棚の間にある本からの記憶で唯一あるのが、「容色とみに衰え」、というたまたま手にとり拾い読みをした本に見えた言葉。                                      とりたててどうということのない言葉のようにも思えそうなのだが、なぜか。本の内容の記憶は全くないものの、時代小説。城主が登場し彼の若い時代の容貌、その人の魅力、行動ぶりが述べられる。物語の中でその彼も50代に至り、その年齢ゆえに、「容色とみに衰え」の記述が見えることになる。肉体の上に変化は否応なく訪れる。その時に失われ翳りに入る容色の光、影、そのイメージが移ろう時間の流れの上に見えるもの。その揺れの中に命の醸し出す官能的なさみしさのようなものが感じられてしまうような。「容貌とみに衰え」の表現ならば、記憶に残らず直ちに消えて行ったような気もする。「容色」という言葉が含み漂わせる気配のようなものに、なにか想像に触れてくるものがあったのか、とも思える。 

S女史が、「あなた、ちょっとおかしいわよ」と何かしら見抜こうとするかのように言ったように、この「容色」の記憶にもなにか違うところを向いていた自身が出ているのは、おそらく確か。      


亡くなられた砂川啓介さんの終わりの方の運命は辛い

2017-07-21 23:00:13 | 日記

これから今年も盛夏。                                                                                                                  あるひとはそこにはもういない。                                                                                                                  そよぐ夏草。

彼の訃報に接した時、介護をしていた人が先に亡くなってしまったという不幸、不運を感じたんだけれども、そのことについても実はあまり知らなかったことを、wikiなどで見て知った。2013年には彼自身、初期の胃癌の手術をしていたこととか、その後には別の癌を発症していたこととか。 

幸福な夫婦の生活。愛する伴侶のいる人生。                                                                                                           だが、誰しもが老いる。病にも見舞われる。終わりになって辛さがやってくるという残酷。                                                  その可能性から逃れられない人間の宿命が、辛い。                                                                              例え覚悟はするとしても。


つづきは想像の中で・・・・・・・

2017-07-20 21:34:57 | 日記

あれ、おんなじことをしている。
と、思ったんだね。
何ということなく名前に記憶があって買った埴谷雄高という人の1995年の一冊。
「虹と睡蓮」。
書いた人に悪いかな。
20円。
僅か20円。
古書店の店先にありました。

ベッドにゴロリとしながら本など読もうとすることが多い。
そしていつも、ちょっとストレスがくる。
なぜなら、そこ裏の部屋のガラス戸のそばながら、光が足りない。
樹木が立っていて光の邪魔をする。
ベッドの端に体を寄せるなどして、光を求め本の行を追う。
疲れる。
だから本を脇に投げて、仰向けになる。
何もしないで横になっている方が、心地良い。
何もしないのがいちばん。
というような時、読んでいて頭に残ったものをなぞったりする。
読んでいることの延長をそちらでする気分。
それに浸る。

あれ、おんなじことをしている。
2ページに満たないような短なエッセイなのだが
タイトル「トルキスタン旅行」。
行ったことがあるんだと先ずは思って読み始めたら、
「体の具合が悪く寝込んでいたので、さまざまな本を
雑然と読みふけったが、書物を支えている手が疲れることから、
できるだけ想像に頼る読書法をとってみた」
そういうことで、トルキスタンに行っているわけもなく、
旅は想像の中・・・・・・・。

ガラス戸のそばのベッドなのになぜ、
特に曇りの日などは大きなルーペなど使わないといけない?
持っている手だって疲れるし続かない。                                                                                 だから手放して、想像の中・・・・・・・・。