昨日、同志社大学で行われた韓国の詩人・尹東柱の「70周忌・詩碑建立20周年記念行事」に夫と共に参加しました。
美しい同志社チャペルです。咲き始めた梅も美しい
詩碑はチャペルとハリス理化学館の間にあります。
「尹東柱を偲ぶ会」、「同志社コリア同窓会」、広範な日本人や学校法人同志社の全面協力の元、20年前に建立されたとのことです。
詩碑の隣には故郷のムクゲの木が植栽されています。
尹東柱は
1917年、旧満州延辺龍井で生まれ、ピョンヤン・ソウル(現在の延世大学)・東京(立教大学)・京都で学び福岡で獄死しました。
1943年同志社大学在学中、朝鮮語で詩を書いたことが独立運動をしたと「治安維持法」に触れ逮捕投獄、祖国解放・終戦の半年前の1945年2月16日福岡刑務所で非業の死を遂げました。享年27歳。
生前一冊の詩集も出版できませんでしたが、彼の両親は彼の墓碑銘を「詩人・尹東柱の墓」としました。
序詞
尹東柱
死ぬ日まで空を仰ぎ
一点の恥辱(はじ)なきことを、
葉合いにそよぐ風にも
わたしは心痛んだ。
星をうたう心で
生きとし生けるものをいとしまねば
そしてわたしに与えられた道を
あゆみゆかねば
今宵も星が吹き晒されている。
(伊吹 郷 訳) 韓国に帰る直前、京都府宇治市に同志社の仲間と遠足に行き撮影した写真、この直後、投獄され、最後の写真となりました。
私はわずか3年程前に尹東柱の詩にふれ、その短い生涯の中で作られた奇跡のような詩の精神性、感動という言葉では表現できないものを感じたのでした。
現代韓国を代表する詩人・高銀氏の講演も心に響きました。
~尹東柱は死後に詩人になった。時間がたてばたつほど生き生きしてくる尹東柱の持つ詩の力
詩は詩人である 詩人は詩である 生きざまとは切り離せない~
尹東柱の遺稿・遺品の巡回展示会は同志社では17日まで開催しています。(休館日がある場合があります。問い合わせ要)
煉瓦造りの美しい建物が並ぶ同志社今出川校舎。
夫の在学中からある、刻まれた文字
「真理があなた達を自由にする」
新しくなった学生食堂などにつながる校舎
今出川通りを挟んで建つカフェやホール等が入る美しい建物は昔のラウンジの面影はありません。
けれど、尹東柱の意志を継ぐ人々の強い思いで建立された詩碑が大切に守られている同志社は、やはり新島イズムが今も生き、美しい建物だけではない心を感じました。
私のようなおばさんでも気軽にハングルを学ぶ時代、そんな日を尹東柱は想像することもできなかったでしょう。
だからこそ、大切にしたい思いがあります。
はるみ
美しい同志社チャペルです。咲き始めた梅も美しい
詩碑はチャペルとハリス理化学館の間にあります。
「尹東柱を偲ぶ会」、「同志社コリア同窓会」、広範な日本人や学校法人同志社の全面協力の元、20年前に建立されたとのことです。
詩碑の隣には故郷のムクゲの木が植栽されています。
尹東柱は
1917年、旧満州延辺龍井で生まれ、ピョンヤン・ソウル(現在の延世大学)・東京(立教大学)・京都で学び福岡で獄死しました。
1943年同志社大学在学中、朝鮮語で詩を書いたことが独立運動をしたと「治安維持法」に触れ逮捕投獄、祖国解放・終戦の半年前の1945年2月16日福岡刑務所で非業の死を遂げました。享年27歳。
生前一冊の詩集も出版できませんでしたが、彼の両親は彼の墓碑銘を「詩人・尹東柱の墓」としました。
序詞
尹東柱
死ぬ日まで空を仰ぎ
一点の恥辱(はじ)なきことを、
葉合いにそよぐ風にも
わたしは心痛んだ。
星をうたう心で
生きとし生けるものをいとしまねば
そしてわたしに与えられた道を
あゆみゆかねば
今宵も星が吹き晒されている。
(伊吹 郷 訳) 韓国に帰る直前、京都府宇治市に同志社の仲間と遠足に行き撮影した写真、この直後、投獄され、最後の写真となりました。
私はわずか3年程前に尹東柱の詩にふれ、その短い生涯の中で作られた奇跡のような詩の精神性、感動という言葉では表現できないものを感じたのでした。
現代韓国を代表する詩人・高銀氏の講演も心に響きました。
~尹東柱は死後に詩人になった。時間がたてばたつほど生き生きしてくる尹東柱の持つ詩の力
詩は詩人である 詩人は詩である 生きざまとは切り離せない~
尹東柱の遺稿・遺品の巡回展示会は同志社では17日まで開催しています。(休館日がある場合があります。問い合わせ要)
煉瓦造りの美しい建物が並ぶ同志社今出川校舎。
夫の在学中からある、刻まれた文字
「真理があなた達を自由にする」
新しくなった学生食堂などにつながる校舎
今出川通りを挟んで建つカフェやホール等が入る美しい建物は昔のラウンジの面影はありません。
けれど、尹東柱の意志を継ぐ人々の強い思いで建立された詩碑が大切に守られている同志社は、やはり新島イズムが今も生き、美しい建物だけではない心を感じました。
私のようなおばさんでも気軽にハングルを学ぶ時代、そんな日を尹東柱は想像することもできなかったでしょう。
だからこそ、大切にしたい思いがあります。
はるみ