☆昭和美術館 サイト
新春展示『茶の湯の釜』 ※2月11日(月・祝)まで
名古屋の情報は全くノーチェックだった。
気がついたのは1月8日に中之島香雪美術館の展覧会を観終わった直後。
ロビーのベンチに鞄を置いて、クリアファイル収納して、顔を上げた途端、
視界の隅に茶釜、茶釜、茶釜が入ってきて、「ん?」。
他の美術館のチラシが平積みにして置いてある棚に吸い寄せられるように、近づいた。
なんだ、このステキな茶釜は? 大西清右衛門美術館か? いや、あそこは3月にならないと展覧会はないハズだ。
で、よくよく見たら昭和美術館。いつから? 1月9日(水)から。あれ?明日からダ。
ん?あれ~?
頭の中がパチパチと反応し始めた。
あとは京都へ向かう新快速の中で整理した。
2日後の京都から関東へ戻る際に、途中下車して寄れるんじゃね?
と、乗り継ぎアプリを検索して、算段してみると、「あぁ、行ける」。
昭和美術館へは、何年か前に訪れたことあるしねぇ。(その時は関東から来て、金山で下りて行った)
チラシの裏を見ていて、「なんか、見覚えある~」。
って、前回も茶釜の展覧会に惹かれて行ったんだワと思い出してきた~。
リピートかぁ。。。でも、いいものは何度見てもよいし、
6年の歳月を経て、私の中でも成長があればまた新たな気づきもあるだろう~と思って、再訪。
東海道線で金山まで、中央線に乗り換え鶴舞で下りて地下鉄に乗り換える。
「いりなか」という駅からは徒歩10分。
勾配を上がっては下り、また上がっては下り~
そうだった。前回もこのアップダウンに不安になったっけ。
でも、アップダウンはあるけれど、道そのものは一本道で10分で到着。
変わらないたたずまい。
ちょうど10時に到着し、一番乗り。
まずは2番、11代・宮崎寒雉の小ぶりの鉄瓶。明治時代の作。
チラシ裏に写真が掲載されている10番、天明の霰地紋の手取釜。底が小さくなっている逆三角形に瓢っぽい大きな手付が優美。
11番、天明松竹梅地文真形釜は環付が遠山で、蓋に模様があるのが凝っている。
その隣の12番、古芦屋梅桜地文真形釜も蓋の摘みの下に桐の花の模様があった。
(銅の梅と桜の模様は見えづらく、ポスター&チラシ表の写真を後からしげしげと見た)
13番、古芦屋霰地文真形釜は蓋の摘みが芥子の花(蕾?)みたい。
14番、夕顔地文甑口釜はよこに丸くて、正面に夕顔が鋳込まれている。
15番、芦屋桐紋風炉釜。切合の風炉釜。デザイン性に富んでいる。火窓が桐の花っぽい。
16番、瀧釜。釜上部がカーブが急で、優美な富士山?みたい。縦に瀧の流れような鋳込み模様。環付が上部から裾野に至る二段階。
一転、底は手堅い。 だから、全体がペルシャ風の壺?みたいな? とにかく形が変わってる。
(名越弥七郎←室町時代 の作)
17番の竹虎地文釜も名越弥七郎の作。こちらも形がユニーク、尾垂に至る銅が直線みたいな?
鳥居引拙が所持していたそうな。
以上、11番から17番までは室町時代の茶釜。
18番、阿弥陀堂釜。京都名越弥右衛門四代 三典浄味作(江戸中期)
19番は辻与次郎の丸釜。羽落ちが印象的。宗旦の添え状。
20番も与次郎の姥口尾垂釜。肩が丸く角ばってる。(チラシ表に写真あり)
下部の後から作った底の部分が長い?
21番の富士形百陀釜と22番の黄銅鳳凰風炉はセット。釜は京西村家四代・道爺作。風炉は京西村家二代・道弥作。
淡々斎や鵬雲斎がこういう風炉釜を好んでいたけれど、江戸中期から存在していたデザインだったのねぇ。
23番、江戸時代末期の養心釜。形は阿弥陀堂釜っぽい? 正面に漢詩のような鋳込みがある。
24番、鷺に葦文伽藍釜。肩が張っていてカーブではない形。京釜らしい新しい釜。浄清の子、江戸大西家初代・定林作。(江戸初期)
口廻りの丸い盛り上がりがきれい。
27番、雲龍釜。ズンドウ形。京都名越家三代・昌乗(古浄味)作 江戸中期。
31番、唐松地文甑口釜。名越善正作(桃山時代) 大西定林が補修。環付が松ぼっくり。
32番、唐獅子環付松竹梅地文真形釜。蓋の摘みは竹と梅花(凝ってる)。小ぶりだけど、かなりインパクトある茶釜。
(前回もこれが一番印象深かった)。大西家二代・浄清の弟、大西浄久の作。
茶釜以外は、不昧公の茶杓。銘「ひと花」。
添えられていた歌がね、よかった「朝霞 咲出る梅の一はなも 色香にあまる四方の春風」。
他は仁清作の蕪鉢。唐津っぽい。(土? 釉薬?)
前回訪れた時は二階にも展示室があったけど、今回は展示室は1階のみ。
お庭に出てみる。
前は斜面の下の方のお茶室しか注目しなかった。
今回は振り返って、上のお茶室にも注目。
裏千家11代の玄々斎の実兄で尾張藩家老職を務めた渡辺規綱(又日ま庵)が造営したものを移築してきたものらしい。
前回の鑑賞記を読み返すと2階の展示室で又日庵の懐石道具を観ていたようで。
2010年(岡崎市美術博物館)と2011年(京都の茶道資料館)に玄々斎展を観た時に又日庵のお道具も出ていたから、
知らないヒトではないけれど、お茶室があるのは、やはり地元・名古屋だなぁ。
次の展覧会は3月16日(土)~7月7日(日)『青をめでる』
染付や青織部などが出てくるようだ。
(それと、休刊日は月・火とのこと)
★昭和美術館バックナンバーリスト
2012年3月 『釜一つあれは茶の湯はなるものを-』
2007年11月 『茶の湯の雑学』
新春展示『茶の湯の釜』 ※2月11日(月・祝)まで
名古屋の情報は全くノーチェックだった。
気がついたのは1月8日に中之島香雪美術館の展覧会を観終わった直後。
ロビーのベンチに鞄を置いて、クリアファイル収納して、顔を上げた途端、
視界の隅に茶釜、茶釜、茶釜が入ってきて、「ん?」。
他の美術館のチラシが平積みにして置いてある棚に吸い寄せられるように、近づいた。
なんだ、このステキな茶釜は? 大西清右衛門美術館か? いや、あそこは3月にならないと展覧会はないハズだ。
で、よくよく見たら昭和美術館。いつから? 1月9日(水)から。あれ?明日からダ。
ん?あれ~?
頭の中がパチパチと反応し始めた。
あとは京都へ向かう新快速の中で整理した。
2日後の京都から関東へ戻る際に、途中下車して寄れるんじゃね?
と、乗り継ぎアプリを検索して、算段してみると、「あぁ、行ける」。
昭和美術館へは、何年か前に訪れたことあるしねぇ。(その時は関東から来て、金山で下りて行った)
チラシの裏を見ていて、「なんか、見覚えある~」。
って、前回も茶釜の展覧会に惹かれて行ったんだワと思い出してきた~。
リピートかぁ。。。でも、いいものは何度見てもよいし、
6年の歳月を経て、私の中でも成長があればまた新たな気づきもあるだろう~と思って、再訪。
東海道線で金山まで、中央線に乗り換え鶴舞で下りて地下鉄に乗り換える。
「いりなか」という駅からは徒歩10分。
勾配を上がっては下り、また上がっては下り~
そうだった。前回もこのアップダウンに不安になったっけ。
でも、アップダウンはあるけれど、道そのものは一本道で10分で到着。
変わらないたたずまい。
ちょうど10時に到着し、一番乗り。
まずは2番、11代・宮崎寒雉の小ぶりの鉄瓶。明治時代の作。
チラシ裏に写真が掲載されている10番、天明の霰地紋の手取釜。底が小さくなっている逆三角形に瓢っぽい大きな手付が優美。
11番、天明松竹梅地文真形釜は環付が遠山で、蓋に模様があるのが凝っている。
その隣の12番、古芦屋梅桜地文真形釜も蓋の摘みの下に桐の花の模様があった。
(銅の梅と桜の模様は見えづらく、ポスター&チラシ表の写真を後からしげしげと見た)
13番、古芦屋霰地文真形釜は蓋の摘みが芥子の花(蕾?)みたい。
14番、夕顔地文甑口釜はよこに丸くて、正面に夕顔が鋳込まれている。
15番、芦屋桐紋風炉釜。切合の風炉釜。デザイン性に富んでいる。火窓が桐の花っぽい。
16番、瀧釜。釜上部がカーブが急で、優美な富士山?みたい。縦に瀧の流れような鋳込み模様。環付が上部から裾野に至る二段階。
一転、底は手堅い。 だから、全体がペルシャ風の壺?みたいな? とにかく形が変わってる。
(名越弥七郎←室町時代 の作)
17番の竹虎地文釜も名越弥七郎の作。こちらも形がユニーク、尾垂に至る銅が直線みたいな?
鳥居引拙が所持していたそうな。
以上、11番から17番までは室町時代の茶釜。
18番、阿弥陀堂釜。京都名越弥右衛門四代 三典浄味作(江戸中期)
19番は辻与次郎の丸釜。羽落ちが印象的。宗旦の添え状。
20番も与次郎の姥口尾垂釜。肩が丸く角ばってる。(チラシ表に写真あり)
下部の後から作った底の部分が長い?
21番の富士形百陀釜と22番の黄銅鳳凰風炉はセット。釜は京西村家四代・道爺作。風炉は京西村家二代・道弥作。
淡々斎や鵬雲斎がこういう風炉釜を好んでいたけれど、江戸中期から存在していたデザインだったのねぇ。
23番、江戸時代末期の養心釜。形は阿弥陀堂釜っぽい? 正面に漢詩のような鋳込みがある。
24番、鷺に葦文伽藍釜。肩が張っていてカーブではない形。京釜らしい新しい釜。浄清の子、江戸大西家初代・定林作。(江戸初期)
口廻りの丸い盛り上がりがきれい。
27番、雲龍釜。ズンドウ形。京都名越家三代・昌乗(古浄味)作 江戸中期。
31番、唐松地文甑口釜。名越善正作(桃山時代) 大西定林が補修。環付が松ぼっくり。
32番、唐獅子環付松竹梅地文真形釜。蓋の摘みは竹と梅花(凝ってる)。小ぶりだけど、かなりインパクトある茶釜。
(前回もこれが一番印象深かった)。大西家二代・浄清の弟、大西浄久の作。
茶釜以外は、不昧公の茶杓。銘「ひと花」。
添えられていた歌がね、よかった「朝霞 咲出る梅の一はなも 色香にあまる四方の春風」。
他は仁清作の蕪鉢。唐津っぽい。(土? 釉薬?)
前回訪れた時は二階にも展示室があったけど、今回は展示室は1階のみ。
お庭に出てみる。
前は斜面の下の方のお茶室しか注目しなかった。
今回は振り返って、上のお茶室にも注目。
裏千家11代の玄々斎の実兄で尾張藩家老職を務めた渡辺規綱(又日ま庵)が造営したものを移築してきたものらしい。
前回の鑑賞記を読み返すと2階の展示室で又日庵の懐石道具を観ていたようで。
2010年(岡崎市美術博物館)と2011年(京都の茶道資料館)に玄々斎展を観た時に又日庵のお道具も出ていたから、
知らないヒトではないけれど、お茶室があるのは、やはり地元・名古屋だなぁ。
次の展覧会は3月16日(土)~7月7日(日)『青をめでる』
染付や青織部などが出てくるようだ。
(それと、休刊日は月・火とのこと)
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2012年3月 『釜一つあれは茶の湯はなるものを-』
2007年11月 『茶の湯の雑学』
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