食い意地
菅 政幸
(『北の釣り』昭和62年1・2月号掲載)
那須高原のふもと、黒磯の街はずれ。
那須おろしが身に凍みる、とある夕暮れ。
ノレンを出して、赤ちょうちんをぶら下げたばかりのところへ彼はやってきた。
「マスター、いだがい?」
「おッ、珍しいね、社長!」
「これ、持ってきた。さっき撃った(ぶった)ばーしだがら、まーだ暖げえわ」
「イヤー、スゲー兎だなや」
何がスゲーのか解らぬままに私は褒めた。
「ロップ(ロープ)貸せや。吊るして皮剝ぐべ」
社長はロープで兎の後足をくくると、
慣れた手つきで駐車場の梁からぶらさげ、ものの数分で皮を剝いだ。
「ヘー、上手いもんだなや、
オレ、去年も兎貰ったんべね。あれ、皮剝ぐのにえらい苦労したんだわ。
子供に足持だしてぶらさげてさ」
「ダメ、ダメ、こうやってロップで吊るすのが一番いいんだ」
株式会社那須生コン社長。釣号渓仁。わが渓酔会初代会長であり、
地元猟友会の会長であり、那珂川漁業組合の監事でもある。
海、皮、テッポーと遊びごとなら何でもやるが、女だけはやらない、と本人は言う。
「社長、今年の忘年会はこいつで兎汁だな」
「なに言ってる。それまでにはまた撃ってくるわい」
「そんじゃあ、善は急げだ。早速、供養すっぺ」
私は大急ぎで釣友たちに電話した。
♢ ♢ ♢ ♢
私は、うまいものが好きだ。
それも見かけや値段、格式などで食わせることが多い料亭料理などよりも、
素朴でいいから ”本当にうまいもの” が好きだ。
春。
ワラビ、ゼンマイ、タラの芽も良いが、早春の野で摘んだノノヒロ(ノビル)を、
根も葉も刻んで生みそを絡んだノノヒロミソ。フキノトウミソと並ぶ春の香りの王様だ。
カンゾウ、ウルイの酢みそ和え。シオデやイラの味噌汁。
アケビの新芽のおひたしのほろ苦さ。
シドキ、トトキ,ユキザサ・・・ああ、きりがない。
私は一年中で春が一番好きだ。
夏。
裏の畑で採れたてのキュウリに、塩をまぶして板ずり。
縦二つに割っって生みそをつけて食う。
たったこれだけのことが私には無上の喜びに思われるのだ.
キュウリは有機肥料で無農薬栽培。
ニガリを含んだ自然塩に無添加自然醸造の味噌を使うことは言うまでもない。
渓流。
本ワサビ一本と醤油の小瓶をポケットに忍ばせての釣行。
釣りたてのイワナをその場で締めてワタを抜き、頭からペロリと皮を剝ぐ。
どっぷりと醤油に浸し、
平らな小石ですりおろしたワサビを乗せて、丸ごとガブッとかぶりつく。
口いっぱいに甘い香りが広がって、肉片がピクッ、ピクッと──
ああ、タマンネェー!!
帰り道、渓沿いの小径のわきで、チタケ(夏~秋のキノコで、チチタケの名の通り、
傷つけると白い乳がでる)を見つけ、そのまま口へ放り込む。
こんなうまいキノコ、どうして東北の人は食べないのだろう?
いつだか、秋田・打当川べりの宿舎で、
チタケを塩焼きにしてもらおうとして苦労したっけ。
「そんなキノコ、食えねえ。保健所に怒られっからダメだ」って。
秋。
山のキノコはマイタケ、マツタケとみんな大騒ぎするが、
ほかにもうまいキノコはいっぱいある。
ハツタケ山に出るアミタケ。大根おろしで食べたら、ナメコよりもずっと上だね。
サクラシメジ、キシメジ、クロシメジなどのバター焼きもいい。
マツタケ山に出るナベッカブリ(クロカワ)。
さっと湯がいて薄く切り、大根おろしと醤油で食う。
鯨のヒャクヒロ(小腸)に似たほろ苦さが口中に広がって、
飲んべえにはこたえられない珍味だ。
アケビの実の皮。一度山形・白川の国民宿舎で食べてからヤミツキになった。
いろいろな料理法があると思うが、私はフライパンで焼く。
ひき肉と、刻んだきのこ類を味噌とともに油で炒め、中身を除いたアケビの皮に詰める。
皮の口が開かないように小麦粉をまぶしてから、油で炒め焼きにする。
油で揚げたものよりもしつこさがなく、肉を多くすれば子供でも食べられる。
苦みが強すぎるときには皮の内面を薄くそぎ取って調理するとよいが、
なんてったってあの苦味がいいんだよネ。
冬。
アンコウ、フグも良いけれど、ここは下野、海なし県。
代わりに山の幸がある。キジ、ヤマドリ、ヤマバト、兎、熊、猪、鴨。
私はテッポーはやらないので、誰かにもらった時しか食えないけれど、
食べるチャンスが少ない分だけ、その瞬間の楽しみは増大する。
鳥獣の鍋に、晩秋の山で掘って来た自然薯のタタキなんかを添えたら、
もう、言うことないね。
*以下第②へ続く。