赤ひげのこころ

お客様の遺伝子(潜在意識)と対話しながら施術法を決めていく、いわばオーダーメイドの無痛療法です。

三春藩士時代の 菅家関連資料 ④ 田村乃小史(分限帳)

2018-09-13 15:07:00 | 菅家系記録



*(田村乃小史53~57頁)

享保十巳年 秋田頼季 家臣 分限帳(写)

八百石 荒木金右衛門~百石 桑島彦六までの名が記され、
  計百三十三人とある。

藩中御礼席
弘化二年正月

御城代

大老
御年寄
御用人

御番頭

細川家客分家老

秋田家の名家
竹鼻秋田 山館秋田 中津川秋田 
東秋田 北畠秋田 檜山秋田 
大浦秋田 大谷秋田 等々皆一族

*秋田頼季家臣  計 百三十三人の中に、
菅家初代 菅 市三郎(助右衛門/正長、正嗣とも)の名が記されている。
家禄百石となっているが、
三春藩主第二代 秋田阿波守 盛季(もりすえ)公に召され、仕官していた当時の
延宝4年(1676)知行帳には大目付武具宗門役料として別途百石、五人扶持。 
計二百石 五人扶持知行となっている。

   *編者注

・享保十年:
1725年。幕府では8代吉宗の時代。享吉宗は大岡越忠相を登用し
 江戸町火消や目安箱、小石川療養所の設置等 「享保の改革を実行した。


・秋田頼季(よりすえ): 三春藩 第四代藩主。実父は三春藩重臣の荒木高村。
 荒木家から秋田季豊(秋田氏の分家)の養子となるも、
三代藩主輝季の嫡男広季が亡くなったため宗家の養子となり家督をついだ。

・分限帳: ぶげんちょう・ぶんげんちょう。
 大名家家臣団の身分や氏名などを記録した文書。

・弘化二年:1845年。この年3月アメリカ船マンハッタン号、漂流民を乗せ浦賀に入港、
 通商を求める。 これより8年後(1853)ペリーが国書を携えて浦賀に来航、
開国を迫ることとなります。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿