昭和・平成・令和・さわやかに老いる日々

朝元気に目覚め、食べたいものを食べ、行きたいところに行き、会いたい人に会えることに感謝です。

旅の思い出

2024-07-01 11:50:03 | 日記
            

これまで日本各地、北は北海道~南は鹿児島まで、海外にも数か所旅して来ましたが、一番印象に残ってるのは、日本では奥入瀬渓流、海外ではカンボジアのアンコールワットです。

          

アンコールワットは、長年一度はぜひ行きたいと思って居たので、2012年12月に友人のお誘いを受けて旅することが出来ました。

        

私たちが訪れた時は、戦争も集結し、ある程度カンボジア国が落ち着いた時でしたが、戦後の痛ましい光景は、まだあちこちに残ってました。

アンコールワットは、所々ポルポト派によって破壊され、日本やフランスの方々が、修復されてる最中でしたので、以前の様な完璧な状態のアンコールワットではありませんでしたが、迷路のような広大な建物の壁の一つ一つに見事な彫刻がされてるのを見たとき、写真では味わえない感動を覚えました。

ツワーの中に、アンコールワットに魅せられ、ツアー4回目とおっしゃる方が居られ、お一人で参加されてましたが、年齢的に今回が最後と言われて、ツアーでの数時間ではとても鑑賞できない位の広さなので、4回目と言われたことがよく理解できました。

アンコールワットの正面に立った時、此れが何時か訪れたいと思ってたところと思って、その時の感動は言葉では言い表せない気がします。今でもアンコールワットに旅して良かったと心から思って居ります。

旅は楽しい思い出ばかりではありません。アンコールワットを見終り、帰りのバスに乗ろうとしてる時、5~10歳位の子供達10人程がバスの入り口に近づいて来て、マネーマネーと手を出し、中には2歳くらいの兄弟を背負ってる子供も居ました。

私は気持ちだけでもと思って財布を開いたとき、ツワーの私と同年齢位の女性の方が、やったらあかん、此処の人数だけでなく、他の場所から見てる子供達が大勢来て収拾がつかなくなると言われましたので、皆さん子供たちの差し出した手を避けるようにしてツアーバスに乗り込みました。

わたしは時々その時の光景を思い出し、あの時反対されても、手元に少しの金子をあげてたら、その子たち家族のお役に立てたかもしれないと思うと、財布を閉じてしまった自分を後悔する事が在ります。反面、わたしだけ自分勝手な行動をしたことで、ツアーの雰囲気を悪くしてたかもしれないと思って、自分自身を納得させてる自分も居ます。

       

後にアフガニスタンで車に乗ってる時襲撃され、お亡くなりになった中村哲医師の功績を知るにつけ、わたしには勇気が無かった、何時も社会のお役に立ちたいと思ってる筈が、実際にその場に出会うと行動できない弱い自分が居て、あの時の例え1ドルが、その子の家族のどれ程役に立ったかと思うと、今でも後悔する事が在ります。

その帰りのバスで、カンボジアの男性ガイドさんが、こんなことを言われました。「昔は大和なでしこと言われてる日本の女性に憧れてた」が、「今は違う・今日本に大和なでしこは存在してないのでは」と言われたのです。その時私は思いました、其れは先ほどの、子供が手を出した手にほんの少し優しい気持ちを示さなかったことを指してる気がしました。私は申し訳ないような少し後ろめたい気持ちに成りました。

今私は、毎月ほんの少しだけ国際的に活動されてるボランティア医師団体に、心ばかりの寄付をさせていただいてます。後悔したまま人生を終えたくないと思ったからです。

もちろん旅には楽しい思い出もたくさんあります。むしろ楽しい思い出の方が多いです。人は思い出が多い程心が豊かになれると思ってるので、若い方々には、思い出をたくさん作って欲しいと思って居ります。私の50代60代の頃は現在の様にまだスマホが盛んに普及して無いときでしたので、当時旅する時「地球の歩き方」の本はとても参考になりました。前もって少し知識が在る事で、旅がより楽しくなります。

       
          日立ガラス張り駅舎

今年の初め頃、外国の方が、日本全国各地の駅舎の紹介をされてるのをテレビで見て驚きました。私の知らない素晴らしい駅舎が、日本全国には数多くあるのです。近代的な駅舎、レトロな駅舎、駅全体がガラス張りの駅舎、もうどれも行ってみたい所ばかりでした。海外からの観光客の方々の方が、私たちより、細部にわたって詳しいことにも驚きでした。

       
            昼の東京駅

       
            夜の東京駅

1昨年春久しぶりに東京に行った居り、新幹線を降りて丸の内側の改装された東京駅舎を初めて見たとき、建物は昔の様子をとどめ、きれいになった駅舎を見て思わず素敵と思いました。外国の何処にも負けない位、駅舎の色も建物も素晴らしくて、皇居の在る丸の内側からしばらく懐かしく眺めて居りました。

              

高齢になった事で、もうツアー旅は無理だと思いますが、今でも国内外を問わず、行きたいところが在ります。何時か行けたらいいな~と思って希望を持って過ごしてます。

日々笑顔で感謝して過ごせますように!!






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本は心を豊かに・・・・・

2024-06-28 18:18:41 | 日記

         


数年前話題になりベストセラーとなった、1981年に他界された吉野源三郎著「君たちはどう生きるか」の本を購入し読みました。何時の時代にも通じる、若者だけでなく、いろんな世代の人への、生きて行くためのメッセージだと思いました。

テレビでおなじみの池上彰さんは、「輝きは色あせない、今も読み継がれるべき永遠の名作」で、「心から感動し、人生を決めた一冊」と言われてます。

子どものころから、本を読むことが好きで、ジャンルを問わず読んでましたが、20代の後半、吉川英治著の徳川家康全18巻購入し、毎日1巻夢中で読んだことを、懐かしく思い出しております。家康の生きざまと機微を感じる読み応えの在る力強い文章に惹かれ、読み終えたとき、達成感を感じた位です。その時本は心を豊かにしてくれると思いました。

天皇家の愛子様が、20歳を迎えられ、初めて記者会見をされたとき、感情豊かな確りした正しい日本語で、お話になられてるのを拝見し、愛子様は、いろんな御本を読んで居られ、両陛下とも日々多くの会話を交わされてるのではないかと思いました。

        
              伊勢神宮

此れまで読んだ本で学んだことは、国の歴史や文化を護る事はとても大切なことで、今日本が国として存在し平和で平穏で在る事は、長年培われそれを護って来られた多くの方々の努力の賜物とお陰様だと思って居ります。日本の平和は、永久ではないことを忘れてはいけないと思います。

歴史の本を読んで、日本に天皇制が存在してる事は、日本にとってとても大切なことだと理解できました。代々受け継いで来られた天皇家の計り知れないご努力は、私たちの言葉ではとても言い尽くせない存在で在られ、天皇家や皇族方は、限られた皇居とお住まいの周辺だけで、御行動が制限され、御不自由な中、計り知れない重責を背負われ、日本の歴史文化をお守りになられるために、大変なお務めを果たされ担って居られることを学びました。

最近は本に親しむことが少なくなっておりますが、何時の頃からか私は、歴史やnon-fictionの本を読むことが多く、多々感銘を受ける事が在り、生かされてる事への感謝の気持ちがつよく思えるようになったと思って居ります。

           

10数年前に読んだ、「国家の品格」の著者藤原正彦氏の本の中に、昭和の初期に駐日フランスの大使だった、詩人のポール・クローデル氏が、昭和18年に「日本人は貧しい。しかし高貴だ。世界でどうしても生き残って欲しい民族をあげるとしたら、それは日本人だ」と言われたそうです。私はこの言葉を何度も何度も読んで、以前もこの場で何度か記してると思いますが、日本人としてとても誇りに思いました。今、日本人が世界の人々に品格ある国民で在る事が示されてるでしょうか。

本を読むことで、知識や知恵やヒントを得たり、品性や品格を磨いてくれ、自分を顧みることや、何とも言えない充実感と、何より心を豊かにしてくれると思って居ります。

            


最近私は、お節介、余計なお世話と思われない様、人様への言葉に気を付けて居ります。人として生きて行くため、礼節を重んじることが如何に大切なことかを、教え諭し伝える事を躊躇してますし、現社会で道徳的なこと倫理等を教え諭す大人が少なくなってるように感じてます。私自身、先人方に教え諭され、85歳の今まで平穏に過ごすことが出来たこと全て、大変ありがたいことだったと先人方に深く感謝致して居ります。また日本が平和で幸せな時代に生かされて来た事にも心から感謝して居ります。

残された人生の中で、出来るだけ本と文字に親しみ、ボケる事を忘れる位、前向きに健康で笑いの絶えない、何時もご機嫌な婆さんと思われる位の日々を過ごしたいと思って居ります。

日々笑顔で感謝して過ごせますように!!


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自分自身を高める

2024-06-27 18:15:05 | 日記
         

私は子供の頃から、人と争う事が嫌で苦手で、人に悪口や何か皮肉を言われてもその場ではっきり否定したり抗議する事無く過ごしてました。

高校生の時友人が、嫌なら嫌、ダメならダメとはっきり言った方が、その人の為でも在ると言ってくれましたが、子どものころから、父に口答えをするなと言われて育ちましたので、どうやって反論していいか加減が分かりませんでした。

       

10代20代の頃、相手を心の中で攻め、不平不満を訴える場が無く過ごしてましたが、在る時「相手は自分を映す鏡」又「子は親の鏡」との教えを在る本で学び、自分の不十分さや未熟さを知ることが出来たことで、自分の行動や考えを見直し、自分の成長のための一歩踏み出すチャンスととらえることが出来ました。

        
          会話ではなく話す機械

今、人からいろいろ言われることが嫌で、家族、友人、社員同士、其々の場で、直接の会話ではなく、スマホやネットでメールのやり取りをしてると聞きます。人は直接顔を見合わせて会話してこそ、お互いを理解出来たり、肌で感じる温かい温もりや、優しい思い遣りの心が通じると思うのですが、私が言ってる事は時代遅れなのでしょうか。

          

今私は、何か嫌な思いをしても気にならなくなり、成る様になるとの思いで、伝えたい事、教えたい事、諭したい事、進言したい事等を、聞かれたら応えるとの思いで過ごして居ります。

私が子供の頃、20代の若いころ、祖母や両親、叔父叔母等から、いろんなことを教え諭され、其のことが後になって、この事だったのかと思う事が多々あり、85歳になる今まで、人様に迷惑を掛けるような事も無く、過ごして来れたことは、いろんな進言をしてくれたおかげ様と思って、心から感謝しております。

         
平和で穏やかで何とも言えない豊かさを感じる景色が大好きです

「自分自身を高める逆転の発想」早い時期に知る事で、85歳の今まで幸せと思える生き方が出来、平穏に過ごして来れたと思って居ります。

日々笑顔で感謝して過ごせますように!!





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ジャポネーズ・ガランチード

2024-06-20 11:45:53 | 日記

           

「ジャポネーズ・ガランチード」これは、ブラジルにおいて「日本人なら間違いない」と言う意味の言葉です。明治以降、ブラジルへと渡った日本人は、勤勉・工夫・挑戦・協力し合う心をもってさまざまな困難を乗り越え、ブラジル社会に貢献してきたことが、その姿が、日本人への信頼を高めていったのです。私が生きる指針としてる本に記されてます。

「ジャポネーズ・ガランチード」と言われた所以は、当時の日本人が、世の為人のためとの思いが、その心が日本人の先人方には染み透って居たのだと思います。

大正生まれの実家の父が若かりし頃、ブラジルに行く事を希望しましたが、祖父が許してくれなかったと聞いた事が在ります。

父は、当時ブラジルに渡った人達の「世のため・人のため」の精神が、今の日系ブラジル人の成功に繋がってると思うと何時も話してました。戦後の日本人の休む事無くの働きが、今の経済の発展と平和につながってるとも、そして楽をしようと思った時から、堕落が始まると言ってました。

社会的な仕事を辞してから病で倒れる迄、畑を耕し種をまき野菜を育て、桜やコスモス畑の手入れをし花をめでて、常に働いてました。何時も人は世の中のお役に立つために、この世に生を受けたのだからと言ってました。

            

 教育勅語の十二の徳目
 (現代に分かり易く解説)

1・孝  行 親を大切にしましょう。
2・優  愛 きょうだい仲良くしましょう。
3・夫婦の和 夫婦仲睦まじく、助け合いましょう。
4・朋友の信 友達は互いに信じ合いましょう。
5・謙  遜 自分の言動を慎みましょう。
6・博  愛 すべての人にやさしくしましょう。
7・修学習業 勉学にはげみ職業を身につけましょう。
8・智能啓発 知識を養い才能を伸ばしましょう。
9・徳器成就 人格の向上につとめましょう。
10公益世務 世のため、人のために仕事に励みましょう。
11遵  法 ルールを守りましょう。
12義  勇 正しい勇気をもって国の為に真心を
       尽くしましょう。
    
他界した父は、明治天皇が示された「教育勅語」を、何故今の教育に取り入れられないのかと何時も疑問に思ってたようです。「教育勅語」私も調べましたが、とてもよい徳目を示されてます。私はここで何度も述べてますが、「人の・世の中のお役に立つ」このことが、人間性を培う基本ではないかと思って居ります。

            

「ジャポネーズ・ガランチード」の姿勢は、日本人がブラジル人の、ブラジルの社会のお役に立つ仕事をしたからこその称賛される言葉の所以だと思います。

         

今の日本社会はどうでしょうか?。世の中で、家庭内で起きてる、昔では考えられない事件は、人様と家族と会話をしない事で、意思疎通とコミュニケーションが取れてないことが要因だと思います。今の日本社会、家庭でも、学校でも、会社でも、スマホ・パソコン・AI を重視し、人間としての、優しい・温かい・思いやりの心を失いつつあるように思います。また倫理観や道徳心を軽んじる世の中になってるようにも感じてます。

        

本来は、世の中のすべての人が、互いに精神的な心づかいをすることで、平和で平穏な生活が出来るのですから、「世のため・人のため」にを合言葉にするくらいの社会であってほしいと思って居ります。

         

「ジャポネーズ・ガランチード」日本人として誇りに思う、最高に称賛される言葉です。幸せの度合いは人それぞれですが、人様に誇りに思われ、称賛されること、人としてこれ以上の喜びと幸せはないと思います。

今日も一日笑顔で感謝して過ごせますように!!



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三つの恩

2024-06-17 12:15:38 | 日記
 
       

私が40代の頃、友人が在る団体の「五つの朝の誓い」が書かれた額をプレゼントしてくれました。

当時物事を深く考える事無く、日々平穏に過ごせてる事に特別感謝するでもなく、共働きの生活に追われ過ごして居りましたが、「五つの誓い」の額をプレゼントしてもらった事で、すごく心を動かされ、感謝することの大切さを深く考えるようになりました。

中でも「三つの恩」、師の恩、親の恩、社会の恩、について、漠然と理解できましたが、具体的な事を知りたくて、団体の出版された本を購入し学びました。

          

「師の恩」とは、学問や技能、芸事ばかりでなく、日常一切の事について、教えて下さる人は師匠である。
「親の恩」とは、子をもって知る親の恩と言われてますが、親を大切にすることはもちろんですが、恩を恩として感じる心、人間の繁栄、幸福、健康をももたらす事を知ることである。
「社会の恩」とは、生かされてる力に対する恩、食べる物、着る物、住む家をはじめ生活の一切が、自然の恩恵と、人々の働きの上に維持されたものと、記されてました。

嫁ぐまで両親からいろいろ教え諭される事はありましたが、「五つの朝の誓い」の教えを学んだ事で、物事に対する感謝の心が深くなったように思います。

        

また本の中には、三つの恩は、私たちの生命を生み、育て、教育し、生活を維持させてくれる「すべて」に対する感謝の心をもち、この心が深ければ深いだけ、人はより多くの恩恵を浴するが出来ると記されてました。

        

今世の中では、予期せぬ事件が次々と起きてます。人との関りを避け、スマホやネットばかり相手にしてると、人としての大切な感謝の心を見失いがちになり、不安を募らせ、事件を起こしたり、家に引き籠る人が増え、大きな社会問題になってるようですが、故日野原重明医師が、心が不安定になってる人が、「社会のお役に立つ」と言う事に気付いたとき、不安は取り除かれ明るい未来が待ってると言われました。

        

「三つの恩」は生きてく上で、生かされてる事を喜び感謝し、微力ではあっても、自分の働きが世の為人のためにお役に立ててるなら、此れにまさる喜びはない、という謙虚な心で生活してゆくとき、未来が開けてゆくものだと言う事も記されてましたので、故日野原重明医師のお考えと同じ、社会のお役に立つ教えが生かされる世の中になって欲しいと思います。

85歳の今の年齢まで生かされてる全ての事に感謝し、少しでも社会の役に立てる人でありたいと思って居ります。

今日も一日笑顔で感謝して過ごせますように!!


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