
ある日の夕食
先日買い物から帰宅し、台所に荷物を置いて、何時もの様にマスクを洗うため、洗面所に行きマスクを洗って干し、夕飯の支度にとりかかりました。
夕飯のお料理も出来て、テーブルに夕食のセットしてると、主人から洗面所の流しの水が出しっぱなしになってたぞと言われ、その時時間にして1時間くらい経ってたと思いますが、私は咄嗟に私ではないと言いました。
主人が自信無げに俺かな?と言った後、私は自分がマスクを洗った事に気付き、其の事を伝え、怒られるか注意されると思って覚悟してると、主人が「火でなくて良かった」と言ってくれたのです。思わず優しいな~と思いました。

以前にも、その日は早く帰宅できるからと、帰宅して直ぐにお風呂に入りたいからお風呂を沸かすようにと電話があり、お風呂にお湯を入れ、私はお湯を出してる事を忘れて部屋で用事をしてると、帰宅した主人が洗い場まで水浸しになってるぞと言いに来て大慌てしましたが、その時も「部屋まで流れ出なくて良かった」と言ってくれ、咎められませんでした。
私でしたら、いろいろ文句を言ってたかもしれませんが、普段から咄嗟の時、慌てるでもなく咎めるでもなく、常に冷静で穏やかな主人の大らかなところは有難い事ですし、羨ましい性格だな~と思う事が在ります。

数年前、大阪のK病院の若い女性脳神経外科医に「どうせうち(K 病院)にはつなぎで来られたのでしょうから」と言われて、まさか医師がと信じられないと思って驚きました。紹介状を書いてくれた病院の女性医師が、何か良からぬことを記していたのだと思いますが、それにしても医師の言葉とは思えませんでした。

此処2~3日、何処かの町長方が、とんでもない発言をして、物議を醸してるようですが、日常的に破廉恥な発言をしてるのは、その人の資質に問題があるからだと思います。

人の心を癒す優しい言葉、意図的に人を傷つける言葉、特に公的な仕事を司ってる方は、如何に人をやる気にさせるか、人を思い遣る心を育めるか、人を育てる言葉を大切にしてほしいですね。私は出来るだけ前者で居たいと思って居ります。

よく著名人の方が、後に師と仰げるような方の一言で、人生が好転したなどと聞きますが、言葉は人の人生を左右する位大切なことだと言う事を、離党や辞職に追いやられた国や地方の政治家は自覚してほしいと思って居ります。
言葉は、人格、品位、品性、品格を如実に表し、日頃の心がけから生まれ出るものではないかと思って居ります。
今日も一日笑顔で感謝して過ごせますように!!
