次元放浪 ~不思議な日々~

アセンション、スピリチュアルなど、自身が体験したことを同じような経験をしている人に向けてポジティブに伝えたい

視覚化された世界から見る物質世界の曖昧さ

2013-10-03 22:40:19 | 体験したこと
小さい頃から疑問だったこと。

『私が見ている赤は、みんなと同じ色なんだろうか』

私が見ている赤は、もしかしたら他の人が見ると黄色いのかもしれない。私が『赤』だと思っている色を、他の人は私が言う『黄色』だと認識していて、それを『赤』だと思っているんじゃないだろうか。

私の体が誰かの体と変わったら
そこに見える世界は全然違うのかもしれない。

だからきっと人それぞれ好きな色や
好きな形や容姿があるのかもしれない。

それが本当なら、目に見える世界と言うのはなんて曖昧なんだろう。
なんて儚くてあてにならないものなんだろう。
そうやって考えていたことが、大人になってからずーっと忘れてたけど、急に思い出して気になっている。

あともうひとつ思い出したこと。

何もかもを無にして、地面の、一点をジーっと見る。
まばたきしても見る。
見る、
見る、、、
すると、ぐにゃって見えるときがある。動かないはずの小石や雑草も、
本当にさっきからそこにあったのか疑問になるくらいぐにゃぐにゃになる。
(しらふですよ?)

さわっても、そこにあるんだけど、
確かにぐにゃぐにゃして見える。

やっぱり目に見える世界はやはり曖昧であると思う。

ということは、やはり物質世界と言うものは『そこにあるからそう見える』世界ではなくて
『そう見えているからそこにある』
世界なんだろうか。

『そう見えているからそこにある』のであれば、希望していること、ものが 今視覚していると寸分の疑いもなく知覚することができれば
『そう見たいからそこに現れる』
=引き寄せ、テレポート、の類いなのだろうか。
確かに私が感じる世界だと、

『そこにあるからそう見える』より
『そう見えるからそこにある』のほうがしっくりくるのだ。

ただ3次元の世間の常識は、
『そこにあるからそう見える』だった。
ではそういう風に仕向けたのは誰で、なんの目的があったのだろう?



ふとそんなことが頭に浮かびました。
読んでくださってありがとうございます。全ての人に光と愛を。

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