徒然草独歩の写日記

周防東部の徒然なるままの写日記

山陽道関戸側旧道整備開通・小瀬峠頂上部は旧道か?

2012-05-28 01:35:21 | 歴史散策

26日、「岩国地旅の会」代表の杉山女史から電話を頂く。

先般、小瀬関門跡を過ぎてからの旧道がヘアピンカーブからの新道と合流するガードレール切れ目に標識杭が新設された件で岩国徴古館M学芸員を訪ねた際、「岩国地旅の会」のメンバーによって設置されたとの情報を得たので、連絡してもらうようお願いしていたのだ。お礼を兼ねて活動状況や簡易標識の作成等についても知っておきたかったのだ。

「3月に標識を設置したが、合わせて小瀬峠頂上部の旧道についても伐採整備、標識設置をして通行可能になった。」という。「何??。あそこに旧道があったとは。」

120527dsc002_240p ここは「百街道一歩」氏が上迫・水口への山道に入り込み、暗闇の冷たい雨のなか途方にくれたところだ。当方も四年前、この山道から途中左折し、確認してみたが、羊歯や雑草・中小の雑木・竹が繁茂していて、道筋らしきものがどの方向に向っているのかも分からなくなり、岩国領内全図や店口の古老Fさんにも峠までご同行願って、往還道とは無関係と判断していたところ。机上検討でもかなり時間を割き、往還道がそのまま拡幅掘割りになったと判断していたところなのだ。

待てよ?そういえば4月8日に欽明路峠七曲坂で出会った横浜の長谷川さんが、「小瀬峠頂上の山道旧道は標識が設置されていて、迷うことなく本道と直ぐ合流した」。と言っていたっけ。あの時は「中ノ峠仏ケ浴谷頭狼煙場」の見直し再調査や、蓮台寺峠再訪問を検討していて、完全に忘れていた。

翌27日早速小瀬峠へ向う。雑木も伐採されて綺麗に整120527dsc005_240p備されている。各ポイントには標識も設置されている。小瀬峠を過ぎて沢にかかる堰堤橋の手前の本道と合流するが、ここにも標識が設置されている。
この小瀬峠頂上部山道を旧道と判断した根拠は法図に載っているそうだが、果たしてそうか?
当方は、この山道は峠を挟んで小瀬・関戸両村からの上迫方面への入会道で、江戸往還は現在の掘割擁壁のあるルートであると判断し街道と無関係と判断しているのだ。一応、サイトのルート図に但し書き掲載することにし、当方の判断根拠も「追記」しておくことにした。

「岩国地旅の会」は、地域の活性化を目指し、旧道や古道の整備や、街道調査や街道歩きを企画したり多種多彩な活動をしているという。簡易標識杭は、工房を持ったメンバーの三木さんという方が作成しているそうだ。うらやましい。関ケ浜から大内迫への古道もメンバーで伐採整備、標識設置し、通行可能になっているそうだ。こうした人々の努力には頭が下がる。

関戸側の竹薮旧道も整備し標識杭も設置したそうだ。ここも後日確認しておこう。

なお、28日(月)から杉山さん達の活動が山口朝日TVの「Jチャン山口」の番組で「古地図片手に岩国めぐり」として、毎週月曜日に数回放映されるそうだ。楽しみだ。ホームページも開設されている。今後の活動に期待しよう。

検索:「岩国地旅の会」

 


標柱建設ラッシュ(丸子坂旧道・二王屋敷跡・小瀬峠)

2012-05-17 23:33:34 | 歴史散策

120517dsc002_240p 元岩国市教委周東支所長M氏手製の木製標識が完成。丸子坂旧道・刀工二王清綱屋敷跡の二箇所だ。早速、M氏と米川公民館長の三人で開通したばかりの丸子坂へ向う。丸子坂は一本しか作成してなかったので、当面、瀉血場のあった東側入り口に建てる。中山峠側は、後日の機会に。

この後、周東千足の山陽古道「相ノ見越」ルートの「刀工二王清綱屋敷跡」のIさん所有の現状畑に標柱を打ち込む。これで遠来の旅人も確認しやすくなっただろう。「二王屋敷跡」は街道に近いため、立ち寄る旅人が多いが、現場付近は尋ねる人影も無く、旅人泣かせの畑だったのだ。この史跡をご存知の地元の方が少ないのに、せっかく事前に机上調査して当地を訪れる異郷の旅人が、現地で途方に暮れるのは失礼きまわりない。

120517dsc010_240p 手製なので、公的なよく見かける標柱ではないが、M氏のご厚意に感謝、感激。

午後から所用で岩国に出かけた帰りに、小瀬~関戸の旧山陽道によってみる。小瀬関門跡を過ぎてヘアピンカーブ新道手前からの旧道が新道のガードレール切れ目で合流する箇所の標識設置を確認するためだ。淡い期待と不安を持ちながら確認すると、「あった。あった!」。

ここは、先般「岩国徴古館」のM学芸員と館内展示会場で会った際、お願いしていたのだ。やることが素早い。これで関戸側(小瀬峠側)から小瀬川を目指す西国の旅人が迷うことは無いだろう。迷うというよりは、ガードレール切れ目に気づかずヘアピンカーブ新道をそのまま小瀬へ向けて下っていたと思われるところなのだ。

120517dsc008_240p 感謝。感謝の一日だった。

早速、「周防国の街道・古道一人旅」の方にも追記しておいた。うれしい悲鳴だ。