徒然草独歩の写日記

周防東部の徒然なるままの写日記

標柱建設ラッシュ(丸子坂旧道・二王屋敷跡・小瀬峠)

2012-05-17 23:33:34 | 歴史散策

120517dsc002_240p 元岩国市教委周東支所長M氏手製の木製標識が完成。丸子坂旧道・刀工二王清綱屋敷跡の二箇所だ。早速、M氏と米川公民館長の三人で開通したばかりの丸子坂へ向う。丸子坂は一本しか作成してなかったので、当面、瀉血場のあった東側入り口に建てる。中山峠側は、後日の機会に。

この後、周東千足の山陽古道「相ノ見越」ルートの「刀工二王清綱屋敷跡」のIさん所有の現状畑に標柱を打ち込む。これで遠来の旅人も確認しやすくなっただろう。「二王屋敷跡」は街道に近いため、立ち寄る旅人が多いが、現場付近は尋ねる人影も無く、旅人泣かせの畑だったのだ。この史跡をご存知の地元の方が少ないのに、せっかく事前に机上調査して当地を訪れる異郷の旅人が、現地で途方に暮れるのは失礼きまわりない。

120517dsc010_240p 手製なので、公的なよく見かける標柱ではないが、M氏のご厚意に感謝、感激。

午後から所用で岩国に出かけた帰りに、小瀬~関戸の旧山陽道によってみる。小瀬関門跡を過ぎてヘアピンカーブ新道手前からの旧道が新道のガードレール切れ目で合流する箇所の標識設置を確認するためだ。淡い期待と不安を持ちながら確認すると、「あった。あった!」。

ここは、先般「岩国徴古館」のM学芸員と館内展示会場で会った際、お願いしていたのだ。やることが素早い。これで関戸側(小瀬峠側)から小瀬川を目指す西国の旅人が迷うことは無いだろう。迷うというよりは、ガードレール切れ目に気づかずヘアピンカーブ新道をそのまま小瀬へ向けて下っていたと思われるところなのだ。

120517dsc008_240p 感謝。感謝の一日だった。

早速、「周防国の街道・古道一人旅」の方にも追記しておいた。うれしい悲鳴だ。


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2 コメント

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日々のご活躍ご苦労です。突然のメールで失礼しま... (英田君)
2012-05-23 21:13:56
日々のご活躍ご苦労です。突然のメールで失礼します。宝塚市在住の「英田君」と申します。
おかげさまで、5月20日無事「西国街道」を踏破し永福寺山門に到着しました。京都の東寺を出発してから23日間の行程でした。諸先輩のホームページ等を参考にしましたが、歩かれたのが少し前になり、現時点と少し異なる事もありましたが、案内板や道の整備が進んでいる所も多かったです。(例外もありますが・・)
山口県に入ると、他県に比べ「一里塚」等の表示や街道の方向案内板が極端に少なく苦労しました。
そんな中、独歩さんのホームページを発見し、道筋や歴史的な遺物を拡大鏡を使って何度も確認しながら、自分の地図に書落とし込んで、歩いて行きました。おかげさまで全く迷うことなく踏破できました。誠にありがとうございました。私ども街道を歩く者は少なく、行政も面倒見きれないのでしょうが、独歩さんの地道な活動に敬意を表し、感謝の気持ちをお伝えいたします。
追伸 蓮台寺坂は荒れており、ここ数年で通行不能になりそうで心配ですが・・・
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「英田君」さん、赤間関までの踏破おめでとうござ... (徒然草独歩)
2012-05-25 01:08:54
「英田君」さん、赤間関までの踏破おめでとうございます。
最近、京都と大坂箕面の旅人に玖珂付近で出会ったのですが、両者共、「山口県に入ったら標識が少ない。」と言われたのが気になります。他県の状況が不明なのでよく分かりませんが、一里塚跡については私も同感です。広域合併前の行政単位によってまちまちのようですね。道路形態が変わっている為かもしれませんが、多少アバウトでもいいように思います。私の住む近くの「二王屋敷跡」についても、「百街道一歩」さんに「なぜ標識が無いのか?」と聞かれ思わず赤面。異郷の地で折角事前に詳細に机上調査した旅人を、いざ現地で路頭に迷わすことは地元の恥のような気がします。
ルート図はサイトの容量オーバーが気になり、縮小略図になってしまったのですが、お役にたてて幸いです。
蓮台寺峠の福田側は仕方ないですね。過疎化が進み、若者不在の地ではこうした問題を抱えているのでは?最初の湿地の沢は年々大きくなっている感じで、いずれ丸太橋になるかもしれません。適当に荒れているのも趣があっていいのかも?
今後の「英田君」さんの健脚、道中安全をお祈りしています。
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