2006年6月実施の「四境の役150年遊撃軍慰霊祭」に引き続き
同年11月に実施した「第1回通化寺もみじまつり」。
今年実施の「第3回通化寺紅葉まつり」は明治維新150年の節目となる最後の行事。
明治維新150年を記念し特別事業を行いますが、その一つに
郷土が生んだ偉大な総理大臣岸 信介氏は巣鴨プリズンを無罪放免されたあと、ここ通化寺で、気鋭の若者を集め戦後日本再建の決意を述べ決起する。大梅山通化寺は芸州口の戦いに主力となって戦った遊撃隊の本営があった地、いわばふるさと。明治維新先駆け・胎動となった地である。
通化寺境内の「遊撃軍招魂碑」揮毫は山口縣知事大森吉五郎。官選最後の縣知事。大森は岡山市出身、岡山中学・三校・京都帝大卒。内務・警察官僚。山口縣知事のあと南満州鉄道理事。京都市長。
「遊撃軍記念碑」撰文は沖原光孚。光孚は岩国藩出身、日清・日露戦争に従軍。陸軍中将正三位勲一等功三級男爵・貴族院議員。満州時代の岸と知友。光孚の曾孫男爵沖原光彦は岸 信介・佐藤栄作の叔父である佐藤寛造の娘信子と結婚。同じく叔父佐藤松介(医師・岡山医学専門学校教授・寛造の兄で本家当主)は岸 信介を岡山中学に入学させ学育するが2年後急逝し、ために岸は山口中学校に転校する。
同記念碑書は防長新聞社から明治44年第6代山口町長となる作間久吉。 のち、大正6年~昭和7年初代山口県立教育博物館長。
岸 信介がこれら知友・関係者携わる「明治維新胎動の地・高森通化寺」を「戦後の昭和維新決起の地」としたのは当然といえる。
2016四境の役150年の年から続き、明治維新150年の今年で終わる「第3回通化寺紅葉まつり」で、決起にあたり心境を著した「通化寺即吟」を記念碑として郷土が生んだ総理大臣を顕彰する事は150年記念事業の最後として意義あることだと思う。
11月7日は記念碑搬入・据付の日。
早朝8寺30分からの作業。
11日の除幕式が楽しみです。
通化寺の紅葉は、今が丁度見ごろ。今年は少し早いようだ。
遊撃軍招魂碑も大梅山を背景に赤く染まる。
伝雪舟庭園の紅葉。中央付近遠くに遊撃軍招魂碑。