徒然草独歩の写日記

周防東部の徒然なるままの写日記

大梅山通化寺:岸 信介先生通化寺決起「通化寺即吟」記念碑搬入

2018-11-07 21:26:23 | 四境の役芸州口の戦い

2006年6月実施の「四境の役150年遊撃軍慰霊祭」に引き続き
同年11月に実施した「第1回通化寺もみじまつり」。

今年実施の「第3回通化寺紅葉まつり」は明治維新150年の節目となる最後の行事。

明治維新150年を記念し特別事業を行いますが、その一つに

岸 信介先生通化寺決起「通化寺即吟」記念碑建立除幕式

郷土が生んだ偉大な総理大臣岸 信介氏は巣鴨プリズンを無罪放免されたあと、ここ通化寺で、気鋭の若者を集め戦後日本再建の決意を述べ決起する。大梅山通化寺は芸州口の戦いに主力となって戦った遊撃隊の本営があった地、いわばふるさと。明治維新先駆け・胎動となった地である。

通化寺境内の「遊撃軍招魂碑」揮毫は山口縣知事大森吉五郎。官選最後の縣知事。大森は岡山市出身、岡山中学・三校・京都帝大卒。内務・警察官僚。山口縣知事のあと南満州鉄道理事。京都市長。

「遊撃軍記念碑」撰文は沖原光孚。光孚は岩国藩出身、日清・日露戦争に従軍。陸軍中将正三位勲一等功三級男爵・貴族院議員。満州時代の岸と知友。光孚の曾孫男爵沖原光彦は岸 信介・佐藤栄作の叔父である佐藤寛造の娘信子と結婚。同じく叔父佐藤松介(医師・岡山医学専門学校教授・寛造の兄で本家当主)は岸 信介を岡山中学に入学させ学育するが2年後急逝し、ために岸は山口中学校に転校する。

同記念碑書は防長新聞社から明治44年第6代山口町長となる作間久吉。 のち、大正6年~昭和7年初代山口県立教育博物館長。

岸 信介がこれら知友・関係者携わる「明治維新胎動の地・高森通化寺」を「戦後の昭和維新決起の地」としたのは当然といえる。

2016四境の役150年の年から続き、明治維新150年の今年で終わる「第3回通化寺紅葉まつり」で、決起にあたり心境を著した「通化寺即吟」を記念碑として郷土が生んだ総理大臣を顕彰する事は150年記念事業の最後として意義あることだと思う。

 

11月7日は記念碑搬入・据付の日。

早朝8寺30分からの作業。

  

  

  

  

  

11日の除幕式が楽しみです。

通化寺の紅葉は、今が丁度見ごろ。今年は少し早いようだ。

遊撃軍招魂碑も大梅山を背景に赤く染まる。

  

伝雪舟庭園の紅葉。中央付近遠くに遊撃軍招魂碑。

  

 

 

 

 


通化寺駐車場整備

2018-11-05 23:00:45 | 四境の役芸州口の戦い

11月11日の通化寺紅葉まつりも真近か。

今週は設営準備に忙しい。

先般、実行委員・檀家で境内・駐車場・参道の草刈を実施したが、
最上段の山門横広場が雨水の通り道となり、車の腹をこする箇所が
数箇所ある。7月6日の西日本豪雨で水筋が広がり深くなっている。

11月4日(日)はこの補修・整備。

田中総代長夫妻・檀家田中夫妻・通化寺窯田村悟朗氏の5名で整備。

当方も所用を済ませ、11時ごろからお手伝い。

以下に作業状況を紹介。

  

  

   

  

軽トラ一台なので、作業よりもぐり搬入を待つ時間の方が・・・。

翌日、赤土とクラッシャーで仕上げ。

  

  

  

こうした人たちの熱意・労力に感謝。

今週後半には紅葉まつり会場設営・展示の事前準備作業が待っている。

 


明治維新年150年通化寺第3回紅葉まつりのお知らせ

2018-11-05 17:55:34 | 四境の役芸州口の戦い

特記事項

1 岸 信介先生通化寺決起記念碑建立除幕式 
         
            「通化寺即吟」     

2 記念講演

  「明治維新と名君毛利敬親」

     講師:元毛利博物館館長 小川良昌  

3 遊撃軍遺品展(通化寺蔵)

  特別展示は写真展示に変更となる場合があります。

4 駐車場は第1・2駐車場の他、
  参道右片側を駐車場にしていますが混雑が予想されます。
  係員の指示に従う他
  極力、同伴乗車のうえお越し下さい。