徒然草独歩の写日記

周防東部の徒然なるままの写日記

萩往還夏木原の「吉田松陰先生東送之碑」

2013-06-09 23:33:02 | 歴史散策

今日は朝から小雨。それを見越して前日の8日土曜日に車で萩へ。目的地は萩往還夏木原キャンプ場入り口と萩博物館の二つ。

安政六年五月二十五日、吉田松陰東送のとき、萩を発し長門と周防の国境(板堂峠)を目前にした夏木原で詠んだ「七言絶句」碑文の写真撮影とサイト掲載が一番の目的。

本当は一年前から6月25日訪問を計画していたが、最新の長期天気予報では梅雨最盛期、おまけにスケジュールが混みあってきたので6月上旬に決定。

現地で松陰先生の「満山杜宇血痕紅」を是非共有したい。この漢詩には、死を恐れぬ凄絶な気迫、心境が伝わってくるのだ。    

    縛吾題命到関東  吾を縛して台命(幕命)もて関東に到る(おくる)

    対簿心期質鼓弓  簿に対し心に期す鼓弓に質すを

     夏木原頭天雨黒  夏木原頭(なつきげんとう)天雨黒く

    満山杜宇血痕紅  満山の杜宇血痕紅なり

 九時半ごろ山口に到着。大内氏居館跡龍福寺前の上堅小路を周防長門国境を目指し、往還筋の県道62号線を北上。途中、萩往還と重なる分岐・合流点は車を止め、写真撮影しながら進む。

上天花(かみてんげ)から「つづら折れ」を県道に迂回して「一ノ坂御建場跡」・「六件茶屋跡」に立ち寄る。ここはかって六件あった農家の一件が茶屋であった。そのうち藩主が休憩した「主屋と別棟座敷」・「御家老休所」・「御徒通り休所」(随伴武士の休所)・「御供中腰休所」(足軽の休所)等の一部が復元、整備されている。御駕籠建場も復元され、各施設は往還を挟んで両側に設けられ規模が大きいのに驚く。

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茶屋跡を草刈作業中の造園会社の三名の職人さんと「杜宇」の鳴き声を聞きながら暫し休息雑談。

「満山の紅は、桜が終わって四月中旬から五月連休にかけて「山つつじ」が咲くが、六月の紅はどうだったかな? 咲くとすれば、この地方では『つつじさつき』と呼ぶ自生のさつきが咲くには咲くが...」。

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ここまで車の窓を閉め切っていても「杜宇」の鳴き声が至る所で聞こえていたのだ。松陰先生の詩に間違いはないだろう。しかし、ここまで満山紅どころか一点の紅にもお目にかかっていない。民家の庭に「さつき」の開花を散見するのみだ。「満山緑」。不安になってきた。

標高511Mの坂堂峠を過ぎれば国境だ。往還筋の「南周防国吉敷郡」・「北長門国阿武郡」の国境碑を過ぎれば、いよいよ夏木原への下りだ。ここでも「杜宇」の鳴き声が心地よい。

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夏木原キャンプ場入り口の岸伸介元首相書になる「吉田松陰先生東送之碑」の前で暫し感激に浸る。ところが周囲を見回しても緑一色。紅は見られない。公園化された場所に植樹された桜や紅葉以外は道路際まで檜の植林が道の両側に高く迫り、見通しが悪く狭い峡谷だ。キャンプ場入り口と聞いていたので広い裾野を想像していた。

管理棟の二人のご婦人に「七言絶句」の説明をして窺う。

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                     「満山杜宇血痕紅」  

「秋の紅葉は、公園化されたキャンプ場一体が紅色に染まり美しいですよ」。

「いや、いや、この時期のことなんですが。あの時期、ホトトギスは鳴かんでしょうが」。

話している間も「杜宇」の鳴き声がする。「そうだ! 夏木原頭はもう少し萩方向に下がった里山に近い見晴らしのいい場所なのだ!」

700Mほど萩方向に下った里山に近い板堂峠を遠望できる場所も緑一色。松陰先生東送時は植林も無く、雑木で日当たりもよかったため「つつじさつき」が見られたのだろう。「満山杜宇血痕紅」はあきらめた。

日南瀬で国道262号線に合流。佐々並、明木経由萩へ向う。沿線の山側は白一色。「満山白」だ。

沿線で農作業していた男性に白色の花木の名前を聞く。

「この時期白く咲くあれは、邪魔でしょうがない雑木。名前は知らない。申し訳ない」。

「いやいや、こちらこそ詰らんことを聞いて申し訳ない」。

萩を目前に疲れてきた。道の駅「萩往還公園」での昼食は一時半過ぎになってしまった。

公園内「吉田松陰記念館」では、「松陰先生絶筆」複製展示の前で、ボランティアの館員と雑談。

「デジタル化の時代、ここの複製はもう少し何とかならんでしょうか」。

「松陰先生の絶筆原本をみたときには、涙をこらえることができなかった」。

「同感。うらやましい。なんなら、私が複製しましょうか」。

最後の目的地「市立萩博物館」は、「奇兵隊結成一五〇年」を記念して、戊辰戦争後の隊士七名の古写真を模して作成された制服展示がお目当て。これは、歴史読本やサイトでよくお目にかかる有名な写真だ。前日の七日(金)のTV放映では、山口県立大学の若者が着用していたので、土、日も生きたモデルが着用していると思ったのだが、マネキンに早変わりしていた。

ここだけは絨毯が紅で、スポットライトも太陽色なので赤っぽく写る。「満山紅」だ。但し、「杜宇」の鳴き声はきかれない。

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萩博物館は去年の秋、松岡睦彦先生(柳井市文化財保護審議会会長・岩国市文化財専門委員)に引率されて、かって御本人が調査・復元にかかわった「大内氏館跡庭園」(池泉庭園)や県立山口美術館・浦上記念館等を巡った際に寄ったが時間的に駆け足。今回、「長州ファイブ渡航150年記念企画展」・「高杉晋作奇兵隊結成150年テーマ展」も開催されていて、じっくり閉館間際まで観覧。

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復路は再び往還筋県道62号線を時々下車、萩往還旧道に少し足を踏み入れながら山口上堅小路経由帰宅したのは午後8時半。  

今回も欲張り歴史探索。疲れた。

遅い夕食後、サイトのArrow_red_5 「通化寺・遊撃軍」高杉晋作・吉田松陰の項に「夏木原吉田松陰先生東送之碑」写真を追加し、サーバー転送すると、7Kbの小容量にもかかわらず容量オーバーのエラーメッセージが。仕方ないので高森天神秋季例祭の写真を一枚削除。夏木原の「東送之碑」写真は、文中に絶対挿入したかったので仕方ない。

花木に詳しい通化寺窯田村悟朗氏によると、国道沿線に咲いていた白い花は「うつぎ」だそうだ。

今夜は「満山杜宇血痕紅」の夢でもみて我慢しよう。但し、歳をとると夢をみることがなくなった。こりゃあ、ちょっと無理かも...。 


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